道家と仏教





仏教が支那大陸に伝来したのは、おそらくはシルクロードを通ってのことであるということは、現代に残る仏教遺跡群をみても理解できます。その時期は前漢にまで遡ることでしょう。けれども確かな証拠として現れているのは後漢の初期にあたる紀元65年、楚王の劉英が黄老の言を誦し仏陀を祠っていたという記載〔注:《後漢書》〈楚王英伝〉〕が嚆矢となります。この当時は道家という言葉は黄老という言葉と同じ意味で用いられていました。

後漢末におこった道教は、それまで伝来していた呪術や讖緯説や神仙説を、神仙化させた老子の思想をまとわせ、仏教と対抗するためにその仏教の教理や教団の作り方などを遠慮なく借用し、「換骨奪胎してわがものとした。これが組織宗教として完成した道教の姿」〔注:『老子・荘子』森三樹三郎著:講談社学術文庫313ページ〕でした。とはいっても道教という言葉は六世紀頃までは普通名詞であり、いわゆる道教以外に儒教も神仙道も黄老道も道教と呼ばれ、仏教も道教と呼ばれていました。つまり道教という言葉は「道の教え」「真理についての教え」という意味だったわけです。

現代の求道者が遭遇するように、古代においても多くの思想が存在しており、縁によってその一端に触れた後も道を求める者にとっては、言葉化される以前の「道そのものへ」と自己の陶冶が続けられていたとみるべきでしょう。そこには現代の思想家や教授たちが論ずる思想の区別などまったく些末なことであり、その奥へ「存在そのものの歓喜の中へ」と求道者が突入していったことでしょう。その時にあたってどのような思想を着用するかということは、やはり、化粧にすぎない些末なことなのです。己が何者であるかを表現するためにその場にある言葉を採っただけのことなのですから。









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