陽気重視・温補強調



生理学的には陽気を重視し
治療上では温補を強調した



金元時代、劉河間は暑火を中心とした論を立て寒涼の剤を用いて 攻伐の治療を専ら主とし、朱丹渓は『陽は常に有余し、陰は常に 不足する』と、陰虚火動の説を唱え苦寒の剤を妄りに用いるとい った、治療に対する偏った見方が横行していた。

これに対して景 岳は戒め、『陽は有余しているわけではなく、陰もまた不足して いる』という説を提出した。

つまり、陽気というものには生命活 動を主導する中心的な役割があるのであるから、陽気を温補する こと自体に非常に重要な意義があるということを明確にし強調し たのである。






彼は《伝忠録・陽不足再弁》の中で、『人の重んずべきところの ものは生である。何によって生きるのか、陽気である。陽気が無 ければ生は無い。もし長生きをしようとするならば、この陽気を 宝として大切にし、陽気が欠けることがないよう日々気をつけて いかなければならない。』と述べており、また『死生の集散によ ってこれを説明すると、そもそも精血が生ずるのはすべて陽気が あるためである。陽気を得れば生き、陽気を失えば死ぬ。これが 実に性命の化源であり、陰陽の大綱なのである。』と語っている。

陽気を温補することを重視する理論こそが、張景岳の医学理論の 基礎であり指導的思想であると我々が考えている根拠がここにあ る。






彼はまた《類経附翼・求正録・大宝論》の中で『そもそも万物が 生ずるのは陽により、万物が死ぬのもまた陽による。陽が無くな るために物は死ぬことができるのである。陽が来れば生じ、陽が 去れば死ぬのである。』と述べ、この問題が人体の狭い枠内の問 題ではないということを明確にしている。

さらに彼は、《素問・ 生気通天論》中の、『陽気は天における太陽のようなものであり、 その機能を失調すれば、長生きすることができず元気もなくなる。』 『陰陽の要は、陽が密であることであり、そうであれば心身がし っかりする。』等といった記載を基礎として、陽気が一切の生命 活動における中心となるものであり、陽気が元気一杯に機能して いればそれで充分であると考えた。

彼は、『得難くして失い易い もの、これが陽気である。失ってしまえば復し難いもの、これが 陽気である。陽が有余するなどということは、有り得ないのであ る。』《陽不足再弁》と語り、また、《求正録・真陰論》で は、『いわゆる真陰の病のものとは、もともと陰気が有余するこ となどないのであるから、陰病のものはすべて不足の病である。』 と述べて自説を補強している。






このようにして彼は、朱丹渓の『陽は常に有余し、陰は常に不足 する』という説に対して明確に反対し、『陽が有余することはな い。陰もまた不足している』として論陣を張ったのである。

彼は、朱丹渓が黄蘗や知母などの苦寒陰涼の剤を補陰の聖薬として習慣 的に用いていることに対して大いに異議を唱え、『黄蘗はただ降 火することができるだけで陰を補うことなどできないのである。 もし黄蘗を陰を補うためと考えて使用するなら、その生気を傷め ることによってその精血をますます消耗させていくことになるの である。このような剤である黄蘗を、陰を補うものと語ることは、 極めて大きな誤ちであると言わねばならない。』《伝忠録・丹 渓を弁ず》と断じ、

また《求正録・真陰論》では、『沈寒の性 質を持つ剤には生を補うという効果は全くない。そのような剤は ただ陰を補うことができないだけでなく、真火をもうち負かすこ とがある。もしこれをしばしば用いると、精を寒やして子供がで きなくなることが多く、また真元を損傷しなかったものは無い。』 と述べ、

さらに《大宝論》のなかではこれらの説をまとめて、 『天の大宝はかの旭日太陽である。人の大宝はまさにかの真陽で ある。陽は常に有余すという言葉に執し、苦寒の剤を用いてこの 陽気を伐ろうとは!生を養おうとするものがこのようなことをで きるだろうか?』と明確に語っている。

この《景岳全書》を代表 として景岳の全ての著述がこのような一筋の学術的観点によって 貫かれているが、これこそ彼が立論し治法を述べる際の指導的思 想なのであり、かつ彼独特の学術的特徴なのである。

この観点が 治療上に反映されているため、温熱によって陽を補うことが重視 されて多用され、本草に註する場合には人参や附子の用い方につ いてことに詳しくなり、立方用薬においてもまた温補の剤を施す ことが多くなるのである。






このような事実から、後世の医家達は景岳を温補学派の代表的な 人物とし、その思想にある種の偏りはあるけれども道理がないと 断ずることはできないといった評価を与えることになった。

たと えば《四庫提要》ではこの張景岳に対して、『金元以来守られて きた河間劉守真の諸病は皆な火に属するの論、および丹渓朱震亨 の陽は有余し陰は不足すおよび陰虚火動の論に対して、後人は成 方に拘わって虚実を審らかにすることができなくなり、寒涼の剤 によって攻伐を加え、治療しようとすれば誤ちを犯していた。景 岳はこの偏向から人々を救おうと努めた。・・・(中略)・・・ そのため専ら温補を用いることを中心として、歯莽滅裂の蔽を糾 し、医術における治療効果を向上させたのである。』と、肯定的 な評価を与えている。







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