月経前後の諸症についての
歴代の考え方






月経前後の諸症について最も早い記載があるものは、明代の《丹渓 心法附余》です。その『婦人経病』の中には、月経前後に発熱を伴うもの についての記載がなされています。そして、その発熱の中には、常時発熱 しているもの・月経時だけ発熱するもの、すなわち、常時血虚で積がある ものと・月経によって血虚となったために発熱したものについて記載され ています。

明代の《証治要訣》では『経事不調』の項の中に月経の異常として、 経血が排便とともに出るものを分類して、腹痛があるものとないものとに ついて記載されています。そして、このようなものは『尋常の便血として 治療してはいけない、その月経を順調にさせるべきである。四物湯去阿膠、 香附子』と説明しています。

《医学入門》の『経水不調』の中にもまた、月経時に潮熱と疼痛を 伴うものについて論じられています。これは『婦女子にもっとも常見され る病であり』、その発病原因は、『血滞が徐々に骨髄に入って蓄積されて、 骨蒸〔訳注:骨髄から出ているような陰虚内熱:つまりこの月経時の潮熱 を陰虚内熱として把えているわけです。〕となる。血滞が徐々に中焦に 瘀し〔訳注:滞り〕、日々新たに生じている血と相互に干渉しあ うために疼痛となる。』とされています。さらに本書では、内傷と外感と いう観点から虚実を弁別しています。すなわち、潮熱が定期的におこるも のを内傷・虚であるとし、周期性のないものを外感・実であるとしている わけです。そして、『逍遥散加減こそが、この熱を下げるための聖薬であ る。』と語っています。このように李梃〔訳注:《医学入門》の著者〕の 経行発熱に関する論述は、比較的詳細であり実効のあるものとなっていま す。

これ以降では、《証治準縄》に、『月経が起ころうとする時期に身 体が先に痛む』ことについての記載があり、その原因は血気の不足にある、 と述べられています。







また《済陰綱目》では、先人たちの経験を総括した上で、『経病発 熱』『経行泄瀉』などについて列挙されています。そこでは、月経前や月 経時期に現われる潮熱・客熱・往来寒熱などの違いについて述べられてい ます。このうち経行泄瀉では汪石山の医案を引用し、『婦人の月経前に泄 瀉が二三日続いた後、月経が自然に始まる。』理由は脾虚によるものであ ると断じて、参苓白朮散で効果を得ることができるとしています。また 『月水が過多で、時に白帯が下り、日中はその症状が軽く夜間になると重 くなり、泄瀉が不定期的におこる』ものは、陽虚によって運化が失調する ためになるものであると断じて、人参や白朮といった陽を助ける薬剤でこ のような状態が収まるとしています。

清代の《女科経綸》になると、月経にともなっておこる症状につい ての記載は、さらに詳細になります。そこでは、経行体痛・経行潮熱ある いは客熱・経行後の発熱目暗・経行泄瀉・経行白帯などの兼証について記 載されています。肖氏〔訳注:《女科経綸》の著者〕は、月経にともなっ て見られる症状はひとつではなく、腹痛・発熱・泄瀉・白帯の四症状がよ く見られるものであるとし、このうちのひとつでも現われている場合は、 月経不順であると考えるべきであるとしています。

清代の《医宗金鑑》では主として経行泄瀉について論じられていま す。その中では、経行泄瀉の病因の多くは脾虚によるものであるとされて いますが、もし泄瀉して冷え痛む場合は寒湿に属するものであるからこれ を弁別しなければならない、と述べられています。

《葉天士女科》では、月経にともなっておこる症状の種類がさらに 多く記載されています。大小便が出ることによって月経が順調になるもの ・月経時に吊るような陰痛がおこるもの【原注:月経時に鼠蹊部の筋肉に よって陰部が吊りあげられるような感じがし、両乳房まで堪え難い痛みが およぶことがあるもの】・月経時の排尿痛【原注:排尿時に鋭い刃物で切 ったような痛みがおこるもの。これは血門が通じていないということを示 しています】月経時の脇痛・月経時の全身痛・月経時の潮熱と痛み・月経 時の食後の嘔吐・月経時の浮腫・月経時の泄瀉・月経時の咳嗽・月経時に 寄生虫を下す・月経時に蛔虫を吐く・月経時に潮熱して食欲がなくなる・ 月経時に狂言し譫語する・月経前後の痢疾といった二十余の症候に対して、 それぞれその概要・病理・処理方法について個別に述べられています。葉 天士のこの説はあまりに繁雑ではありますけれども、我々に対してこの症 候がいかに多様な特長を備えているのかということを認識せしめ、個々の 症候に対してそれぞれ個別の処理方法を一定の基準で示していますので、 この症候を研究していく上で非常に参考になるものです。







その後の《沈氏女科輯要》では、月経時の唖・目暗・帯下・泄瀉と いった症候が列挙されており、さらにいくつかの症例が記載されています。 『ある女性を治療した。月経がおこるとかならず声が出なくなっていた。 天門冬・地黄・肉じゅう蓉・当帰身等でこれを治療しようとしたが、その 症状は悪化していった。しかしこの処方に細辛を少しだけ加えたところ、 薬剤が口に入るや否や声が出るようになった。』と。この症例は、後世に おいて同じような症状のものを治療する際、その方向性を指し示すものと なっています。

《伝青主女科》では、その『調経』の項の中で、「経前の泄水」 「経前の血便」という二節を設け、専門的に論じています。そのうち「経 前の泄水」では、その原因は脾気の虚にあり、そのために先に水が泄れて 後に月経が始まるのであるとされており、擬健固湯〔訳注:?〕で脾腎を 温補し、益気除湿するとよいと述べられています。また「経前の血便」で は、その原因は心と腎とが交流しあわないことにあり、そのために経血が 大腸に流れたものであると考えられています。そのため、心腎をよく補う ことによってこれを治療し、心腎が互いに交われば大腸の血も妄行しない ようになると述べられています。これらの記載は、臨床的に非常に価値の 高いものとなっています。







以上の論から見て取れることは、この症候に対して、歴代の医家は 一つの症状を一つの証とみなして論じているということです。ですからそ の治療においても、ある症状のものにはそれに対する処方を用いるという 状態にあります。つまり歴代の医家たちはまだこの疾病の本質を把えきっ てはおらず、また婦人科学に特徴的な問題としても把握されてはいないと いうことがわかります。これはもちろんその当時の認識の歴史的な限界を 示しているものです。けれども、このようにして蓄積されてきた長期にわ たる経験は、現代におけるこの症候に対する研究と治療において、なお一 定の指導的な意義を有していると考えなければなりません。









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