5、濁気が衛・清気が営の意味






『その清なるものを営とし、濁なるものを衛とします。』《霊枢:営衛生会》《難経:三十難》

衛が上焦から出るという説を唱える場合、この言葉をどのように解釈するのでしょうか。心肺が他の臓腑と膈によって隔てられている理由は、その清陽の気を守るためです。もし衛が上焦から出るのであれば、濁気が上焦から出るということになります。このことにいかに答えるのでしょうか。

『栄は水泉のようなものなので清と言い、衛は蒸霧のようなものなので濁と言います。』《難経鉄鑑三十難の注》というふうに、濁の意味を無理に変えるしか説明することができなくなります。

これが、衛は下焦に出ると考えると、矛盾なく説明できます。まるで泥の中から蓮の精気が上りきたり華蓋という水面においてその華をいっぱいに咲かせるように胸中に宗気を満たし、その気をふたたび泥中に循環させて生命をつないでいく姿が、ここで見て取ることができます。古人の美しい観想であります。

衛は地気が蒸騰したものなので、その出自によって濁とされ、営は天から降下したものなのでその出自によって清とされる。井泉は天の化物であり、雲は地の化物であるということと同じ。これはまた、地天泰の爻辞に合するものであって、ここによって初めて天地が交流し生命が育まれるわけです。







2005年 4月22日 金曜   BY 伴 尚志


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