長沙腹診考

心煩


心煩とは、心中が煩悸するという意味です。手で診るとザワザワドキドキとした感じです。『薬徴』には「黄連は心中煩悸を主ります。」「梔子は心煩を主治します。」と述べられています。梔子も黄連と同じように心煩を治しますが、症候は異なります。薬効からよく考えます。また小柴胡湯や調胃承気湯にも心煩はありますけれども、主症ではありません。ここで心煩といっているものは黄連が主治するところのものです。

心煩の煩は、「いたつかわし」と訓じ、「やかましき」という意味です。許由〔訳注:古代の名宰相〕が瓢箪を掛けると風が吹いて音がしたので、煩わしいとしてそれを捨て、蕭々として征き馬に煩い、礼が煩えば乱れ、煩悶 煩労 煩乱などと連用して、物事が煩わしいことを言います。

この症を患う人は、いつも眼光が鋭く、心気が乱れて、安眠し難く、心が忙しく、物を忘れやすく、物事を考えすぎ、怒り悲しみ、狂ったようになったり、死を恐れません。このような類のすべては、胸中の結毒によるものです。屈原は「心煩し思いが乱れて、従うところがわからない。」と述べています。古く「苟もせざるを知る〔訳注:軽々しく行動しないことを理解すること〕」と言われています。また激裂感慨の士〔訳注:激情的な壮士〕にこの症が多かったということも記憶しておいてください。


付言

私が昔、日光に旅をしていたときのことです。舩生村の斉藤某という、二十四五歳の、どもって話すことができない者がおりました。夜中にたまに目が覚めてみると、自分の身体が大きくなったような感じがすることがあるということで、治療をしてほしいとやって来ました。診ると心煩がひどく、心下痞もありましたので、瀉心湯を与えました。 数ヶ月たつと、諸症状がすべて取れて言葉も自由に話せるようになっておりました。

その母もまた腹診をしてほしいということで診ると、心中煩して安眠しにくくなっており、心下痞していましたので、同じように瀉心湯を与えて治しました。その母は、時々鴻毛〔訳注:こうもう:鳳の羽のことで、非常に軽いこと〕のように身体が軽くなり、空を走るような感じがするということでしたが、これは心煩によっておこっているものです。外症〔訳注:外に現れている症状〕は異なっているわけです。


同郡の玉生村に、玉生某という者が治療をしてほしいということやって来て、そのついでに数多くの平常の腹症を診ました。その中に四、五歳の小児がおりました。眼光が鋭くて人を射るような感じでした。私はその主人に「天然痘にはまだ罹っていないのですか」と聞くと、「まだです」というので、それでは「三黄丸か紫円をいつも服用させるようにしなさい。胸中に毒がありますから」と伝えておきました。その後一年ほどたって、玉生氏に逢ったところ、氏は私を見て泣き出して、「先生が私の家に来られたとき、小児の眼中を見ておっしゃられたことがありましたが、面倒くさがって薬を用いませんでした。最近痘瘡がはやり、急に大熱を出して急死してしまいました。」と言っておりました。



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