器の盛衰






人が症状を呈するということには、大きく分けて二種類があります。自身でさらなる大いなる生命を獲得するために自身を改造していく過程〔注:これを器を広げるということで、生長と呼ばれます〕と、器の解消に向かっていく段階に起こるアンバランス〔注:器が解消されるという最終段階は死を意味しています〕です。

人はアンバランスを解消しながら生長していきます。そのアンバランスを表現しながら老いていきます。その間に人生というさまざまなドラマがあるわけです。







症状を発するということは、成長している段階では、より早く生長しようとする内的な生命力の盛り上がりによって、自らアンバランスを作り出してその身体を立て直すために起こり、老化している段階では作られた器が脆く崩れていき、その崩れ方にアンバランスがある時に起こります。

病理を考えていく上でも、「一元」のところで書いた、器の盛衰がもっとも基本的な問題であるということを、これは意味しているわけです。

病あるいは症状は、その器の上に成立しているのであるということを忘れてはいけません。







東洋医学はこの大いなる生命のありさまに依存しながら、それを傷つけることなく調整するにはいかにしたらよいかという観点から編み出されたものであると申してもよいでしょう。

ですから、横溢する生命の海の中で、さらなる一歩を、さらなる健康を目指すにはどうすればよいのか、ということが第一に問われることとなります。











一元流