九、脉色によって陰陽を弁ず





脉色は血気の影である。

形が正常であれば影もまた正常であり、形が異常であれば影もまた異常になる。

病気が内部に生ずれば脉色として必ず外に現われる。ゆえに病気を診察しようとするならば先ず脉色を明確に理解しなければならない。

しかし脉色を理解する方法は、数言で尽くせるようなものではない。

その要点を先ずあげるとすると陰陽虚実の四者を理解するということになるだろう。この四者の判断に間違いがなければまずおおむね良しといえるだろう。






脉法の弁別をする際、洪滑の脉状のものは実で陽を示し、微弱の脉状のものは虚で陰を示す。これは言うまでもないことである。

しかし、張仲景は、『もし脉浮大なるものは気実血虚なり。』と言い、

陶節庵は、『脉の浮沈大小を論ずることなく、ただ指下に力無く、重く按じて全て無きものは、すなわちこれ陰証なり。』と言っている。

《内経》にも、『脉のもって大なること四倍以上となるものは関格となし、皆な真虚に属す』とある。

このように、脉状が滑大であっても陽証とは限らないということは、注意する必要がある。

形色の弁別でも、紅黄色は熱を示し青黒色は陰寒を示すということが基本ではあるけれども、

張仲景はまた、『面赤く戴陽するものは陰が不足しているからである』と、顔が紅赤色であっても実証のみを示すわけではないことを語っている。






総じて脉は、有力か無力かによって陰陽を弁別し、神の有無によって虚実を弁別するのである。

和緩の脉状の現われるものは元気の盛り返して来たものであり、強峻の脉状の現われるものは邪気が非常に盛なものである。危険な病状のものを診察するときは、この脉状によって元気の盛衰・正邪の進退を弁別していくのである。

言うなれば、死生の関鍵は全てここにあると言える。






この理は極めて繊細であり説明は難しいが、とりあえずこの道の要と言えるものは、病を診断しようとする場合には先ずその病因を把え、さらにその脉色・声音を弁別し、これらを相互に参考にしながら、全体の陰陽虚実を判断するための確かな根拠としてそれぞれの診察法を位置付けていくことである。

このような作業を行わなければ、それぞれの症候をどのように判断していいのか判らず、陰陽虚実の判定の確実な根拠とすることができなくなるからである。

患者の病気を悪化させないためには、こういった方法が非常に重要となってくるのである。

この章にはまだ言い尽くしていないことがたくさんある。詳しくは後の脉神章に記す。








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