一元流鍼灸術の実際


中医学大交流会鍼灸部会 講演記録



基礎概念



医学は人間学である



東洋医学は生きている人間をありのままに理解するための技術であると私は考えています。このことについて1989年に『臓腑経絡学ノート』の編集者序として以下のように私は書いています。

『医学は人間学である。人間をどう把えているかによって、その医学体系の現在のレベルがわかり未来への可能性が規定される。また、人間をどう把え人間とどうかかわっていけるかということで、治療家の資質が量られる。

東洋医学は人生をいかに生きるかという道を示すものである。天地の間に育まれてきた生物は、天地に逆らっては生きることができない。人間もまたその生長の過程において、天地自然とともに生きることしかできえない。ために、四季の移ろいに沿える身体となる必要がある。また、疾病そのものも成長の糧であり、生き方を反省するよい機会である。疾病を通じて、その生きる道を探るのである。』と。

この考え方は今に至るも変わらず私の臨床と古典研究とを支えています。



弁証論治



皆様は、抄録をどのように読んでこられたでしょうか。抄録を読むということは、言葉を通じて、作者の思いを理解しようとすることです。

これに対して弁証論治は、四診を通じて、身体の言葉を聞き理解しようとすることです。

情報をどう理解し、その本来の意味、本当に言いたいことを洞察していくのかということは、病因病理を考えるということです。

その本当の状態を把握し、そこにある矛盾に気づき、それを解決する方法を考えていくことは、証を定め、治療方針を決定していくということです。

弁証論治は、ものごとを理解し、問題を把握し、その解決方法を探る技術の一つなんです。







一元流鍼灸術は、この弁証論治の方法論にもっとも特色があります。

まるごと一つの生命がそこにあるということを基本として人間を見つめるところからこの特色は発生しています。

気一元の観点に立つというこのことは、まるごとひとつの生命を時間と空間という側面から大きく把握しようとします。

時間的な側面から把握する方法論として、時系列の問診があります。成長過程を含めてその生命状況の変化をみていくものです。

空間的な側面から把握する方法論として、現状の問診およびその他の切診があります。これまで生き続けてきた生命の「現在の断面」をみていくものです。

このようにして人間を診、気一元の生命の流れの終端にある「現在」の解決課題として疾病を把握し、その治療方法を探っていきます。

1、東洋医学の伝統である四診にしたがって得た情報を、

2、臓腑経絡学を基本として把握しなおし、

3、その相互関係を見つめながら病因病理を考えて、

4、処置を決定する。

これが実際の具体的な流れとなります。

大切なことは、これらのすべての段階において、気一元の身体観を徹底させるということです。これが一元流鍼灸術の特色です。



気一元として観る



もっとも基本的なことがこの、気一元の観点から観るということです。気一元の観点から観るということは、全体観を大切にするという言葉と似ていますが、少し違います。個別のものを積み上げて構成される全体を観るのではなく、初めに一として観る範囲を心の内に括り、そこから観ていきます。

陰陽や五行という概念で一を観るとき、そこに(あわい)があり、それこそが大切なのだということがこの観方で始めて理解できます。

存在を理解するために陰陽五行という概念があります。しかしこれは概念が先にできたのではなく、存在するものを見つめ続けた果てに揺らぎながら立ち上ってきた概念であると私は把えています。

言葉を替えて言ってみましょう。陰陽五行というのは抽象的な概念だと思われるかもしれません。がしかし、それはすでに陰陽五行という言葉が存在し成立している側から観ているためです。陰と陽とを積み重ねても、生きとし生ける気一元の生命にはたどり着きません。木火土金水の五行を何万回積み重ねても、生きとし生ける気一元の生命にはたどり着きません。生命を感じ、生命そのものに参入し、それをなんとか少しでも理解して整理していきたいという情熱が、陰陽という概念(切り口)を生み出し、五行という概念(切り口)を生み出したのだという、その原点に帰らねばなりません。



人間観は陰陽五行



太極図

陰陽五行という概念を使って観るということに関して体系的に整理されたものとして「太極図」があります。これに関して詳細は『一元流鍼灸術の門』に記載されておりますので参照してください。そこで書かれていることで最も重要なことは、この図を生成論としての解釈するのではなく存在論・認識論として解釈しなおしていくということです。ここにおいてはじめて、統一的な人間理解の方法論として陰陽五行が立ち上ってくることとなります。

このような気一元の観点と陰陽五行の使い方を身につけたときに立ち上るものは、古色蒼然とした五行論ではありません。存在そのものをありのままに理解する際、すなわち臨床において、人間理解のための鋭利な刃物を手にすることができるわけです。

刃物は、研ぐためにあるのではありません。ありのままに人間を理解しようとするその意欲に従って、その刃物は自然に鋭利になっていくものです。その刃物は、切り分けのためにあるのではなく、すでに分かれているところを明確にするためにあります。目的は、分けるところにあるのではなく、存在そのものを理解するためにあるわけです。

人間理解のためにそれはあるわけですから、そこから生じるものは、硬く身動きできない規律ではなく、一定の秩序だった観点から眺めることのできる人間の活き活きとした姿であり、そこにかかわる治療家に対して自由自在な手段を与えるものです。

このゆえに、一元流鍼灸術は、気一元の東洋医学の観点に立ちながら、カイロであれマッサージであれオステオパシーであれ指圧であれ、あらゆる治療概念をしなやかに受け入れ消化する胃袋を有するものとなっているわけです。







はじめに

基礎概念

一元流鍼灸術の実際

基礎的な人間観

まとめ











一元流
しゃんてぃ治療院