二十難の検討



伏匿の脉という概念は、《黄帝内経》には掲載されていません。







広岡蘇仙は二十難で、脉の診方についてまとめています。それに従って読んでいきます。歴代の解説書にはこのような構造的な観点からの解説は掲載されていません。

この広岡蘇仙の二十難の解釈を読んでいくためには、第四難の病脉の部分に触れないわけにはいきません。

第四難では、歴代の解釈家の説に緻密な論理で私は対峙し、正常な人の寸口の脉とは『中州に位置する胃の気の流れそのものこそが脉の本体であり、そういった脉の浮位と沈位とがそれぞれ、陽と陰とを診るところ』であるということが明確にされました。







《難経》ではその脉状の病脉としての動きを述べていく上で、脉状の変化を浮沈・長短・滑渋の六種類に分けています。これは病脉ですので、胃の気が少し弱り、五臓の気の厚薄が寸口の脉にも表現されている状態であると考えているわけです。このそれぞれは陰陽関係となっています。これはつまり、浮沈・長短・滑渋という三つの観点を切り口として、一元の生命力の表われを見ようとしているのである、ということが理解できるでしょう。

この問題に関する詳細は、脉状の構造において、分析されておりますので、参照してください。







広岡蘇仙は伏匿の脉状の解釈を、縦横と開合とを用いて理解していこうと述べています。縦横という概念も開合という概念もそれぞれ陰陽関係にあるものですが、その観点は異なっています。現代の我々はこれを緯度経度かなぁ、発散と収斂かなぁという感じで把えます。しかし古典を読む場合、その語の正しい意味よりも、それを使って何を述べようとしているのかということのほうが大切でので、広岡蘇仙がどのような意味でこの言葉を使用しようとしているのかを確認しておきます。

広岡蘇仙はその解釈の前段で、『この難で述べられている八脉は部位によって説明されていますが、これを横とします。四難の六脉は形勢によって説明されていますが、これを縦とします。』と述べています。つまり、縦は、形勢〔伴注:脉状〕のことであり、横は部位〔伴注:浮位沈位や寸関尺などの脉位〕のこととして使用するということですね。

さらに『この難に述べられている陽が陰に乗ずる脉状』と『四難の沈で滑〔訳注:一陰一陽の脉状〕沈滑で長〔訳注:一陰二陽の脉状〕』とを対照させて、縦横で開合するものであるとしています。つまり、脉位を離れて〔伴注:その場を離れて開いていくということすなわち「開」〕陽が陰に乗ずる脉状を横とし、脉位を離れず〔伴注:四難:合〕陰に乗ずる脉状としての沈滑・沈滑で長を縦とし、これが、縦横で開合していると述べているわけです。ここに脉位を離れることが開であり、脉位の中に納まっていることが合であるという、開合の意味が明確になってきます。またともに、脉位が、浮位沈位を意味するものではなく、寸関尺の脉位を措定したものであるということも、明確になります。

また、二十難の『陽中の伏陰』と四難の『浮滑にして長で時に一沈するもの〔訳注:一陰三陽の脉状〕』とを、対照させて、開合しているものとします。これはつまり、脉位を離れて〔伴注:開〕陽中に陰が伏している脉状と、脉位を離れず〔伴注:合〕浮滑にして長で時に一沈する四難の脉状とが、開合の関係にあると述べているわけです。

以下、二十難の『陰が陽に乗ずる脉状』と四難の『浮で渋〔訳注:一陽一陰の脉状〕長で沈渋〔訳注:一陽二陰の脉状〕』とを対照させて、開合しているものとするという言葉、二十難の『陰中の伏陽』と四難の『沈で短で時に一浮するもの〔訳注:一陽三陰』〕とを対照させて、開合しているものとするという言葉も、同じように理解することができます。







さて、広岡蘇仙はさらに、縦横の概念を後段で別に設けて、『十四難の損至の脉を縦とし、この難の重陽脱陽・重陰脱陰の脉を横』として、『十四難で述べられている過不足とは、陰陽がその位を離れずに自身で過不足している状態です。この難の乗伏とは、陰陽がその位〔訳注:本来あるべき場所〕を離れて互いに争いあっている状態です。』と述べています。

これはつまり、十四難の数脉と遅脉という脉状の過不足が、その脉位を離れずに起っているものであり〔伴注:合〕、この難の乗伏がその脉位を離れて起っているものである〔伴注:開〕であるとして、縦横開合を対照させて述べているわけです。

このように、縦横開合という言葉の使い方は同じですが、その縦横という言葉の意味する内容が異なっているということは、注目に値することでしょう。開合の意味は同じように使われています。

陰陽概念が使っている場所によって異なっているということは、陰陽概念を用いて語る人々の多くに言える現象です。このことを陰陽概念のあいまいさという観点から批判することもできますが、逆に、陰陽概念を自在に用いて現象を自在に変化する生命に沿って理解しているという風に、肯定的に評価することもできます。

陰陽概念を自在に用いているか、あるいは、陰陽概念を誤用しているかということの区別をするためには、上文で検討したように、使われている言葉を具体的なものに置き換え、その論理に破綻がないかどうか検証していく必要があります。

つまり、読み手の理解力にかかっているわけですね。

陰陽という言葉を用いてごまかしの「東洋的な」論理を語る人々が多く存在している現在、この読み手の理解力は、ますます重要になってきています。







広岡蘇仙の、有情と無常との共通点と相違点。面白いですね。相違点に、私情の有無をもってきている点、味わい深いところであります。







《難経》の次の段。

陰陽相乗というところですが、尺位に沈渋短の陰脉があらわれるのが常であり、寸位に浮滑長の陽脉が見われるのが常であるということを述べているようにみえます。

ちなみに、北宋の丁徳用《補注難経》(1062年)と清末の葉霖《難経正義》(1895年)では、この陰陽が尺位と寸位を表わすということ以外に沈位浮位を指しているとも述べています。ここでの意味は相方ともに通じますので、現代の凌耀星さんが言われるとおり、拘わる必要はないでしょう。

しかし、胃の気の平の脉状が流れているのが基本的に常態であり、尺位であっても陰脉が、寸位であっても陽脉が明確に現れているという状態は、胃の気の衰えによるものであるということは押さえておかなければなりません。このことは次の段で、寸位に陽脉が明確に触れるときには重陽の病であり、尺位に陰脉が明確に現れる場合は重陰の病であると述べられているとおりです。

ただ、婦人の尺位に滑洪の脉状が現われる場合に、妊娠の脉と考えるなどというあたりはこの発想と通じるものがあり、興味深いところです。







『重陽のものは狂となり、重陰のものは癲となり、脱陽のものは鬼を見、脱陰のものは盲目となります。』に関する広岡蘇仙の解釈は見事です。これ以上の核心をついたて解釈は、他に見ることはできませんでした。

五九難には、狂癲という疾病について、専門に解説されています。そのため、二十難のこの部分は、五九難につけるべきなのではないか、という意見が、
《難経本義》において滑伯仁によって唱えられ、
現代中医の《難経校釋》〈人民衛生出版社〉でも参考にすべしとされ、
本間詳白はその《難経の研究》において、『此の一文は後の五十九難に続くものである』と、明確に注しています。

これに対して徐霊胎はその《難経経釈》で、『これは陰陽の伏匿がさらに極まったものについて述べているものです。重陽・重陰は、ただ伏匿しているだけでなく、陰はすべて変じて陽となり、陽はすべて変じて陰となります。狂は陽の疾病であり、癲は陰の疾病です。その邪気が非常に盛んとなって神を傷ったものです。このためその病はこのような状態になります。』と述べ、前段との継続性を強調することでやんわりと、滑伯仁の説を否定しています。

江戸時代の丹波元簡の《難経疏証》においてはこの二説を掲げて、『《難経本義》は五十九難の錯文であろうとし、《脉経》もそのようになっていますが、徐霊胎の説のほうが説得力があります。』と徐霊胎の解釈を支持しています。

また凌耀星もその《難経校注》において特に解説し、『滑壽〔伴注:滑伯仁〕は「これは五十九難の文で、ここに錯簡されたものです」と述べています。けれども前文からの続きでこれを見るならば、これは脉の陰陽を指して述べているものと考えられます。また、「鬼を見」「盲目」となるというのはそれぞれ独立の症候であり、癲狂の病に専属するものではありません。』として、やはり錯簡説を否定しています。

この部分が錯簡であるのかどうかということは、伏匿の脉状の極まった状態として重陽重陰という状態の癲狂となり、それが更に極まって陽脱陰脱という鬼を見たり目が見えなくなる、これらの文章を一連の流れとしてみるのかそれとも、狂癲という疾病の極としてみるのかという判断にあります。滑伯仁は、後者のように考え、徐霊胎は前者のように考えているわけです。凌耀星には、そのような流れが見えていないようではありますね。凌耀星の『それぞれ独立の症候である』という意見には賛成できませんけれども、私は、錯簡であるとは把えない徐霊胎の説が妥当であろうと思います。

けれども、文意をよく理解するために、五九難に疾病の解説として一難を設けて取り上げられている狂癲を、ともに読んでおくことにしましょう。





2003年4月13日 日曜   BY 六妖會




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