二二難の検討






第二十二難の問題点は、

1、《難経本義》においても、この難でふれられている『経』というのは、《霊枢・経脉》であるとされていますが、これは本当にそうなのかどうか。

2、是動病と所生病の違いを、《難経》流に解釈すると、疾病論はどのように変化するのか。

3、気一元の観点から是動病・所生病を気血の問題として解釈するとどのようになるか。

ということとなると思います。ここでは、1、の問題を中心として考え、2、と3、については、《難経鉄鑑》に詳細に触れられておりますので、《難経鉄鑑》の注釈を読む際の注意を中心として付しておくこととします。







それでは、1。

《難経本義》においても、この難で触れられている『経』というのは、《霊枢・経脉》であるとされていますが、これはほんとうにそうなのかどうか。ということに関して検討していきます。

滑伯仁の《難経本義》から、この難における『経』というのは、《霊枢・経脉》のことを指しているというのは、定説ではありますが、それはただ、是動病所生病という言葉の発祥について首肯しているだけで、その意味するところは経旨とは異なっている〔注:《霊枢・経脉》で使われている意味とは異なっている〕ということもまた歴代明確にされているところです。

《霊枢・経脉》における是動病は、経脉の経路を述べた後に、これが変動すると起る病は、何々、と病症名が挙げられているものであり、所生病はその後に、臓においてはその臓の主るところに生ずる病、腑については、それぞれ、「大腸:津液」「胃:血」「小腸:液」「膀胱:筋」「三焦:気」「胆:骨」「心主:脉」の主るところに生ずる病はというように、それぞれの臓腑の支配領域〔伴注:主治範囲〕を定め、その主る所に生ずる病は、何々、と病症名が挙げられているものです。

ついでに言えば、それぞれの治療法に関しては同じで、『盛んであればこれを瀉し、虚していればこれを補い、熱していればこれを疾くし、寒えていればこれを留め、陥下していればこれに灸し、盛んでも虚してもいなければその経をもってこれを取ります』と述べられております。

♪これとあるのは何を指しているのでしょうか?

病症でないことは明確です。というのは、それぞれの病症が、盛・虚・熱・寒・陥下・不盛不虚といった状況を現すことはあり得ないからです。病症名の中にそれぞれの特徴はありますが、これを一括して治療法として述べるというのは不合理だと思われるためです。

それでは何を指しているのでしょうか。経脉の気でしょうか。経穴の気でしょうか。それとも主る臓あるいは腑の支配領域全体を指しているのでしょうか?

この文脈に沿って考えるなら、盛・虚・熱・寒・陥下・不盛不虚とあるものが、同じものを指し示していると思われます。陥下という言葉からは、経穴の形状が予測されます。経穴の気を指すことと理解すべきでしょう。


もし「これ」という言葉が経穴を指すと仮定して考えると、
経穴の状態が盛んであれば、というのは、邪気を術者の指に感ずるという意味で、これを瀉すというのは、邪気を瀉すという意味。
虚していればこれを補いというのは、正気を補うという意味(患者自身の生気を経穴に集めるようにするか、術者の正気を気口鍼などでそこに注ぐ)。
熱していればこれを疾くするということは、経穴に熱感を感じる場合でしかもそれが邪気ではない場合、それを瀉すのではなく、経穴の気の動きを速くしてやることによってその欝滞している熱を流すようにするということを意味しています。
寒えていればこれを留める、というのは、おもしろいですね。まさに経穴が冷えている場合、気が速く流れ過ぎているのであるからそれを押し止めるような鍼を行うという意味です。寒えているから灸によってこれを温めるのであると言っていない所がポイント高いですね。灸で暖めると、気の動きは速くなるという考え方ですね。
そして陥下している経穴すなわち物として不足している経穴には灸するとある。これも着目点であります。

治療法の基本が簡潔に述べられており、それが気の動きを中心として考え出されているものであるということを読み取ることができます。おもしろいですね。

さて。経穴という意味にとれるとすれば、最後の文言、虚せず実せずんば経をもってこれを取るという言葉の意味はどうなるのでしょうか。文脈どおりに読むならば、部位としての経穴ではなく、経脉全体を考えて、その経脉を最も動かしやすい経穴を選択するということになりそうです。

では、実際に触れてみて、虚しても実してもいないにもかかわらず、病んでいることがあるのだということを、この文言は述べていることになります。触診にては不明確であっても、その部位が病んでいるということがあると考えるとするならば、この文章はつまり、問診などの弁証によってその臓腑が病んでいることがあるのだよということを決しているように思えます。

しかしそのようなことが実際に存在するのでしょうか。臨床をしていて、何の反応も出ていない経穴に施術するということが考えられるものでしょうか。そもそも、鍼灸医学の始まりは、病んだ際に体表に現われる経穴の変化を観察しながら編み出されてきたものなのではないでしょうか。

そのように考えるならば、「これ」が指しているものが経穴一般ではなく、原穴のことであると考えるほうが適切なように思えます。そして、経をもってこれを取るとあるのは原穴以外の五行穴を用いるのであると。ただ、原穴と定めて解釈してしまうと、文章全体がせせこましくなってしまい、寂寥感が胸の奥に残ります。

原穴と考えるとここの文脈の意味は最もよく通じるけれども、そうせせこましく考えないで経穴一般へのアプローチを示しているものであると結論しておきます。



これに対して《難経》二二難においては、『是動は気であり、所生病は血であるとあります。』『邪が気にあれば気が是動病を呈し、邪が血にあれば血が所生病を呈します。』『気が留滞して循らないものは、気が先に病んだものと考えます。血が壅滞して濡らさないものは、血が後に病んだものと考えます。』『ですから是動病が先に起こり、所生病が後に起こることになります。』とあります。〔注:濡らさない、という言葉は、日本語の訓みに合わせているもので、これに訓じてうるおさない、と読ませることもあります。これは意味内容に訓みを合わせているものです。〕

つまり、二二難においては、是動病・所生病を気血という陰陽問題に集約させているわけですね。ですからこれを、字面だけで《霊枢・経脉》に対応させて読むとまさに、

《霊枢・経脉》の『経文の記述は明確であり、〔伴注:是動病所生病という文言が、〕気血に分けて属するとするものではありません』《難経経釈》〈徐霊胎〉

『動ずるところが気に属し、生ずるところが血に属するものではありません』《黄帝内経霊枢注証発微》〈馬蒔:明末〉

『《難経》の文言は、経旨ではないと思います』《類経》〈張景岳・明末〉

と言わなければならないこととなります。

この難経二二難と《霊枢・経脉》の記載を混同して解釈しようとするという歴代の誤りをもっとも積極的に行っているものが現代日本の《難経の研究》〈本間詳白著:医道の日本社刊〉です。彼は、この二二難の冒頭の『経』という文言を《霊枢・経脉》のことであると断じた上で、《霊枢・経脉》の病症の部分を延々と引用した後、次のように述べています。


其処で是動病は経脉の病であり、所生病は蔵府の病であるとする説が多い、又難経或問と言う本では病因的に見て是動病は外邪性の病であり、所生病は内傷性の病であるのではないかとも言っている。
何れにしても此の難経が気血にした事は余りにも独断であると言うのが一般論である。
然し、難経の此の独断は彼の医学の中に一つの体系をなして溶け込んでいるのであって、それでよいのである。
又気血の病にしても、経蔵の病としても外因内傷の病としても結局は病症の陰陽の差であって臨床的には相一致するものとなるのである。
』(111ページ~112ページ)

つまり彼の頭の中にあるのは、先ず『経』というのが《霊枢・経脉》のことであり、そこにおける是動病所生病を解説し、それと《難経》における是動病所生病の概念とが同じものであるということを前提としているわけです。そこで、その違いを

『何れにしても此の難経が気血にした事は余りにも独断であると言うのが一般論である。
然し、難経の此の独断は彼の医学の中に一つの体系をなして溶け込んでいるのであって、それでよいのである。

などとごまかしているわけですね。つまり、両者に基本的な概念の相違が存在するということを理解できていないということです。

さらに問題なのは、

『又気血の病にしても、経蔵の病としても外因内傷の病としても結局は病症の陰陽の差であって臨床的には相一致するものとなるのである。』

と、『臨床』という殺し文句をもって両者の違いをごまかしているところです。《難経》を研究している書物というよりは、当時存在していた経絡治療という治療法に対するある種の信仰告白の書物であるといわれる理由が、このあたりにあります。







さてこれらの混同に対して現代の凌耀星は、この《霊枢・経脉》と《難経》との間で使用されている是動病所生病の意味の違いを踏まえ、『本難の冒頭における「経」は、《霊枢》のことであると確定することは非常に困難です』《難経校注》と述べております。

彼女は、その根拠として、《陰陽十一脈灸経》においては、《霊枢・経脉》の所生病、『その主るところに生ずる病』という文言の中の『主』の下に『治』という文字があり、これは古代においては実は『その治を主るところに生ずる病』とあることをあげております。これに対して難経二二難では『治』の意味がないというわけです。

《霊枢》では、治療法にまで及んで説かれているのに対して、《難経》では、是動病所生病という漠とした概念の紹介に止めているという、文章の特徴に着目した意見です。


しかしより理念的に考えるならばこの問題ははるかに明確になります。

すなわち《霊枢・経脉》において語られている是動病所生病は、五臓六腑の病症を説明する上で使用されている言葉であり、《難経》における是動病所生病は、気血をもとにした陰陽概念を述べているものであるということです。

《難経》で使用されている是動病所生病という言葉は、《霊枢・経脉》から引用されているものであるとしても、ただ象徴として借用された言葉にすぎないということです。

♪借用してほしくなかったなぁ。。。後世に禍根を残すやろう。。。誰かが整理して、まとめてほしかったなぁ。。。辞書にも、こういう違いを整理して書いてくれていればいのだが、そんな辞典もないしねぇ。古典を読む時に一番困るのがそれなんだよなぁ。


五臓六腑を一つの生命の括りとして、個々の病証を解説するために使用されている言葉と、陰陽を一つの生命の括りとして、その陰陽概念の用い方について解説するために使われている言葉とでは、その意味する中味が異なってくることは当然のことでしょう。

同じ言葉を使用していても実はその中味が全く異なっているわけですね。《難経》で使われている是動病所生病のほうが抽象のレベルが高いわけです。

抽象のレベルというのは、一元の気というように、漠として存在する生命をそのまま丸ごと一つとして把えようとする段階がもっとも抽象のレベルが高く、陰陽という発想でそれを解説していく段階になると少し抽象のレベルが落ちて具体的なものの説明に入れ、さらに五行という発想になるとさらに抽象のレベルが落ちて、より具体的な言葉で解説ができるようになることをいいます。実際に存在しているものを議論している場合、言葉の具体化が進みすぎると何を語っているのか解らなくなっているにもかかわらず、言葉を重ねて議論してしまうということがありますね。そのようなときに帰る地点が、抽象のレベルが最も高く、言葉の入る余地のない場処である、一元の気の地点であるということになります。言葉としてはまったく出てはこないけれども、もっともリアルに、その物自体を把えることが(聖人には)できる。その把え方を言葉として出す際に用いた概念が陰陽と五行であったと、そういうことです。


《霊枢・経脉》においては、経脉の経路についての解説の後、その動ずる場合の病症と〔注:治を〕主るところの病症について、文脈の中でいわば接続詞的に使われているのに対して。《難経》においては、それは象徴的な言葉として独立的に使用されているとも言えるでしょう。







さて、それでは、《難経》においては、是動病所生病という言葉を用いて何を語ろうとしているのでしょうか。

それは明確で、気血という陰陽概念を是動病所生病という陰陽概念とリンクさせて、一元の生命を解釈しなおしていこうとしているわけです。

これは、血を体、気を用とした体用関係としても考えることができます。

このあたりのことは、《難経鉄鑑》に最も詳細に述べられております。ただ、気一元の観点で読み込んでいくという姿勢が、読者に必要となりますので、そのあたりのことを注意点として簡単に記しておきます。


◇陰陽二元論にとられかねない表現の問題

もともとの《難経》の問い掛けそのものが『脉には是動病と所生病とがあると述べられています。一脉が変化して二種類の病を表わすのはどうしてなのでしょうか。』というものですので、初心者は、経脉には是動病所生病というまったく別個の病があると思ってしまいます。しかし、はからずも《難経鉄鑑》における広岡蘇仙の解説で触れられているように、『気の病であっても所生病のものがあり、血の病であっても是動病のものがありますので、《内経》においても明確な区別はなされてい』ないわけですから、この分け方が、単に病症を語る上で便宜的に行っているものに過ぎないということが理解できるでしょう。

つまり、一元の生命力を診るときに、それをただ漠として一元という形で述べてしまうと言葉にしにくいために、便宜的に陰陽という二元の観点から捉えなおして提示しているということです。これは、後世、《傷寒論》では六経弁証という形で六種類の観点からの把握の仕方として臨床に密着した形で表現され、さらに時代を下ると、臓腑弁証・三焦弁証・衛気営血弁証という形でより精密な言葉を用いることによって、詳細かつ緻密な議論が展開されていくこととなります。

しかしそれらの議論の帰する地点は、ただ一つ。このかけがえのない生命を診ているのであるということです。ここを離れた議論は単なる空論にならざるを得ません。

この二二難ではそれが二つの観点から見つめなおされるという、支那古代思想特有の解釈法によって、興味深い言葉を編み出していると言えます。


◇気血という言葉の問題。

気血という言葉を用いると、現代人は、気という不可解な生命力と、血という目に見える赤い血の流れをイメージしがちです。しかし、一元の気である生命力を、陰陽という観点に分けてこれを説明しようとしているということから考えるならば、血の中には、筋肉や骨といった構造物も含まれるのであると見なければなりません。「血」という言葉で代表されている目に見える構造物と、それを動かす力である気について、この難では述べようとしているわけですね。

そして、気血は一元の生命力を表現している言葉です。二即不離なんです。気が気だけで存在するものではなく、そこには、寄り付く物が必要です。気が寄り付くこの「物」を、ここでは血と呼んでいるわけです。

経脉とは、臓腑という中核となる構造体が産生している生命力の流れであり、それが人体を人体としてあらしめているものです。この臓腑も生命力という観点から見れば気血一元の観点で把握されるべきものであり、その中核から枝葉として密生している経脉も、生命力として気血一元の観点で把握されるべきものです。ここに、根幹としての臓腑と枝葉としての経脉という観点が、この難を離れてまた別の概念として成立してきます。


◇邪の問題。

この難で使用されている『邪』という言葉は、《難経鉄鑑》で述べられているとおり、『邪が気の分野に入ると気が動じて病を生じ、邪が血の分野に入ると血が動じて病を生じます。内傷病であれ外感病であれ、病と名のつくものは全て正気を害したものです。ですからこれを一括して邪と呼んでいます。』という意味です。つまりは、病の位置を指しているわけですね。

ここで注意しておく必要があるのは、前段における『分野に入る』という表現です。この表現を字面どおりに読むと、気という場、血という場があたかも別々ぬに明瞭に存在していて、その場を乱す邪がいずこからか訪れてくるという印象を持ちます。しかし、後段にあるとおり、『病と名のつくものは全て正気を害したもの』なわけですから、正気が害されている位置のことを邪と呼んでいるのであるということが理解できます。

つまり、気血という形で陰陽の位置を明確に分けるのではなく、混沌とした一元の気血未分の生命の中で、それが乱されている位置が、より陽の分野に近いのか、より陰の分野に近いのかということで、仮に、気血という位置の違いを述べ、それを是動病所生病と読んで分けているに過ぎないわけです。


◇『ですから是動病が先に起こり、所生病が後に起こることになります。』

《難経》原文には上記のように述べられています。これは、陽の方が痛みやすく変動しやすく陰の方が痛みにくく変動しにくということが述べられているものです。是動病所生病という言葉でくっきり分別された二種類の病、その先後を述べているわけではないということに、注意が必要です。

《難経》では気血という大まかな二つの観点(切り口)で一元の気である生命力を表現しようとしています。気血という言葉は陰陽という言葉と同じように、極端な二つの焦点を提示していますけれども、これは実は、多段階連続の生命、濃淡の異なる生命の位置を説明しているに過ぎないということが大切であるということをお話しました。


◇『気・血・飲を病気治療の綱要として掲げた者』

これを読むと日本漢方をかじっているものは、吉益東洞の子孫の吉益南涯のことを述べているのかしらんと思ってしまいますが、それは違います。吉益東洞もこの《難経鉄鑑》の作者である広岡蘇仙より後代の人間ですから、その子の吉益南涯の説を広岡蘇仙が知っていたはずはありません。

それでは誰だろうと中医学関連の人物を当たってみましたが、朱丹渓が明確に『治病には気血痰の三者を外れることはありません。この三者は多くの場合、郁を兼ねています』と述べ、王節齊がこれを極言していると、張景岳がその《質疑録》の中で述べているのが目に止まります。けれども「飲」という言葉はここには出てきません。もしかすると古法以前の日本漢方の人を指しているのかもしれません。誰が述べているのかということは判明しませんでした。

ということはさておき。

ここまで《難経》に基づいて気血という陰陽関係で二二難を解説してきた広岡蘇仙が突然、気血飲という三者を提示してきたのはどうしてなのでしょうか。私には筆の走りすぎたものと思えます。









2003年6月8日 日曜   BY 六妖會




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