難経鉄鑑 叙由5




答えて曰く。《難経》は至簡の書〔訳注:極めて簡潔に書かれている書〕です。もしこれを詳細に解説していかなければ、初学の人は理解することができないでしょう。そして失望し、「この書はあまりに簡略で、詳細ではない。何かこれを補って説明している書物はないだろうか」と言うでしょう。これは真に悼ましいことです。そのため私はこのように経典の言わんとすることを拡充して説き明かし、言外の意味についてまで語り尽そうとしているのです。孔子は、「予を起すものは商なり」と語っています。〔訳注:商とは孔子の弟子の子夏の本名。孔子は子夏との問答に啓発され、詩経について論じました〕これによって《詩経》〔訳注:中国古代の詩集で、儒教の五経の一つ〕に書かれている言外の意味を説くようになったのです。

人々はもしかしたら私が憶測をたくましくして語り過ぎ、越人の本旨と違えるようになったと語るかもしれませんが、それもまた良いでしょう。また、私の説と越人の説と符合しない部分もあるかもしれませんが、済世の事において〔訳注:治療を施して世の人々を助けていく上で〕利用することができる部分が少しでもあれば、それだけで越人の慈悲心とは符合していると思います。

医学を学ぶ際には論争することをその方法論とするのではなく、好生起死〔訳注:生命を慈しみ病から救い出すこと〕をその心とすることが、越人の徒たる姿であろうと考えているわけです。


享保乙〔訳注:巳の誤り〕〔訳注:享保巳酉は一七二九年〕

復月上澣


大坂百丈翠洞金華直  記


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