《素問・陰陽応象大論》には、『清陽は天となり、濁陰は地となります。地気は上って雲になり、天気は下って雨になります、雨は地気から出て、雲は天気から出ます。〔訳注:人体においても〕清陽は上竅に出、濁陰は下竅に出ます。清陽は腠理に発し、濁陰は五臓に走ります。清陽は四肢を充実させ、濁陰は六腑に帰します。』と述べられています。
これは、天地の間の気の交流の象徴である雨と雲の関係を用いて、人身における陰陽の気の交流を述べようとしたものです。
清陽と濁陰は、身体を満たし外に溢れ出す際の陰陽の気の状態を述べているもので、清陽は上部の竅すなわち五感の部から出て外界の状況を察し、濁陰は体内の汚れを二陰(尿道と肛門)から排泄されるものです。
腠理〔注:皮膚〕と五臓、四肢と六腑とは、表を陽とし裏を陰とする陰陽関係について述べているものです。
上が陽であり下が陰、表が陽であり裏が陰であるというこの二種類の陰陽関係は、東洋医学においては一元的に把えられています。
この考え方は、気一元の場を空間を持ったものとして見ていく際の基本的な考え方になっています。
これが書物として明確にまとめられたものには、清代の中期の医家である呉鞠通の《温病条弁》があります。この書物は、外邪が身体に侵襲し、それと身体の生命力とが闘争を行っている位置を明確にし、それに対する湯液による治療法が提示されています。
全身を上焦・中焦・下焦の上中下に分けて三焦と名づけ、表裏を衛気営血の四段階に分け組み合わせて病位を考えているものです。
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