寸口の脉





《素問・経脉別論》に、『脉気は経脉を流れ、経脉の気は肺に帰ります。肺は百脉を朝し〔注:肺は百脉の集まる場所であり〕、その精華を皮毛にめぐらします。』とあります。この言葉は二つのことを予測させます。

そのひとつは、皮毛で百脉の精を診ることができるという、体表観察への示唆です。

もうひとつは、肺の状態を観察することによって、全身の状態を診ることができるという考え方です。

そのため《素問・経脉別論》では続けて、『脉と精とは合して、気を腑にめぐらします。腑は神明を精(つまびらか)にして四臓に留め〔注:肺・肝・脾・腎の四臓に主宰者である心の神明を明らかにし〕ますから、臓気はそのバランスを得ることができます。バランスがすでに取れていると、気口は寸となり、ここで死生を判断することができます。』とあります。

寸口の部位に全身の状態が現われるという考え方はここから発生し、《難経》において確立されました。そして時代を下ると、寸口を診て死生吉凶を判断しようとする、膨大な知識が蓄積されていきました。







寸口の脉診は、橈骨楔状突起の頂点における橈骨動脉を中心「関」とし、それより手掌側を「寸」、肘関節側を「尺」と名づけています。一応その観察範囲は、関が一分、寸が九分、尺が十分すなわち一寸と、正確にはされています。けれどもそれより広い範囲を診ることもあります。

人身のホログラムとしてみると、尺位が根、関位が幹、寸位が枝葉となります。

胃に入った食物の気が全身を充実させる過程で、その運搬路が肺に集まり、そこに全身状況が現われると考えているわけですから、胃の気の盛衰すなわち全身の生命力の盛衰がここに現われていると診ます。







生命力が溢れている脉とはどのようなものでしょうか。よく勘違いされることが力強い脉状であるということです。力強いということは陽気が勝っているために触れられる堅めの脉状を指している場合が多いのですが、痛みがある場合の堅い弦脉がこれである場合も往々にしてあります。

基本的には柔軟でしなやかで途切れない脉状が、浮脉でも沈脉でもなく浮位沈位のバランスも崩れず、寸関尺のバランスにも、寸関尺・浮中沈の個々の位置の脉状にも異常のみられないものが良い脉のイメージとなります。

ただ、脉状には個人差が大きく、よく変化もしますので、現在のその人にとってよりよい脉状とは何か、悪化した場合の脉状はどうかということを、日常的によく探求しておく必要があります。

滔々と気持ちよく流れている川が、橈骨楔状突起という山を越えようとするとき示す表情が、寸関尺の脉状であるとも言えます。山を登る前はまだ足腰がしっかりしていますから、やや沈んだ下が充実している感じがします〔尺位〕。山頂で疲れて休みますが、山頂は疲れが一番現れやすい場所であるともいえます〔関位〕。山を下るときは飛ぶような感じです。少し浮いていて診やすいことが多いものです〔寸位〕。生命力(胃の気)が充実していると、寸関尺いずれの場合でも変化はあまり起こりません。登山くらいでは疲れはしない元気な人であるというわけです。







基本的には、もっともバランスを欠いている一点〔注:堅かったり渋っていたり脆かったり細かったり散らばったり〕を発見することができれば、それを治療前後に観察し、その一点の脉状の変化をもって、治療の成否を占うことができます。それは、寸口全体におよぶ脉状として出ている場合もありますし、寸位・関位・尺位の浮位・中位・沈位、いずれか一ヶ所だけに出ている場合もあります。また、他所に及んでいる場合などもまたあります。

脉診をする場合、心構えがとても大切になります。これは、何を診ようとするかということによって、感じ取ることのできる範囲が変化するためです。脉なんてわからないや、と思って診ていると、何も診ることはできませんし、診ることもいやになってやめてしまいます。堅さや柔らかさを診るのだと思って診ていると、堅さや柔らかさが良く感じられるようになります。太さと細さという別の側面を診ると思って診ていると、太さや細さが感じられるようになります。







そのような側面は、陰陽関係で見ていくと理解しやすいので、私は脉状診における陰陽関係として次の項目を考え出しました。

[脉体]

縦:浮沈

横:短長

[脉形]

縦:微洪

横:緩滑

[脉気]

粘枯:湿と燥とを診る

艶濇:生命力の充実と不足とを診る〔注:普通は滑濇と呼びかみわけます〕

[脉息]

滞〔注:来たがらない。ぐずぐずする。〕促〔注:先走る〕

遅数〔注:脈拍数〕



一般的に言われている脉状は、上記の組み合わせで成り立っていると考えます。 例を挙げますと、

強脉:長・洪・粘・艶
弱脉:短・微・枯・濇
剛脉:粘+滑
柔脉:枯+緩



それぞれのバランスが取れていて、個別の脉状として診えにくいとき、それを胃の気の通った良い脉状であると考えます。







また、最後になりましたが最も重要なことは、生命力を診ると心に定めて診ることです。これを胃の気を診ると私は呼んでいます。生命力を診るのだと心に定めて診るとき、脉の診え方が大きく変わるのは、まことに不思議なことです。

脉状全体が大きく動きすぎるような場合は、生命の状態が大きく変動すると考えます。その原因は、風邪などで発汗した、便通があった、あるいは我慢している、といった一般的な場合以外に、器が小さく敏感で、全身の生命力が弱っているため気の動きが早く現われるということも考えられます。

また、痛みがある場合には脉が堅くなりますが、治療などで痛みが和らぐとそれにしたがって脉状も緩んできます。







脉状の変化をつかむためには、飲食の前後、入浴の前後、二便の排泄の前後、運動の前後というように、大きく脉状が変化する可能性がある前後にその脉状を観察して、その変化がなぜ起こっているのかということを考えていくといいでしょう。その積み重ねは、後の弁証論治の発想にも応用することができます。

治療の前後には何もわからなくともいいですから、必ず脉を見る習慣をつけましょう。寸関尺、浮位と沈位だけでもいいです。それを続けていくにしたがって、必ず脉状の変化をつかむことができるようになり、脉というものの奥深さを感じ取ることができます。

寸口の脉診とはまったく趣を異にしますが、脉処は肺経の原穴から絡穴にかけての部位で、ここが冷えていたり触れたときに発汗を感じる場合、風邪があるかもしれない、ということに留意しておきます。これに背部の状態がそろうと、本人が自覚していない場合でも風邪が絡んでいますので、それの処理をしなければなりません。

脉を立体的に診ることは、経穴を立体的に診ることの練習にもなります。











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