道家と道教





道家と道教とは異なります。道家について《史記》の自序(淮南王劉安の死後30年たって完成された)には『道家の術たるや、陰陽の大順に因り、儒・墨の善を采(と)り、名・法の要を撮(おさ)め、時と与(とも)に遷移(うつ)り、物に応じて変化す。俗を立てて事を施すに、宜しからざる所なし。』〈淮南子の思想:金谷治著 講談社学術文庫242ページ〉とあります。

言葉を換えていえばこれは道を求める姿勢を説いた求道の一派であったと言えるでしょう。このことは、偏ることなくできる限りの情報を集めて、その統合的な読み方を〈道訓〉として示している《淮南子》の構成方法にもみてとることができます。道を求めるためには判断以前に情報を収集しそれをさらさらと拘わることなく分析し本質を開示するという方法が必要です。そのことを道家は老子の心の位置すなわち恬憺虚無においていたわけです。このように考えると、治水に成功して国を初めて作った黄帝がその道家の成功事例として尊崇されていることもよく理解できます。

道家はいわゆる教えではなく、教えを求める求道の姿勢を説く者たちでした。それは学ぶ姿勢であることから、自ら積極的に事に及んで対処することを回避する傾向があります。この状態を無為自然の道とか、恬憺虚無なれば真気これにしたがうなどと言って自己正当化しているわけです。これに対して儒教は、その歴史を解釈することによって現在の状況を判断し、よりよい未来を作り出すために積極的に実事へ介入します。このことから為政者はこれを採用することが多かったわけですが、実はその奥には、本当にこれでよいのか本当の道とは何かといった不安が潜んでいました。そのことが、一線を離れた政治家が道家思想へと回帰していく理由となったわけです。このことを、道家と儒家との思想的な対立として把握することは、全くナンセンスなことであると言わなければなりません。







道家の意識の持ち方について《淮南子》では名臣 伍被の言葉として《書経》や《孟子》の文に親しんで、「古えの道」「君臣・父子・夫婦・長幼の序」を貴ぶ儒家的な教養を修めることを基本としています。そしてさらに、「みみ聡き者は無声に聴き、め明らかなる者は未形に見る」「天の心に因りて動作す」〈同上52ページ〉と述べています。

道を求めるものは、まずその基本的な姿勢として現世における秩序を重んじそれにしたがって生きる道を修得しなければならない。さらに道を進めて生きることの本質を明らかにしていく才能がある者は、無声を聴き無形を観るように努めなければならないと述べているわけです。

前漢時代の初期のこの道家の姿勢が、仙道を受容するに至ることはいわば当然の成り行きと言えるでしょう。そして儒教の基本を喪失した者が浮遊せる魂としての仙人の道に入っていき、不老長寿を求め巫呪や讖緯による現世御利益を求めるような宗教に身を落としていったということもまた自然の成り行きであったと言えます。

道家と呼ばれた黄老道はこうして200年後の後漢に入ると政治術としての機能を全く失い、『1、清静寡欲を旨として盈満を避ける処世術、2、神仙術、3、無為自然の自然哲学、そして4、祭祀の対象』《中国思想における身体・自然・信仰》〈後漢黄老学の特性:池田秀三〉2004年8月刊行 625P 東方書店

となっていったわけです。









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