第十七難の検討



第十七難の概要は、最後のところで広岡蘇仙が述べている、「陽病に陽脉を得、陰病に陰脉を得るものは順であり、気血がその常を得ているので生きます。これに反するものは逆であり、気血がその常を失っているため死にます。死生の要を知るということは、その陰陽順逆を知ることにほかなりません。」という言葉に集約されています。



この難を読むと、症状と、脉状と、臓腑とを関連づけ、その相互関係の順逆から、人の死生の順逆を判断することは本当に可能なのだろうか。という、基本的な疑問が生じます。

現代の東洋医学者であれば、そのような形式的な方法論を用いずに、病の順逆そのものについて研究されている書物がありますので、そちらを学習するほうが実用的です。

ですからこの難では、症状と脉状との関係からも順逆を把握することは可能だと古人は考えたんだよ程度の理解をすることができれば、充分ではないかと思われます。

つまりは、脉の大切さを主張している程度の難であるということですね。


けれどもせっかくですので、ちょっと詳細にみていきましょう。







扁鵲の六不治については、八一難ですでに学びましたが、再掲しておきます。

『またいわゆる扁鵲の「六不治」は、世に汎く警鐘を鳴らしました。生を慎もうとするのであれば、快く服さなければなりません。《史記》には扁鵲の言葉をこのように載せています、

『病には、六種類の不治のものがあります。驕恣で〔訳注:わがままかってに生きて〕理を論じようとしないものが、第一の不治です。
身体を軽んじて財産を重んずるものが、第二の不治です。
衣食が適切ではないものが、第三の不治です。
陰陽が併さり臓気が定まらないものが、第四の不治です。
形が羸痩していて薬を服することができないものが、第五の不治です。
巫を信じて医を信じないものが、第六の不治です。
このうちの一つでも該当すればその病は重症であり治療し難いものとなります。』と。

考えてみるとこの六種類は、一つめは驕奢で二つめは吝嗇であり、これは生来の気質の過ちです。
三つめは衣食が不適切なもので四つめは臓気が定まらないものであり、これは保養の過失です。
「陰陽が併さり」とは、経に言う所の、陰陽ともに盛なものと、傷寒による両感の類です。「臓気が定まらない」とは、覆溢や奪絶等の証のものがこれです。
五つめは薬を服すことができず六つめは医を信じることがないということですから、これは治療を受けつけないという意味での過失です。
医工はこの六種類を用いて病家に喩さなければなりません。このこともまた扁鵲の遺旨を祖述するということになります。』







『診察している時に、目を閉じて人を見ようとしないものは、肝脉で強急で長という脉状を呈しているべきです。』と、診察時の目の開閉だけで、肝の病症であるとしているのは非常に無理があります。

ただ、《難経鉄鑑》もそうですけれども、歴代の日中の解釈家は皆な、このことに異論を唱えることはせず、《難経》の記載を尊重して目は肝というあたりから、解釈しております。

さらに、肺肝相剋の相剋関係から、この逆証の説明をつけようとしているものが多いのは、まさに《難経》原文の中に記載されているからでしょう。このあたり、五行理論を使用して理屈づけているものには、滑伯仁の《難経本義》をはじめとして、現代中医学に至るまで、さらには日本の《難経の研究》までも含まれます。そのような相剋関係を用いての理屈づけに陥っていないという意味で《難経鉄鑑》は、唯一の書物と言えるでしょう。(ただし、この難のこの解釈についてだけですが)







『目を開いて渇し心下が牢い病人の脉状は、堅実で数を呈しているべきです。これに反して沈で微を呈しているものは死にます。 』

この段に関して、《難経鉄鑑》では、『沈で微の脉状を呈する場合は、真血が衰竭し孤陽が浮逆したためにこのような症状を呈しているものですから、死にます。 』と逆証の脉状の説明をしています。《難経》の記載を、どのように理解すれば理屈が通るのだろうかというあたりで考えているため(医家のほとんどはそのような姿勢で古典と取組むものでしょうが)、このような説明になっているものです。

これを、滑伯仁は《難経本義》で『実の病に虚の脉を得たものである』から死ぬと解釈しています。本間詳白の《難経の研究》・現代中医学の《難経校釋》人民衛生出版社:一九七九年第一版は、実は陽、虚は陰として、陰陽の不相応という観点から解釈しています。

このような文言の解釈を行う際に、陰陽という抽象的な言葉をもってくることは誤解を招きやすいと、私は思います。

滑伯仁の説明にあるように「虚」「実」程度にしておくべきなのでしょうが、その意味するところ同じです。


また、徐霊胎は《難経経釋》で、心の病に腎の脉を得たから、水剋火の関係となり死ぬと解釈し、葉霖の《難経本義》・現代中医学の《難経訳釈》上海科学技術出版社:一九八十年第二版(邦訳《難経解説》:東洋学術出版社)は、この説を採用しています。

しかし。そこまでこじつけてみても得るものは少ないと、私は思います。







『吐血し衄血する病人の脉状は、沈細を呈するべきです。これに反して浮大で牢の脉状を呈するものは死にます。 』

この段に関して、《難経鉄鑑》では、『このような状態にも関らず浮大で牢の脉状を呈するものは、陰が敗れて陽邪が実している状態ですので、真血が出て竭し、死にます。 』と説明しています。

滑伯仁は、これは、『脱血しながら脉状が実というのは相反しています』と解説しています。

徐霊胎は、『病虚脉実のために死ぬ』と述べ、《霊枢・玉版編》の類似の文言を引用しています。『衄が止まらず、脉が大きいものは、三の逆です』と。《難経校釋》《難経訳釈》も同じように解説しています。

葉霖は、陰病に陽脉を得たものであると解説して、徐霊胎と同じ文言を引用して参考に供しています。《難経の研究》も同じように述べています。


○《難経鉄鑑》の解説の光る所であります。







『譫語し妄語する病人の身体には熱があるべきであり、その脉状も洪大を呈するべきです。けれどもこれに反して手足が厥逆し沈細で微の脉状を呈するものは死にます。』

この段に関して、《難経鉄鑑》では、手足が『逆冷し沈微の脉状を呈するものは、真気が衰敗して虚陽が浮散したためにこのような』譫語し妄語する症状を呈したものあるから死ぬと解説しています。

滑伯仁は、これは、『陽病に陰脉がみられるのは相反しています』と解説しています。

徐霊胎・葉霖・難経訳釈はこれを、病実脉虚と表現しています。同じ意味ですね。

《難経校釋》は、熱病の陽証と、脉状の寒象・陰象との対比として表現しています。


○《難経鉄鑑》の解説は一番ていねいですね。







『腹が大きく泄する病人の脉状は、微細で渋を呈するべきです。これに反して緊大で滑の脉状を呈するものは死にます。』

腹が大きいという言葉が、腹脹を意味するということは、歴代の解釈で一致しております。

この段に関して、《難経鉄鑑》では、『緊大で滑の脉状を呈するものは、真陰が散亡して陽邪が実満している状態』なので死ぬ、と解説しています。

滑伯仁は、『洩れているのに脉状が大なのは相反しています』と解説しています。

徐霊胎・葉霖・難経訳釈はこれを、病虚脉実と表現しています。

《難経校釋》は脾腎の陽虚という証と、脉状の実象との対比として表現しています。


滑伯仁以下は、病の虚、脉状の実という対比で、これが不相応であるために死ぬのであるという解釈ですが、《難経鉄鑑》の解釈は、『真陰が散亡して陽邪が実満している状態』ということで、異彩を放っています。

腹脹を脾虚、泄するを脾虚の下痢と考えるなら、生気もどんどん泄れ出ている状況であると理解できます。それを、そのまま解釈すると、滑伯仁のようになります。さらに生体内がどのような状況になっているのかということを勘案して、陰陽離決の状況にあるとして説明すると《難経鉄鑑》のような解釈になります。ただ、『陽邪が実満』しているという表現は、全体の虚を中心にみていくと、今ひとつ説得力に欠けます。それじゃぁこの下痢は、実邪を排泄している下痢なんじゃないかという解釈も生まれてくる余地が出てきますものね。そうすると、逆証としてここで取り上げている意味がやや薄くなってしまいます。《難経鉄鑑》の解釈は、詳細ではありますけれども、そこまで書く要素は少ないと見るべきではないでしょうか。







最後段、《難経鉄鑑》では、質問として、『治療しなくとも癒えるものと、長い年月にわたって癒えないものについて論じていないのはどうしてでしょうか。』と、《難経》の最初の問題提起『病気になって死ぬものがあり、治療しなくとも癒えるものがあり、また長い年月にわたって癒えないものがあるとあります。』を受けて述べています。

このことに関しては、歴代の意見の分かれているところです。


滑伯仁は、《難経》の最初の問題提起は、三種類の事柄について聞いているのに対して、答えは一つの事柄についてだけしか述べられていないので、ここには闕漏があるのだろうと述べております。徐霊胎もこれと同じ意見です。

清代末期の葉霖は、あるいは欠けていたり簡略化されていたりするかもしれないが、治さずとも自から癒えていくということに関しては十三難の相生の脉に、長い年月にわたって癒えないものに関しては五十五難の積聚の病に述べられていると思われるという意見を、参考意見として述べています。

凌耀星は、滑伯仁の説を掲載するとともに、清代中期の丁錦(古本難経闡注:乾隆三年)の説を掲載し参考に供しており、現代中医の《難経校釋》《難経訳釋》はともに、同じように述べています。

その丁錦の説とは葉霖の後半のもので、『治さずとも自から癒えていくということに関しては十三難の相生の脉に、また長い年月にわたって癒えないものに関しては五十五難の積聚の病に対応しています。ですから、尽く知ることができると述べられているわけです。』というものです。

現代日本の《難経の研究》では、『実際の問題として、此れだけでは述べ尽くしたものではないから他は推して知るべしと解すべきである。』とあいまいな決着を試みています。

『それはこの二種類が存亡の中に包含されているからです。』という《難経鉄鑑》の回答は興味深いですね。

この《難経》の最初の問題提起『病気になって死ぬものがあり、治療しなくとも癒えるものがあり、また長い年月にわたって癒えないものがあるとあります。』という文言に対しては、《難経》全体を見渡す中から、さらに答えを探し出してみたいと思います。


ということで、死生存亡のファイルを見てください。







2002年 11月 24日 日曜   BY 六妖會




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