第十八難の検討(その1)




☆十八難では、三種類の問題について考察されています。

一つは、寸口の脉の寸関尺の脉位と全身の上中下の部位との相応関係。

一つは、脉に三部ありそれぞれの部位に四経が関わるということから、十二経脉における五行の相生関係によって、脉位が分配されているという事柄について。

一つは、積聚の病についての脉状から判断できるのであるという観点です。


今回は、思想地図にしたがって、三番目の問題のみを取り上げて考えていこうと思います。





本来であれば、ここで出てくる積聚に関して検討しておくべきなのですが、十八難のこの場処を考察するには迂遠になりますので省きます。五二難→五五難→五六難がその詳細の述べられている場所ですので、興味のある方はどうぞ。





◇そもそも、この十八難のこの部分が、この場処にあるのが適切なものなのかどうかということに関して、

滑伯仁は、『この下の問答は、属するところが明確ではありません。ある人は、これはまさに十七難の中の、また長い年月にわたって癒えないものに対する答辞です、と述べています』として、十七難に属するべきではないかと提案しています。本間詳白はその《難経の研究》の中で、この説が正しいであろうと支持を表明しております。

それに対して徐霊胎はその《難経経釋》の中で、『沈滞して長期にわたって積聚している病人がいますが、以下最後までは、五二・五五・五六難の中の文章の錯簡ではないでしょうか』と述べています。

丹波元胤は《難経疏証》で、両方の説を掲げ、特に論評はしておりません。現代中医学の教科書である《難経校釋》一九七四年第一版は、徐霊胎の説を参考として提示している一方、《難経訳釋》で一九八〇年第二版〔伴注:東洋学術出版社刊《難経解説》はこの日本語訳〕では、この問題については触れていません。


この両者はそれぞれ着眼点が異なっています。滑伯仁は、長い年月にわたって癒えないものという問題を頭において、その脉状の変化の表われをこの難のこの部分での主題としているとしてこの文章を捉えておりますが、それに対して徐霊胎は、積聚という症状に対する脉状の表われこそがこの難のこの部分の主題であるとしてこの文章を捉えております。

滑伯仁のほうが大きな流れとしてこれを読み、徐霊胎はひとつの証候に対する文言という、小さな文脈の中でこれを読んでいると考えることができるでしょう。

相方に理はありますが、最後の文言、『脉状が病と対応せず、病が脉状と対応していません。これを死病とします。』という言葉が掲げられており、これがこの文章の中でもっとも重きを置くべきところであろうと私は考えています。

また、『沈滞して長期にわたって積聚している病人』(十八難)という表現と、『長い年月にわたって癒えないもの』(十七難)の表現とは、対応しており、さらには同じ文脈で痼疾に関しても十八難では論じています。ということは、《難経》の作者はこの部分を、病症一般に対する警句として書いていると推察できます。

以上の理由から、滑伯仁の解釈の方が、《難経》の作者の意図に沿うものであろうと考えられます。


ちなみに《難経鉄鑑》では、ことさらに拘わることはなく、この難の文脈の中で捉えています。それは、

『問いて曰く。上文の三焦の診法では左右については触れていません。けれどもここに左右を示して三焦の診法であると言われるのはどうしてなのでしょうか。
答えて曰く。右脇は下部にありますが、その脉が上部に現われるのは、右の気が肺に通じているからです。右手の脉が沈伏しているのは、右に病があるものを右という位置で候っているということになります。大きく見ると同じ位置になります。三焦の診法は、位置の配当によって成り立っています。ですから左右もまた三焦の診法に包含されるのです。』

と、『三焦の診法』という観点からこの難を統一的に把握しようとしているところから見て取れます。この解釈も一つのユニークな視点ですね。





◇さて、《難経》原文の、『診察して肺に異常な脉を触れないのに』という部分は、『病を診て肺に異常な脉を触れないのに』というように、「病」の一文字が原文に入っているものがあります。

これは内容に対して特段の影響を与えるものではありませんので、そういうのもあるのね、というあたりで片付けてしまいましょう。





ところで、《難経鉄鑑》の『然なり。診察して、右脇に積気がある場合は、肺に結脉が出ています。』という私の訳は、広岡蘇仙の解釈のまま、それを訳出したものですが、この原文は、『然診在右脇積気得肺脉結』となっています。広岡蘇仙はこれを、「肺の部位に結脉を得る」というふうに解釈しているわけです。

このことは次の段の解釈として『右脇に積があって右寸の脉状が結するものは、肺気の通塞が右寸に繋って現われているものです』と広岡蘇仙自身が述べていることから、明確に理解できます。


ところがこれに対して、「肺脉に結を得る」という読み方もできます。そうすると、この肺脉とは何か、脉状のことなのか部位のことなのか、部位とすればそれは何処を指しているのか。という疑問がわいてきます。そしてこのことが古来、問題となってきました。


この問題に関して凌耀星さんはその《難経校注》の中で、この「肺脉」には古来四種類の解釈が存在するとして紹介し、解説をしておられます。聞いてみましょう。


1、寸口の脉の部位のこと。この難の前文に、手の太陰を上部とするとあり、この上部とはすなわち寸口の部位です。

2、右手の寸口の脉の寸部のこと。丁錦は『もし右脇に積聚があるならば、右寸の肺の部位に結脉が出ているはずです』《古本難経闡注》〔伴注:1736年〕と述べている例があります。これは、肺の治める場所が右にあるということから出ています。

3、両手の寸口の脉のこと。一難に『寸口は脉の大会する場所、手の太陰の脉動する所です。』とあります。

4、浮いて短渋の脉状のこと。《集注難経》〔伴注:1175年〕における楊康候〔伴注:《注解難経》1098年頃著〕は、『診察して肺脉の浮短渋を得ることができないのに、・・・・・・・・・』と注しています。この根拠は四難の『浮で短渋のものが肺です。 』という部分にあり、またこれは、十三難と十七難でも基本的に同じ内容になっています。』


『以上の四説にはそれぞれに根拠がありますので、分析を加えておかなければなりません。

実際的な臨床に基づくならば、動じて中止する結脉は、三部すべてに必ず表れるはずのものであり、ただ寸部のみ、あるいは右の寸部のみに表れるということはありえません。ですから、1と2の二説にしたがうことはできません。

また、《難経》全文をよくみると、寸口の脉〔伴注:全体〕を「肺脉」と呼んでいる場所はありません。ですから、本難で「肺脉」と呼んでいるものもまた、寸口の脉〔伴注:全体〕を指しているものではないでしょう。さらに、以下の文言に、『診察して肺脉を触れないのに』『肺脉を触れなくとも』とありますので、寸口の脉のことであるという解釈はできません。〔伴注:つまり、もしこれが脉位を指し示すものであるなら、この《難経》の文言によれば、肺の脉位そのものが存在しないことになるではないか、そんなことは有り得ないと、凌耀星さんは考えているわけです。広岡蘇仙の『肺に異常な脉を触れなくとも』という考え方とは明らかに異なる考え方ですね。〕ですから、3の説にもまたしたがうことはできません。

そこで4の説にしたがい『肺脉が結しています。』〔伴注:《難経鉄鑑》では『肺に結脉が出ています。』〕とはすなわち、寸口の脉に現われる浮渋にして短の肺脉に、不規則な歇止の脉〔伴注:すなわち結脉〕が出ているという意味であると考えなければなりません。』


凌耀星さんは、この難の前段で述べられている「上」「下」という文字を、寸口と尺中の脉位と捉えています。ですから、1、で述べている寸口とは寸口の脉処を上下で分けた場合の「上」のことを指しており、2、で述べている寸部とは、寸口の脉処を寸関尺に分けた場合の「寸口」ののことを指しています。


滑伯仁はこのあたりのことを明確にはしていません。特段問題を感じなかったのでしょう。その理由はたぶん、《傷寒論》にあります。というのも、その中には、『寸口の脉が結していれば、積は胸中にあり、少し寸口を出ていれば、積は喉中にあり、関上に結していれば、積は臍傍にあり、関の少し下にあれば、積は小腹にあり、尺中に結していれば、積は気衝にあり、関上の上にあれば、積は心下にあります。脉が左に出ていれば、積は左にあり、脉が右に出ていれば、積は右にあり、脉が両方に出ていれば、積は中央にあります』と。まさに、凌耀星さんのいわゆる2の説をさらに詳細にして説いているためです。この《傷寒論》の言葉は孫思邈の《千金方》にもそのまま採用されているということから考えると、この考え方は、古来の通説のようになっていたのではないでしょうか。

この説に対してもし滑伯仁がこれを否定しようとするのであれば、あえてそのことを書き残していたはずです。しかし彼は特段の問題を感じなかったために、ことさら触れることはしなかったのでしょう。


徐霊胎もまたこの部分に関しては特に触れてはいません。ただ、次の段の沈伏の項で、『沈伏もまた積気の脉です。右手三部すべてを指して言っています。肺脉もまたその中にあります。また、右手の気口の脉処で裏を候っています。』と述べているところから類推すると、「積気の脉」を「肺脉」を包含するものと捉えており、その肺脉は凌耀星さんの言われる浮渋にして短の脉状の意味ではない(沈伏している中に肺脉があると言っているわけですし、また、右手三部と対照されているわけですから)ということが理解できます。つまりは、徐霊胎も、肺脉を寸口の寸部の脉位のことと捉えていたと考えられます。


葉霖の《難経本義》も、徐霊胎の文言を引用しているだけですので、徐霊胎と同意見であると理解できます。


現代中医学の《難経校釋》では、脉位の肺部として現代語訳していますので、脉位を指していることは明確です。


また、《難経訳釋》では、特に明確にはしていません。このことは、その訳本である《難経解説》においても、同じです。


《難経の研究》では、『其の脉は右寸口に於いて(肺脉)結代脉が表れる』(93P)としていますので、脉位としての寸口、寸関尺に分けた寸部のことを指していると理解していたことがわかります。


さて、凌耀星さんの解説による、この肺脉とは、浮短にして渋のことを指すものであるという結論に至る思考過程は、現代的な視点から見ると非常に素直で、説得力があるように見えます。

しかし、十八難の最後の段にある、『その脉状が結伏していながら内に積聚がなかったり、その脉状が浮結していながら外に痼疾がない場合』という文言をどう解釈するのでしょうか。この文言は、伏結脉は積聚を指し示し・浮結脉は痼疾を指し示しているという、対応関係を述べているものです。肺積だけを取り出して、それを浮短渋の脉状に結脉を兼ねるものであると考えることには、この同一の文脈の上にも無理があります。

そもそも凌耀星さんの1、2、の説の否定方法は、東洋医学的な脉診というものに対する洞察の不足からきているように思えます。西洋医学から見ると、寸口の部位で脉診をしてそこに全身の状態が表現されているなどという発想そのものがナンセンスなわけで、そのような思いを持つ人が脉をとっても、寸関尺の脉状の違いを診ることがそもそもできないでしょう。

それと同じで、凌耀星さんの「動じて中止する結脉は、三部すべてに必ず表れるもの」という言葉は、寸口の脉の中にそれぞれさらに幅や深さがあり、そのそれぞれに脉状の違いがあるなどということはナンセンスだと片付けている西洋医者と、大差のない発想であると断じざるをえません。





◇『 診察して肺に異常な脉を触れないのに、右脇に積聚があるのはどうしてでしょうか。

然なり。肺に異常な脉を触れなくとも、右手の脉が沈伏しているはずです。』


この部分に関して、二つの問題があります。

その一つは、『右手の脉』とあるのは、右手全体の脉状のことなのか否かということであり、

もう一つは、なぜ『右手の脉』に表れるのかということです。




◇まず第一の問題です。これは、右手の脉状全体が沈伏しているのかどうか。ということに関して考えてみましょう。


《難経鉄鑑》では、『右脇に積があって右手の脉状全体が沈伏しているものは、肺の脉〔訳注:すなわち右手の寸部〕には現われていなくとも、右は肺に属しますので右手の寸口に脉の異常が現われていることと同じように考えます。』と述べており、これは、右手の脉状全体が沈伏しているということを明確にしています。また肺の脉を右手の寸口と対照させているということを考え合わせると、ここで述べられている右手の寸口とは肺の脉のこと、すなわち、寸関尺に分けたときの、寸部の脉位のことであると理解していたのだということがわかります。


《難経の研究》で紹介されている岡本一抱の説、『一抱は寸関尺何れかに沈伏が表れると、その一部と解している。』(94P)以外、私が目を通した文献のすべてが、これを右手の脉状全体が沈伏しているものであると解釈しています。

その理由は、たぶん文脈にあります。この部分は、『肺に異常な脉を触れなくとも、右手の脉が沈伏しているはずです。』と本文にあり、「肺」が六部定位における右手の寸口寸部の意味であるという前提で読み進むなら、次の文言はまさに、右手の三部の脉全体が沈伏していると読んだ方が自然なためです。


しかしこのことは私には不思議なことでした。というのも、前に紹介したとおり、《傷寒論》には、『寸口の脉が結していれば、積は胸中にあり、少し寸口を出ていれば、積は喉中にあり、関上に結していれば、積は臍傍にあり、関の少し下にあれば、積は小腹にあり、尺中に結していれば、積は気衝にあり、関上の上にあれば、積は心下にあります。脉が左に出ていれば、積は左にあり、脉が右に出ていれば、積は右にあり、脉が両方に出ていれば、積は中央にあります。』と明確に述べられており、この文言と、《難経》本文の後段、『左右表裏の診法も皆なこれと同じです。』という文言が符合しているためです。(《傷寒論》のものの方が、より詳細ですけれども。)


このように考えると、岡本一抱の説の方が正しい解釈であると思えます。

さらに岡本一抱の説を補強するなら、この文節は、先に「肺脉」という文字を用いているので、後文ではその重複を避けて「右手脉」という文字を用いただけのことであり、これはともに、寸関尺に分けたときの寸口の寸部のことを指し示しているとも考えられます。このように考えてみると、全体の文脈から考えても、岡本一抱の説のほうに説得力があると私は考えます。




◇次に第二の問題です。なぜ右手の脉に表れるのか、ということに関して考えてみましょう。


《難経本義》で滑伯仁は、『右手で裏を候います。』として、あたかも、右は陰・左は陽という陰陽理論をそのままあてはめて解釈しているかのような文言を残しています。徐霊胎もこのことに関しては、『右手の気口の部位で裏を候います』と述べており、葉霖も同じ文言を解釈文の中で引用しています。


このあたりのことに関して《難経の研究》では、『又何故に右手に表れるかに対して、評林も本義も、右は裏であり、左は表である。今積は気血の裏に結したものであるから、右なる陰の手に沈伏が表れたのであると解している。』と、滑伯仁以下の説を明確に補強しているようにみえる一説を掲げ、さらにそれに対するものとして、『之に対し、一抱は、此は誤りである。「唯、病右にあるから脉も右を以て診るのである」と言っている。』(94P)と二説を掲載しています。


この『右手の脉』に関して、滑伯仁も徐霊胎も右手で裏を見るのであると述べていますが、《難経鉄鑑》は、『右は肺に属しますので右手の寸口に脉の異常が現われていることと同じ』であるとして、肺に特化させています。それに対して、岡本一抱は病(肺積)が右にあるために右に出ているだけのことであると解釈しているわけです。広岡蘇仙と岡本一抱とではその書き方は異なりますが、意味するところは同じであるということが理解できるでしょう。

それに対して右手で裏を見るという考え方の背景には、積聚は裏であり、積聚の脉は右手に表れるという発想があるわけです。これに対して広岡蘇仙と岡本一抱は、これは肺積のことを述べているのであって、積一般のことを意味しているものではないと考えているわけですね。


もし右手が陰であり左手が陽であるという陰陽学説をここで採用するのであれば、《難経》の次の文言、『その脉状が結伏していながら内に積聚がなかったり、その脉状が浮結していながら外に痼疾がない場合や、積聚がありながらその脉状は結伏していなかったり、痼疾がありながらその脉状は浮結していない』という、表裏と浮沈とを陰陽関係として捉えていると解釈できる文言と明確な矛盾が生じてきます。

さらに《難経》の次の段では、『左右表裏の診法も皆なこれと同じです。』とも述べ、《難経鉄鑑》では、これを『ただ左右に限らず上中下についても同じように診ていくべきである』とさらに詳細に解釈しています。これは、岡本一抱の解釈とも符合します。


さらにこれが具体的に詳細に書かれているものが、《傷寒論》であり《千金方》であるということとなります。

このように考えてみると、滑伯仁や徐霊胎の説が、明確に誤っているものであるということがわかります。


それにしても滑伯仁も徐霊胎も、どうしてこの前後の解釈の間を矛盾と感じなかったのでしょうか。上で検討した「右手の脉」が、右手の脉状全体が沈伏しているもののことである、すなわち積聚の脉状であり陰である、という解釈に引っ張られたためでしょう。


積の位置については五六難で述べられています。すなわち右脇下が肺の積・左脇下が肝の積・心下が心の積・臍が脾の積・臍下が腎の積とされています。





◇痼疾と積聚との関係

同じように長期にわたって病んでいるものについて、《難経》では、臓腑にまで至っているものを積聚、そこまでは至っていない段階のものを痼疾と呼んでいます。これは、そのまま表裏を指し示すものと理論的には考えられるでしょう。さらに、《難経》では、『左右表裏の診法も皆なこれと同じです。』と述べていますから、ここから考察を広めていくべきであると指示していることが理解できます。

前段までの解釈をみてみると、複雑な解釈をしている滑伯仁も徐霊胎も、この段ではそのまま素直に上記のような解釈を進めています。


ところが《難経の研究》では、『五十五難では腹に出る硬を積と聚とに区別しているが、此処では通俗的な言い方通り積の事を積聚と言い、浅く出る硬り、実は聚の事を外の痼疾と呼んでいる。』(96P)ということを述べています。つまり《難経》一書の中で、積聚が違う意味で用いられていると述べているわけですす。

その理由は、臓は陰(でここまで至っている久病が積)、腑は陽(でここまで至っている久病が聚)という臓腑を対照関係で見たときの陰陽関係と、臓腑という陰(この久病が積聚)と経絡という陽(この久病が痼疾)とを本間詳白が混同しているためであると考えられます。

ただここにはもう一つの観点もあります。つまり、六部定位の脉診法から考えるならば、浮位で腑を診、沈位で臓を診ますから、浮結は腑の痼疾、伏結は臓の痼疾という診方ができるという《難経》の観点と符合するのではないかという考え方です。

しかしこの難で述べられている浮は脉状としての浮脉のことであり伏脉も脉状としての沈脉のことですから、本間詳白のような脉位の考え方をもって、この文言を混同して解釈していくことは適当ではないと、私は思います。





◇『左右表裏の診法も皆なこれと同じです。』


この左右表裏の診法に関しての解釈は、これまで繰り返し述べてきましたので、理解に困難はないでしょう。

この左右表裏に上中下を加えるべきであるという広岡蘇仙の解釈には、説得力があります。その具体例が《傷寒論》の記述ということになりましょう。


このことはつまり、人身を小天地としてみたとき、脉処としての寸口の部位はさらに小さな小天地として、人身と対応関係をなすものであるという、基本的な考え方が、《難経》の著者の発想の基盤に存在していたということを示すものです。





◇脉状が病と対応せず、病が脉状と対応していません。これを死病とします。


滑伯仁はこれを常識として、そのまま解釈文を加えています。徐霊胎と葉霖は、さらに付け加えて、これは積聚だけに特別いえることではなく、病一般にも応用できる考え方であると述べています。広岡蘇仙においてもこのことは常識の範囲内ということのようです。


現代中医では、このあたり、臨機応変に理解して行かなければならないと注意しています。(《難経校釋》)『脉状が病と対応せず、病が脉状と対応してい』ないからといって、それをそのまま死病であるからと切り捨てることはできない、それでもがんばって治療していかなくちゃなんないよんということを意味しているのでしょう。


それでは最後に、結脉と伏脉と浮脉とについて、張景岳の《脉神章》から引用しておきましょう。





結脉




脉が来たと思ったらすぐ止まり、止まったと思ったら復び起こるもの、こういった脉状全てを結脉という。古くは、数脉が来てパタッと止まるものを促脉と言って、熱とし・陽極とし、緩脉が来てパタッと止まるものを結脉と言って、寒とし・陰極とした。そして促脉結脉ともに、気とし血とし・宿食とし痰とし・積聚とし・癥瘕とし・七情の欝結とした。

また浮の結脉は寒邪が経にあるものとし、沈の結脉は積聚が内にある状態であるとした。これらは結脉促脉についての旧説である。

しかし私の経験から言えば、促脉は数脉に似ているけれども必ずしも熱というわけではなく、結脉は緩脉に似ているけれども必ずしも寒というわけではないので、搏動中にパタッと止まるもの全てを私は結脉とした。

その多くは血気が徐々に衰えたために精力が続かず、脉が断えて復び搏ち、搏っては復び断えるという状態になったものである。長期にわたる病気でよく見られるものがこれであり、虚労のものにもよく現われ、攻撃の薬や消伐の薬を誤用したために正気を弱らせたものにもこの脉が見られる。

緩脉で結するものは陽虚であり、数脉で結するものは陰虚である。緩脉で結するものはまだよいが、数脉で結するものは危険である。

脉が結する状態が微いか甚だしいかということによって元気の消長を観察していくことは、非常にわかりやすく適切な方法であると言えよう。

留滞や欝結などの病によっても当然このように脉が結する場合があるが、その場合、その脉状はしっかりしており気も充実していて浮位も沈位もともに力があるものである。

このような欝滞によって結脉を呈する場合も非常に多い。

また、健康であっても生まれつき脉が結する者もある。これは先天的なものなので心配することはない。

これ以外に、病が治りきらずに徐々に結脉が現われてくる場合がある。これは気血ともに衰えきったために脉を流す力がなくなった徴候である。このような場合は急いで本を培養しなければならない。妄りに留滞による結脉として治療してはいけない。





伏脉




有るような無いような感じで、骨に附くまで深く按じて始めてみることができる脉状である。
これは陰陽ともに潜伏し隔を阻み閉塞している徴候である。

火によって閉ざされたために伏し・寒によって閉ざされたために伏し・気によって閉ざされたために脉が伏しているのである。

痛みの極とし・霍乱とし・疝瘕とし・閉結とし・気逆とし・食滞とし・忿怒とし・厥逆し水気がある状態であるとする。


伏脉の脉状は、沈脉・微脉・細脉・脱脉といったものに似ているけれども、実は全く違うものである。

そもそも脉が伏するということは、本来は脉が有るのに無いように見えるということであり、一時的に隠蔽されて見えなくなっているだけのことなのである。このように胸腹痛撃して伏脉を呈するものの中には、気が経脉に逆して脉道が通じ難くなったために起こるもの、たまたま気が脱したために陰陽が相い接続しなくなって起こるものもある。

伏脉は、急に病気になったり急に気が逆したものに起こる。ゆえに、その気が調えば脉も自然に回復してくるものである。

この数種以外に、長期にわたる病気のもので、その脉がもともとは細微であったものが徐々に隠伏していって伏脉となっているようなものは、残った正気もまさに絶え果てようとしている徴候である。どうしてこれ以上脉の伏するのを待つことができようか。

このような状態の患者を見て、長期にわたる病であったのか急な病であったのか虚であるか実であるかを論ずることなく常に伏脉と称し、破気導痰の剤などを投与する庸医が非常に多い。このようなことをしていては、誤治をした後、その状態を見てあわてて正気を回復させるような薬を投与しなければならなくなるのであるから、非常に恐ろしいことと言わなければならない。

ここには実際に見たのではないことも簡単に語っている部分があるので、充分言い尽されていないかも知れないが、容赦していただきたい。





浮脉




指を軽くあげて触れると有余であり指を重く按じて触れると不足した感じのする脉状である。浮脉は陽脉である。洪脉・大脉・芤脉・革脉などは浮脉の類である。また、中気が虚したもの・陰が不足したもの・風邪に中ったもの・暑邪に中ったもの・脹満がある・食欲がない・表熱・喘急とする。浮大は傷風とし・浮緊は傷寒とし・浮滑は宿食とし・浮緩は湿邪の阻滞とし・浮芤は失血とし・浮数は風熱とし・浮洪は狂躁とする。浮脉は表に邪気がある状態の脉状であるとよく言われるが、真正の風寒を外に感受した場合は脉は反って浮かない。緊数で少し浮を兼ねたような感じのするものは表邪があるとする。発熱・無汗・身に痠疼があるなどの症状があるものが表邪の徴候である。もし浮脉に緩を兼ねるようであれば、これは表邪ではない。脉が全体的に浮いて力があり神もあるものは、陽気の有余とする。陽気が有余であれば、火邪が必ずこれに隨って現われるものなので、痰が中焦に現われたり、気が上焦を壅いだりするものであるから、これをもとに類推して考えていくとよい。もし浮脉でかつ無力で空虚なものは、陰の不足とする。陰が不足すれば水が虚し・血が心を養わず・精が気を化さず・中焦が虚していると考えるべきである。このような浮脉をも全て表証として治療するなら、その害は非常に大きいものとなる。浮大弦芤{硬}の極まったもので、{人迎の脉と寸口の脉がともに平人より}四倍以上の大きさになったものを、《内経》では関格と呼んでいる。これは神がすでになくなっている状態であり、真陰の虚が極まって陽気が亢ぶり根が無い状態を示しており、大凶の兆候である。この浮脉がどの部位に現われているかよく判断し、その部位に隨って症状をよく観察していくのである。他の脉状についてもこのことは言うことができる。







2002年12月8日 日曜BY 六妖會




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