3、営衛を主宰する臓と営衛の分布






営衛を主宰する臓が心と肺であるということは三二難に述べられているわけですけれども、営衛が全身に充満しているということは、《霊枢》に述べられている通りです。

また《霊枢:経脉》においては、経脉が属絡する場所として臓腑を置いているわけですから、営衛が臓腑を涵養していると考えるべきでしょう。

このように考えるとき、《三二難》における難経鉄鑑の注『外周の経脉は上位にある心肺が主るものですし、内養の精血は下位の腎肝の主る所です。』という言葉の意味は、内外を主る臓について述べているものであり、営衛そのものは内外を問わず全身にに充満しているということが暗黙の前提とされているものであると理解しなければなりません。

すなわち、営衛という概念を、気一元の身体の陰陽概念として把えるということが基本的な姿勢となるということです。

このような観点から見ると、難経鉄鑑の広岡蘇仙の肝血に対する理解、

『心血は経脉を行り、外を潤し雨のような状態です。肝血は臓腑を潤し、内に湛えられていて池や沼のような状態です。ですから血海と名づけられています。血そのものはひとつですが、その用が異なっているのです。』《難経鉄鑑:三二難:広岡蘇仙注》

は、営衛のうちの営血をさらに位置の陰陽で分けて述べたもの、すなわち営衛よりも一段陰陽のレベルの狭いものであると理解できます。







2005年 4月22日 金曜   BY 伴 尚志


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