第 二十一 難

第二十一難




二十一難に曰く。経に、人の形が病んでいて脉が病んでいない場合は生きると言い、脉が病んでいて形が病んでいない場合は死ぬと言うとありますが、これはどういう意味なのでしょうか。


前の諸難では、脉の形状について至れり尽せりに説明されています。この難では、脉状は病んでいないのに呼吸と相応していないものがあるということについて論じられています。脉状と呼吸とを対応させて診察していくことで診察が完全なものになります。形と脉とはともにただ一つの元気が主るものですから、形が病む時は脉も病み、脉が病む時は形も病むということは、当然の理です。そのため形と脉とが相応していない時には気が離れて死んでいくと言われているのです。生きるもので脉状が病んでなくとも呼吸数と相違がある時は、やはりそれも脉が病んでいると考えます。






然なり。人の形が病んでいて脉が病んでいない場合と言っても、実は病んでいないのではありません。呼吸数が脉数に対応していないということを言っているのです。これが大法です。


呼吸は気であり、脉は血です。脉を診る場合必ず呼吸の状態をよく観察しなければなりません。たとえば呼吸は緩やかであるのに脉が速い場合、呼吸の数は少なく脉の数が多いことになります。このような状態のものを呼吸数と脉数とが相応していないものと考え、病であると判断するのです。形と脉とは一貫したものなので、形は病んでいるのに脉は病んでいないということは理屈にあいません。ですから脉状が平〔訳注:異常のない状態〕であったとしてもその呼吸数と相応しない場合は、気血が混合していない状態であると考えます。気血が混合していない状態であれば、気血が逆乱して病になります。もし呼吸と脉とが調和しているにもかかわらず病があるような場合は、十八難で説明されている病状が脉状に応じていないものなので、それを死病とします。このように、呼吸と脉とを一緒に観察するということは、医師にとって最も大切な規範となるものです。《難経》の経文で、脉を語る際に先に呼吸をあげている場合が多い理由も、この両者を一緒に診察させようとしているからです。


問いて曰く。呼吸と脉とが相応していないものは、気が離れているからなのではないでしょうか。

答えて曰く。呼吸と脉とが相応していないものは、病によって気血が隔てられている状態のものです。気が離れてしまったものではないので、死ぬことはありません。


問いて曰く。本文の答の中に、脉が病んでいて形が病んでいない場合について触れていないのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。脉が病んでいて形が病んでいない状態とは、十四難の行尸の類になります。ですからここではその重複を避けているのです。


問いて曰く。この難では呼吸の数をあげているだけで、その他の徴候については詳しく論じられていません。どのようにすればこれを診察していくことができるのでしょうか。

答えて曰く。病人の呼吸を観察していくと、短促のもの・粗大のもの・虚微のもの・渋滞のものなどの種類があり、すべて脉状と同じように現われます。ですから脉状の変化を詳しく追究していくことの中から推測することができます。脉状の変化を説明する場合は、全て定息〔訳注:安定した呼吸〕を用いています。この難では、呼吸の状態の変化について述べています。ですから病脉ではなく常脉を用いているのです。このように呼吸の変化と脉状の変化とは、表裏をなすものです。



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