肉体の中心






これまで、中心をどこに求めるかということで、脾胃を中心とする後天の器という考え方と、肝を中心とする生きる意志を中心とする考え方を紹介してきました。ここではもう一度全身の重心という意味での中心、肝と胃とを主として支える位置でもある、先天の器であり精を蔵する腎を中心とする考え方を紹介します。

腎を中心とする場合、その核がどこにあるかというと、丹田、臍下三寸の場所の奥にあります。女性では子宮がここにあたります。臍下丹田をもっとも強く意識し続け、その範囲を越えることなく、身体を鍛えていくということがたいせつです。

意識以外を用いて臍下丹田を鍛えるというにはどうすればよいかということを五臓で考えると、これは他でもない、腎気を強くするということになります。







日々の生活を行う中で、偏り疲労をなくし元気に自己を実現していくことのポイントも実はここにあります。頭を使い目を使う仕事をしていると気がその部分に集まりがちになります。臍下丹田を意識してその範囲でそれを行うということができれば、肩こりなども起こらずしっかりと仕事をすることができます。

けれども、人の意識は時に、自身の力量を超えて仕事に集中しがちになります。そのため、頭脳労働をした後は必ず散歩などをして気をひきおろすとよいということなどが言われているわけです。

臍下丹田を外すことのないよう、もし外してもそれをその日のうちに取り戻しておけるようにすることが養生のポイントになるわけです。

頭脳労働についてだけ述べましたが、これは肉体労働にも、スポーツをする方にも同じように言えることです。







この中心を忘れないということの要諦は、しなやかに柔らかく生きるということにあります。しなやかな身心は中心を見やすくさせます。武道などの鍛錬は、このしなやかさを身につけるためにあるとも言われています。そのことをきちんと自覚している武道家の下で修行したいものです。

中心を獲得した者は、老いて器が崩れていくときにもそのバランスは崩れにくくなります。すっきりと立ったまま、枯れていくことができるわけですね。











一元流