第十二難の検討:実実虚虚の問題



八一難の実実虚虚関連として、十二難を取り上げます。




思想地図においては、前者は、《提綱》に、後者は《陰陽》に分類されています。十二難の方が、陰陽に分けた上での原則を述べている部分が多いためです。

ただ、この、実実虚虚の戒めを傷ることによって患者さんを傷つけることが、医者の罪であるということに対して、『このような治療によって死んだ場合は、医者がこれを殺したのです。 』〔注:十二難〕『実を実し虚を虚し、不足を損して有余を益すというのは、中工が害する所です。 』〔注:八一難〕というふうに、両者ともに警句と言えるほどの強い言葉で触れられていることには、注意を要する所です。




十二難八一難との相違点



同じように実実虚虚の戒めを述べている十二難と八一難ですが、その違いはどこにあるのでしょうか。そのことについて検討を加えていきます。

八一難では、『病に自ずからある虚実のことを言』っているとして、七五難の『東方が実し西方が虚した場合には、南方を瀉して北方を補う』という補虚瀉実という実際の治療方法という観点から触れられています。これは、内傷性の病における臓気のアンバランスを整えるという観点から述べられているため、警句の語調も十二難に比較するとやや弱くなっています。

それに対して十二難では『五臓の脉がすでに内に絶しているものとは、腎肝の気がすでに内に絶しているもののことです。にもかかわらず医師が反ってその心肺を補うのです。五臓の脉が外に絶するものとは心肺の脉が外に絶しているもののことです。にもかかわらず医師が反ってその腎肝を補うのです。 』と、先ず脉状を考慮に入れてから、陰=内=腎肝の脉の絶〔注:《難経鉄鑑》においては沈位の脉が触れないもの〕(対)陽=外=心肺の脉の絶〔注:《難経鉄鑑》においては浮位の脉が触れないもの〕の問題として触れられています。これは、脉が絶しているという危急の状態について述べられているため、警句の語調も八一難に比較すると厳しくなっています。

実実虚虚への戒めという観点から見ると同じようにみえる両難ですが、八一難では「内傷性の病における臓気のアンバランスを整えるという観点から」述べられており、十二難では「脉が絶しているという危急の状態について」述べられているというふうに基本的な違いが、両者の間にはあります。

以上の相違点を踏まえた上で、十二難の解釈について述べていきましょう。







実実虚虚:重竭と厥逆



十二難の始め、『経に、五臓の脉がすでに内に絶している者に対して鍼を用いるものは、反ってその外を実せしめることになり、五臓の脉がすでに外に絶している者に対して鍼を用いるものは、反ってその内を実せしめることになる』という言葉は、《霊枢・九鍼十二原》に対応していると言われています。これは、《霊枢》において、実実虚々の戒めが述べられている所でもありますので、それについて詳しく検討していきます。

以下の文章では、《霊枢・九鍼十二原》と、それを解釈しているとされている《霊枢・小鍼解》を訳出しています。さらに、それらを解釈している、張景岳の《類経》の該当箇所を訳出しました。

上記の基本文献の他、歴代の解釈も参考にしながら、それぞれの矛盾点を明確にし、《霊枢》の二篇の文言と《難経》の文言とが、ほんとうに対応しているのかどうか、《難経》はいったいどのような位置にあるのかということを検討していきました。

その作業の結果、《難経》十二難は、《霊枢》の二篇の文言に正確に対応しているものではなく、《霊枢》二篇の繁雑な概念を単純化して、臨床に使いやすいものとなっているということが判明してきました。




基本語義


訳してしまうとちと原義を失う気がするので、そのままの文字を使用した言葉の意味をここに出しておきます。始めの言葉は、私が文脈から導き出したものです。

【致す】導く:『いたす・おくる・きわめる・おもむき』『もと矢の至るところに、人の到ることを示す字である。』〈《字統》白川静著:平凡社刊〉

【至る】導き出される:『いたる・およぶ・きわまり』『卜文・金文の字形は、矢が飛んで行って到達するところを示して』いる。〈《字統》白川静著:平凡社刊〉

()きる】欠ける:『つきる・ほろびる』『その位置するところを失う意』〈《字統》白川静著:平凡社刊〉




導入部



『まさに鍼を用いようとする場合には、必ず先ず脉を診、気の劇易を見定めてから処置しなければなりません。』《霊枢・九鍼十二原》

『病の虚実はわかりにくいものです。ですから必ず診脉してこれを理解するようにしなければなりません。ですから、鍼を用いようとする場合には先ず脉を診、その軽重を観察して処置を決めなければなりません。そうでなければ誤診によって人を殺すことにもなるからです』《類経六十・用鍼先診反治為害》

〔伴注:ここはまぁ、拘わるところでもないでしょう。〕




重竭(じゅうけつ)の場合の治療とその意味



〔伴注:これは、十二難にいわゆる『陰絶のものに対してその陽を補う』という誤治の、考え方に対応している文章であると考えられます。〕




《霊枢・九鍼十二原》



『五臓の気がすでに内に絶しているにもかかわらず鍼を用いようとするものが反ってその外を実する場合、これを重竭(じゅうけつ)と呼びます。重竭のものは必ず死にます。その死に方は静かです。』《霊枢・九鍼十二原》

『臓気がすでに内に絶していますので陰虚です。その状態に反してその外を充実させたため、誤って陽を強くしてしまったものです。陽が強くなったことによってますますその陰を損ないました。これを重竭といいます。陰が竭きますので必ず死にます。その死に方は静かです。』《類経六十・用鍼先診反治為害》


『これを治療しようとしながらその気に反して腋や膺に取ったものです。』《霊枢・九鍼十二原》

『腋と膺とはともに臓脉の出る場所です。気が内に絶しているのにさらにこれを取ったために、外に気を致して陰がますます竭きます』《類経六十・用鍼先診反治為害》




《霊枢・小鍼解》



『いわゆる五臓の気が内に絶している場合には、脉口の気も内に絶していて至りません。』《霊枢・小鍼解》

『これは上文の意味を解釈しているものです。脉口が浮で虚、これを按じてなければ、これは内に絶していて至らないものであり、臓気が虚しているものです。』《類経六十・用鍼先診反治為害》


『反って外の病所である陽経の合に鍼を留めることによって陽気を致し、陽気が至ることによって内を重ねて竭きせしめ、重竭することによって死にます。その死に方は気が動ずることがないために静かです。』《霊枢・小鍼解》

『外は陽の部位です。陰気がすでに虚しているものに、さらに外に鍼を留めることによって陽気を致すと、陰がますます虚して気が内に竭き、気が動ずることがなくなるために、その死に方が静かになります。』《類経六十・用鍼先診反治為害》



〔伴注:陽実陰虚、ということになるのでしょう。陽実のものにさらに陽を実しさせるという誤治を施したということを述べています。

臓気が内に虚しているものに、体幹部とはいえその外縁に置鍼法によって鍼灸を施すと、内部のすでに虚している臓の気が外縁部に導かれることによって(陽気を充実させることにつながるため)、内の虚が増幅されると述べています。

私が外縁部と述べている理由は、四肢は陽気の活動する場所であると次に述べているのですから、なぜ、四肢ではなく敢えて腋や膺という場所を述べているのか、という点を疑問に思うためです。この論理で言うならば、四肢の方がより人を殺しやすそうであると思えます。

《九鍼十二原》では、『腋や膺』と述べている処置部位を、《小鍼解》では、『陽経の合』と言い換えています。

このことについて明代の馬蒔〔注:張景岳よりも少し前の時代の人〕は、『その外の病所と陽経の合穴を取る』と解説しております。が、陽経の合穴は、腋や膺に存在するのではなく、四肢に存在しているということから考えると、陽経の合穴というこの説には問題があると思われます。『腋や膺』にも施術するべからずと述べているところから解釈するならば、これは、もしかしたら、五臓の気が内に絶している場合には体表に施術するべからず、つまりは、治療してはいけないということを述べているようにも見えます。

現代の治療家であれば、それじゃ背部兪穴か腹部を用いる以外にないということですね、という理解がなされることになります。

まさか、四肢はいけないけれども、五行の陰経の経穴ならいいよんなどとは、この文言の中から読み取る人は、いないでしょうね。〕




逆厥の場合の治療とその意味



〔伴注:これは、十二難にいわゆる『陽絶のものに対してその陰を補』うという誤治の、考え方に対応している文章であると考えられます。〕




《霊枢・九鍼十二原》



『五臓の気がすでに外に絶しているにもかかわらず鍼を用いようとするものが反ってその内を実する場合、これを逆厥と呼びます。逆厥のものは必ず死にます。その死に方は(さわ)がしくなります。』《霊枢・九鍼十二原》

『臓気がすでに外に絶していますので陽虚です。その状態に反してその内を充実させたため、誤って陰を補ってしまったものです。陰を助けたためにますますその陽気を竭きてしまったために、四逆して厥します。逆厥していますので必ず死にます。その死に方は必ず躁がしいくなります。』《類経六十・用鍼先診反治為害》


『これを治療しようとしながらその気に反して四肢に取ったものです。』《霊枢・九鍼十二原》

『四肢は諸陽の本です。気が外に絶しているにもかかわらずその本を取ったために、陰気が至り陽がますます陥ります。』《類経六十・用鍼先診反治為害》




《霊枢・小鍼解》



『いわゆる五臓の気が外に絶し、脉口の気が外に絶して至らないものに』《霊枢・小鍼解》

『脉口が沈微で、軽く取るとなくなる、これは外が絶して至らないものであり、陽の虚です。』《類経六十・用鍼先診反治為害》


『反ってその四肢の兪穴を取って鍼を留めることによってその陰気を致し、陰気が至ることによって陽気が反って陥入させられ、陽気が陥入することによって逆し、逆することによって死にます。その死に方は陰気が有余となるために(さわ)がしくなります。』《霊枢・小鍼解》

『陽気がすでに虚しています。そこにさらに四肢に鍼を留めることによって陰気を致すと、陽気がますます竭き、必ず逆厥の病となって死にます。陽が陰に合して陰気有余となるために、その死に方は(さわ)がしくなります。』《類経六十・用鍼先診反治為害》



〔伴注:陰実陽虚ということになるのでしょう。抽象的な陰陽関係を頭に描いてみるとここは、不思議な言い回しになっています。

陽実陰虚の場合には、陽気をそのまま「間違えて」充実させることができると考えていたのに対して、陰実陽虚の場合は、陽気を充実させることはできず、四肢の陽の支配領域に鍼をすると陰気が内から引き出されてきて、陰実陽虚になると言っている(ことに景岳の注釈に明瞭です)。

《小鍼解》の説と、それをそのまま解釈している張景岳の解釈は不思議ですね。

陽虚のものに、諸陽の本である四肢を置鍼によって補うことによって陰気が充実すると述べています。

じゃぁ、陽気を充実させる方法はないというのでしょうか?

もし、諸陽の本である四肢を用いて陰気が充実するのであるならば、これは、陰虚陽実の重竭の時にはこのように処置するべしということなのでしょうか?

体幹の外縁でさえ陽気を充実させると述べているのですから、四肢はなおさら、と考えるべきではないでしょうか?

それとも、陰気を充実させるためには四肢に置鍼し、陽気を充実させるためには腋や膺に置鍼せよというのでしょうか?

これではますます、本末転倒した考え方となりますが。〕




重竭と厥逆のまとめ



よく考えてみると、この《霊枢》の文章をこれまで述べたように解釈することは、矛盾に満ちています。いったいこれが「誤治」と呼べるものなのでしょうか?

素直に考えるなら、陽実陰虚〔注:重竭〕であるならば、陽を瀉すか陰を補う。《霊枢》的に置鍼法を用いるのであれば、陰を補う部位、《霊枢》の対照のさせ方を借りるならば腋や膺に置鍼をするということになりましょう。逆に、陰実陽虚〔注:厥逆〕であるならば、陽を補う部位、《霊枢》の対照のさせ方を借りるならば四肢に置鍼するということになりましょう。

しかし《霊枢》では、これこそが誤治であると指摘されているのです。

真に不可思議ですね。







《霊枢》では、五臓の気が内に虚しているか外に虚しているか、ということで分けて考えています。これは実は、臓腑の表裏を考えていたり、五臓の中での内外を考えているのではなく、五臓の気によって構成されている一元の人体の気が内に虚しているか外に虚しているかということを考えているものであると、素直に考えれば取ることができましょう。






この解釈として隋代の楊上善は、『腎肝の気を陰とし内にある』とし『心肺の気を陽とし外にある』と、その《太素》の解釈で述べていますが、これは、《難経》の説をそのまま採用したものでしょう。論理に飛躍がありすぎることから理解できます。






明代の馬蒔は、『この節の脉口の気が内に絶して至らないものを陰虚としていますが、理論的にはこれは陰を補うべきところであり、すなわち臓を補うべきです。脉口の気が外に絶して至らないものは、理論的にはこれは陽を補うべきところであり、すなわち腑を補うべきです。《難経》では、寸口の心肺を外とし陽とし、尺の腎肝を内とし陰としていますが、これは臆説です』と注しています。

しかし、五臓の気という言葉で気一元の人体を代表させていると考えるならば、この馬蒔の注も、臆説に属すると言うべきところです。






清代初期の張志聰は、重竭(陽実陰虚)について、『これは、五臓の陰が中焦の陽を生じるにもかかわらず、その陽を外に致したために内に重竭を引き起こしたものです』と解説しています。

中焦の陽気すなわち胃の気をもって解釈しているところがおもしろいですね。

また彼は逆厥(陽虚陰実)について、『これは陰が内にあり陽が外にあるところの、陽気を内に陥入させてしまったために逆したものです。』と述べています。

張景岳の解釈と通じるもので、《小鍼解》に基づいて解釈すると、やはりこのように理解するしかないところです。







《霊枢》では、処置部位として、腋や膺と、四肢とを対照させています。腋や膺は体幹を指し、四肢はそれを指し、置鍼術においては腋や膺は陰を補う部位、四肢は陽を補う部位と考えていくと、もう少しすっきりしてくると思います。陰虚陽実の場合は体幹に処置して陰を補い、陰実陽虚の場合には四肢に処置して陽を補うということが《霊枢》の文脈に沿った治療になりましょう。

しかしこれに対して、それぞれ重竭、逆厥と名づけて誤治としていることに対しては、なんらかの作為を感じないわけにはいきません。

重竭の場合は陽実陰虚で誤治によって陰虚が進み死ぬときは静か。逆厥の場合は、陰実陽虚で、誤治によって陰実が表面に出てきて死ぬときは躁がしい。という観点からまとめてきましたが、これは、もしかしたら、重竭の場合は陽虚になってしまったのであり、厥逆の場合は陰虚になってしまったものであるとも、その死に方をみると考えられるかもしれません。しかしこの考え方では、《霊枢》の文章の流れからは大きく乖離してしまいますね。







清代中期の徐霊胎はその《難経経釋》の中で、《九鍼十二原》の解釈と考えられている《小鍼解》の言には目もくれず、ただ《九鍼十二原》だけを引用し、さらにその中の、『これを治療しようとしながらその気に反して腋や膺に取ったものです。』『これを治療しようとしながらその気に反して四肢に取ったものです。』という部分を、読み替えて、『内に絶しているものは陰虚ですで、腋や膺を補います。臓気の出るところだからです。外に絶するものは陽虚ですので、四肢を補います。諸陽の本だからです。治療法としては全く明瞭です。』と述べ、《霊枢》がもたらした混乱を軽々と乗り越えています。

そうか、この手をやってしまってもいいのかって感じですね。でも、《内経》に添うという徐霊胎の基本方針はどこに行っちゃったんでしょう?







十二難と《霊枢・九鍼十二原》



さて、実実虚虚の弊害ということで、《九鍼十二原》《小鍼解》の文言と、《難経》の文言とは似ているのですが、しかし、その内容については、大きく異なると言わなければなりません。少なくとも《霊枢》においては、五臓の「気」が内に虚しているか外に虚しているかという全身的な観点から述べられているのに対して、十二難では、五臓の「脉」が内に虚しているか外に虚しているかという寸口の脉という全身を集約させたと考えられる一部分だけを診ることによって、五臓の内部の陰〔注:腎肝〕〔注:心肺〕の位を定め、その間の気の偏在という観点から述べられています。

もし、冒頭の、『経に』という言葉が、《霊枢・九鍼十二原》をそのまま指しているとしたならば、これはまさに、経典の読みが浅いと言われなければなりません。






このあたりのことを徐霊胎はやはり批判しています。

《難経》では、『今、「気」の字を「脉」の字に変えていますが、これはすでに支離滅裂に属するものです。さらに、心肺を外とし、腎肝を内としていますが、すでに五臓の脉と一括して述べているのですから、心肺肝腎の脉はその中に存在していることになります。しかしこれをそのまま、外絶を心肺を指すとし、内絶を腎肝を指すとする理由はどこにあるのでしょうか?そもそも陰陽内外にはさまざまな意味がありますので、心肺を外とし腎肝を内とするという一つの説に執着するべきではありません。要は五臓を分けて述べるのであれば腎肝は内にあり心肺は外にあり、合してこれを言えば五臓にはそれぞれに内外があるというだけのことです。』《難経経釋》と。

〔伴注:徐霊胎の基本方針である《黄帝内経》で《難経》を解釈するという方針はともかく、徐霊胎も、十二難で述べられているように、《霊枢》をはるかに簡略化してこの陰実陽虚・陰虚陽実の問題を把えていることがわかります。

実は徐霊胎の《九鍼十二原》の誤読も、《難経》の単純化作業の影響があると思われますね。〕






十二難は、実は、この難の位置である脉法に分類されるものではなく、六十難あたりの鍼法の範疇に入れて考えるべきであるという説があります。

それに対して、《難経鉄鑑》では『本文にも五臓の脉という言葉を用いています。つまり、脉を主として考えているわけです。』と、明確に否定しています。実はこの部分も、治療法を述べていると思われる《九鍼十二原》との大きな差異です。

あくまで脉診としてみると、この難は五難における菽法を用いていることは『内外』という言葉を用いていることから理解されます。五臓を診脉する位置を、術者の指で按ずる圧力に求めているのですね。このことに関する異論は、私が目を通した文献の中にはみられませんでした。

まぁ、菽法とは、深さを五段階に分け、それぞれを肺心脾肝腎にふりあてていますが、ここでは、内外という形で二分〔注:あるいは中を入れることで三分〕されていると考えられているところが大きな違いではあります。






また、その治療法について、この難では《九鍼十二原》のようには深く触れていません。このあたりを、徐霊胎は単純化して、腋や膺といった体幹を補うものは陰を補うものであり、四肢を補うものは陽を補うものであるとしているわけです。十二難で、徐霊胎ほどは単純に述べられていない理由の一つに、実は、陰を補う・陽を補う方法にはもっとさまざまなバリエーションがあるのだよ、ということを示唆していると考えることもできるでしょう。

このことは、八一難において実実虚虚の弊を戒める場合に、『病に自ずからある虚実のことを言うとは、たとえば、肝が実して肺が虚してる場合、肝は木であり、肺は金ですから、金と木は更々平となります。金が木を平するということを知っておかなくてはなりません。またたとえば、肺が実して肝が虚し微少の気となっている場合、鍼を用いてその肝を補わずに反って重ねてその肺を実してしまう場合があります。 』と述べて、体幹と四肢という区分ではなく、臓気のバランスの問題で把握し直しているということからも理解されます。






清代末期の葉霖は、《難経正義》の中で十二難の解釈を試みています。彼は、《九鍼十二原》《小鍼解》を引用した上で、『これは脉口の内外で陰陽の内外虚実を述べているものです、間違えないようにしてください。越人は、心肺腎肝を陰陽に分けています。心肺は膈上に位置し、天気に通じます。心は脉を主り営となり、肺は気を主り衛となります。営衛は浮いて皮膚血脉の中をめぐりますので、外と表現しています。腎肝は膈下に位置し、地気に通じます。精血を蔵し、骨髄を満たしますので、内と表現しています。』と詳細に述べています。

これは、臓象理論にしたがって、十二難を解釈し直そうとしたものですが、この一点に拘わりすぎると、全体を見失う危険がありますので注意が必要です。徐霊胎の言の程度で、漠として把握した方が応用がきくでしょう。






現代日本の《難経の研究》にも目を通したのですが、これはあまりにも観念論的なので、ここには批判という意味からも採用する意味を見出せませんでした。







2001年 12月16日 日曜   BY 六妖會




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