《素問・金匱真言論》には、背部を陽とし腹部を陰とするとあります。これに対して《老子》には、万物は陰を負い陽を抱くとあります。この陰陽に対する考え方は正反対にみえます。
けれども、天の陽は南に位置し陰は北に位置し、地の陰は南に位置し陽は北に位置しているということから考えると、老子は天をもってこれをたとえ、《素問》は地をもってこれをたとえていると考えられます。
また、営衛で考えるならば、営は陰であり脉中を流れ、衛は陽であり脉外を行くわけですから、それと腹背の陰陽とは符合していることになります。
基本的な発想として人身というものは地を象っていると発想されていたのでしょう。
《霊枢・営衛生会》において、営衛は飲食物の気から発しそれを陰陽に分けて考えたものであるという記載があることからも、人身は地気の化したものであるという解釈が成立します。
このことから、後天の気に人身は依存しているものであり、「胃の気」というものが非常に重要な位置を占めているということが理解できます。
この「胃の気」は、治療や診察において非常に重視され用いられている言葉です。
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