《景岳全書》の内容



《景岳全書》は、景岳が故郷に帰ってから、その晩年の生涯を医 学に捧げている期間に書き上げられた力作である。

本書の《雑証 謨・諸気・気理を総論す》の最後に、『時・崇禎丙子、後学介賓 謹識』という記載があるが、この丙子とは崇禎九年【原注:一六 三六年】のことであるから、景岳が七十四才の時点ではまだこの 書は完成されていなかったということがわかる。

また本書が記述 された時期については、《伝忠録・陽不足再弁》の『丙子の夏、 始めて神交の一友を得ることができた。』、《伝忠録・丹渓を弁 ずる》の『ここに余の年古希を越える、経歴少なからず』、《雑 証謨・歯牙・証を論ず》の『故に余の年古希を越えるも、歯に一 損も無し。』等の記載を確実な傍証とすることができる。そして この四年後、すなわち一六四〇年には景岳はすでにこの世の人で はなかった。

このことから、本書が完成した時期は、一六三六年 ~一六三七年の二年間か、あるいはそれに一定期間を加えた頃と するのが妥当な線であろう。

それにしても景岳が、古希を越える 高齢にあってなお、自己の経験を総括し学術的な検討をそれに対 して加えていたということは、まことに敬服すべきことであると 言わなければならない。

このような老境にあってなお、そのたゆ むことなき精神と頑強不屈な克己心とを堅持し続けたという、そ のことだけでも人々を敬服させるに余りあることである。






《景岳全書》は全部で六十四巻あり、百余万言が費やされた浩繁 な書物である。その内容も豊富で、その論は微に入り細にわたっ ており、中医学の基礎理論・診断と治法・臨床各科・本草学・方 剤学などのあらゆる方面におよんでいる。






そのうち《伝忠録》の三巻は、中医学術上の重要な問題について、 先人の長所と短所を弁じ、なおかつ景岳自身の意見を明確に述べ ている。この外、この部分では弁証と治法についても言及してお り、景岳の学術思想と学術的観点とを最も集中的に表現している 部分となっている。






《脉神章》の三巻は、諸家の脉法に関する議論の精髄を集めて融 合し、脉学と切診に関して重要な視点を与えている。






《傷寒典》の二巻は、傷寒や温病の伝変および治法について論述 している。ここでの論の多くは陶節庵に負うところが多いけれど も、また多くの新しい見解を提示している。






《雑証謨》二十九巻は、歴代の内傷および眼・耳・鼻・喉・歯な どの七十種にわたる病証の症因脉治について論述し、また、外に 「死生」の一篇を設けている。

それぞれの病証については、先ず 「経義」を選んで列し、《素問》《霊枢》からその病証に関係あ る部分を引用することによってその根本的な病理を追究しようと している。

次に「論証」と「論治」としてそれぞれの病証の弁証 と治法について概述しているが、この論述の多くは自分で心得し た経験で占められている。

その次の「述古」では、越人・仲景以 下の諸家の学説を網羅している。この中で最も多く取り上げられ ているのは、薛立齊の説と、徐春甫の説である。さらに列して 「弁古」がある。ここでは先人の論治の長所と短所を分析し、景 岳自身の観点を提出している。

さらに彼は、先人の医案や自己の 「新案」をあげて例として、さらに後人を啓発しようとしている。

そして最後には、各種別に使用している方剤を列挙して、検索に 便ならしめている。

ここで取りあげられている症例は非常に広範 でありながら充実しており、その内容も深く詳細に分析されてい る。






《婦人規》の二巻は、婦人における経〔訳注:生理〕・帯〔訳注 :帯下〕・胎〔訳注:妊娠〕・産〔訳注:出産〕における諸疾患 および胎児の生育等の事象について、陳自明の《婦人大全良方》 の論から多く採用して論述している。






《小児則》の二巻と《痘疹詮》の四巻は、小児の生理的状態と病 理的状態の特徴について詳しく論じ、よく見られる病証に対する 治療法から、麻疹や痘瘡その他の特徴的に斑疹を発する病証につ いてその弁証と治法とを披露している。この節の内容の多くは、 陳文中と万密斎の説から多く採用している。






《外科鈐》の二巻は、総論・癰疽・瘡瘍・楊梅瘡等の四十多種に わたる外科の病証について、その治法と方薬とを包括的に論じて いる。この節の多くは薛立齊と陳自明の方法を用いている。






《本草正》の二巻は、常用される薬物三百種を取り上げて、その 性質や効能について分析して論じている。なかでも人参・熟地黄 ・附子・大黄の効能については特に詳しく論じられており、彼に よってはじめて明確にされたことも多い。






《新方八略》と《新方八陣》の各々一巻は、彼が平生治療にあた って効果をあげることができた自製の処方一八六首について、兵 法八陣の説にならって補・和・攻・散・寒・熱・固・因の八法と して分類して八類とし、用薬に用兵の意味を持たせようとしてい る。

『古には兵法の八門があったが、私には医家の八陣がある。 一を八とするところに神の変化があり、八を一とするところに淵 源に溯る思いがある』。

この中の少なからざる方剤は、今日の臨 床上でも非常に広範に活用され、優れた治療効果をあげている。

これは確かに景岳自身が『これらの処方は私が用いた中でも非常 に満足しているものであり、その効果も経験済みであって、古の 処方のうちで完備されていないものを補ったものである。』と説 いているとおりの所である。






《古方八陣》九巻は、古方一三八四首が採録されており、《新方 八陣》と同じように八陣に分類されている。

《古方八陣》のうち の《婦人方》《小児方》《痘疹方》《外科方》は全部で四巻にお よび、七四二首の処方が掲載されているが、この四科に使用され る処方はまとめて列挙されており、人々の検索の便を図っている。

以上の両項をあわせると、古方のうち二一二四方が採録されてい ることになる【原注:相互に重複しているものは除去している】






この外、病証の治法を述べた後には、鍼灸方における選用穴位を 列挙している部分も少なくなく、さらには刮〔訳注:瀉血法〕 ・按摩・導引等の治療法にも言及されている。






このように《景岳 全書》はいわば古今の治療法を網羅し、詳細にして万全な完備が なされている書物であり、これはまことに『諸家の論旨を決して、 この道の集大成とした』と査嗣(王栗)が序で語っている通りの著 作であるということが理解されるであろう。







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