総説





まるごと一つの生命を、もっとも矛盾しているとみられる二つの観点から捉えなおして、それを解釈する。これが陰陽の概念を用いるコツです。

二つの観点といっても、その両者が陰陽関係にあるのかどうかということが、実はまず点検されなければなりません。

どうやって点検するのでしょうか?






まず、第一に重要なことは、その陰陽概念が一つの場を相対的な言葉で表現する概念であるということです。

これを逆の方向からいいますと、ある陰陽概念が陰陽概念であるとして提示されている場合、その陰陽概念を存在させている一元の場を明確にイメージする必要があるということです。

その陰陽概念は、何を一元の場とし、それを、どのような角度で切り取ったものなのか検討しなければならない、と言い直すこともできます。






例として、生死を取り上げてみましょう。生と死とは、相対的な概念であると直感的に思います。けれども、それが相対的な概念であるためにには、生死を包含する一元の気の変化がイメージされなければなりません。そうすると、これは輪廻転生を信じる人々の間だけで通じる陰陽概念です。生死が陰陽概念であると直感的に感じる感性を持っている私は、そのような、生死を包含した抽象的な「生」の概念を保持していると言えます。

これに対して、生と死との間に深刻な断絶を見る人は、生死が陰陽概念であると受け入れることはないでしょう。それは、存在を語る「場」が、生の場と死の場とではまったく異なるからです。

重要なことはどちらが真実かということではなく、事実〔注:場〕に対する認識が異なるということを確認するということと、その違いがどこからきているのかを認識することです。そこから、根源的な問題に対する対話が始まります。

前提とする「常識」が異なると、陰陽概念として把えるかどうかという判断においてもそれぞれに違いが出てくるということがご理解いただけたのではないかと思います。違いが出た場合には、その前提を話し合ってみましょう。






さて、生と死、という概念を提出しましたが、陰陽という言葉の始まりではないかと言われているものの一つに、光と影の陰陽関係というものがあります。そこでは光は陽であり影は陰であるとされています。しかし、影は光の不在にすぎないわけですから、それが陰陽関係をなすものなのかどうかということに関しては、生死の場合と同じように疑問を持つ必要があるのではないでしょうか?

陰陽という文字の起こりであるとされる太陽と月との陰陽関係について考えてみましょう。現代の宇宙論を身につけている私にとって、太陽と月に陰陽関係が存在するとは思えません。かたや多くの惑星を従えた恒星であり、太陽系の中心。かたや、地球にゴミのようにくっついていて、自分で光を発することもできない衛星です。太陽と月が陰陽関係にあるなどと太陽さんに言ったら、をいをい、月というのはどこにあるんだい?まさか、あの地球の周りを回っているゴミを、ワシと対等に扱おうというのではあるまいな。って言われそうです。

太陽系という観点でみると太陽さんのいうとおりですが、これが銀河系レベルで言われると、またまったく別の表現になります。

月と太陽の陰陽関係というのは実は実際の月と太陽のことを述べているのではなく、地球上の昼間の代表として太陽を、夜の代表として月をあげているに過ぎないわけです。つまりこの狭い地球上の昼の明るさと夜の暗さを相対概念で表現したものなのですね。

これは何を意味しているかというと、時代によって「場」を考える際の観点が変化するということを意味しています。どのような「場」を設定するかによって、その「場」を解釈しようとする、陰陽理論、五行理論にも、当然、概念の転換がなされなければならないということです。






それはともかく、東洋医学ではこのように、天地という万物を包含する宇宙において把えられた陰陽概念を、小宇宙としての人間に対応させ応用させて考えていきます。それは、天地の間に生きている人間の眼差しを通して把え返された天地を、閉ざされた一つの生命空間、「場」として考え、同じように閉ざされた人身という場を、天地に置き換えて理解していったと考えられます。現在、科学の力で把えられている宇宙論とは異なり、より身近で生活観のある宇宙、天地なわけです。

ですから、同じように陰陽五行という言葉を用いていても、古代と現代とでは、その間に大きな違いがあります。このことを押さえた上で概念の整理が行われなければなりません。






このため私は、陰陽を語る場合に、まず場の設定を必ず問題にしなければならず、また、その概念が陰陽関係にあるとする際、設定している場は何かということを規定しなければならないということを強調しているわけです。現代に生きる我々が陰陽を語る上でまず基本にしなければならないものが、これです。

さて、我々にとって陰陽理論を生かすためにはどのような概念の整理が必要であるかということが理解されたところで、古来の東洋医学ではどのような陰陽概念が提示されてきたのかということを、ご紹介していきましょう。











一元流