内湿(痰飲)






体内に湿濁がありそれが痼疾化して邪気となっているものを内湿といいます。内湿のうち液として滞留しているものを飲、粘稠性の高いものを痰と呼びます。

《素問・至真要大論》に『諸湿腫満はみな脾に属す』とあります。内湿は主として脾の消化機能が衰えておこります。脾胃を中心とした身体モデルを思い出すと理解しやすいでしょう。食の不摂生や運動不足による陽気の不足などがみな、この内湿の発生にかかわってきます。

また脾の消化機能は腎陽によって支えられていますので、腎陽が衰えることによってまた、脾の陽気も衰え、湿を生ずることがあります。







内湿は、健康な生命機能の影のように、埃として付着してくるものです。それは、川が曲がるときにおこる渦や澱みのような感じです。そのため、内湿が存在しているか否かと問うということよりも、内湿を排泄する機能がしっかりしているかどうか、消化機能が順調に働いているかどうかということのほうが重視されます。

内湿が軽い場合には、日によって身体が重かったりだるかったり食欲が低下したり便の状態がおかしかったりします。

それがより重くなると、外湿と感応し始めて、梅雨時や雨になると症状が悪化したり、季節の変化についていけずにその変わり目に体調が悪化したりします。

さらに悪化すると、痰飲として把握されることとなります。







痰飲が形成されると、なかなか取れにくくなります。

飲は、どの場所に存在するかということを見通す中から、水の捌きを考えて治療方針を立てていかなければなりません。

痰は、下水道にへばりついた油粕やヘドロのように、経脉を阻滞するものです。その阻滞する部位によってさまざまな症状を呈することになります。『怪病は痰に取れ』という言葉が生まれる理由がこれです。

喘息は痰の病として有名です。いわゆる『脾は生痰の元』『肺は貯痰の器』という言葉は、喘息患者さんの状態を見通すためにあります。











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