第 三十二 難

第三十二難




三十二難に曰く。五臓ともに等しいのに心・肺だけが膈上にあるのはどうしてなのでしょうか。


五臓はともに神志を蔵していますので、その徳は同等です。けれども心肺の二臓は膈上に位置し、他の臓と遠く離れている理由は何なのでしょうか。






然なり。心は血であり、肺は気です。血は栄とし、気は衛とし、相い隨い上下します。これを栄衛と言います。経絡は通行して、外に栄周します。


これは栄衛の主宰が、心肺にあるということを言っています。人体の上焦は山頂のようなものです。山のように高い場所では必ず、気が烈しく水泉が湧いています。人体における上焦も、気が集まって血液が生じます。気は升って上に循り、血は降って下を潤しますが、ともにひとつの気が上下しているものです。水穀の精微は中焦から上焦に上り、心火によって血に化します。この血は栄であり水のようなものです。また水穀の精微は肺金によって気に化します。気は衛であり霧のようなものです。気は上昇しますけれども血がなければ乾いて蒸することができず、血は下行しますけれども気がなければ滞って流れることができません。このように気血は互いに隨って離れることができないものです。ですから相い隨い上下すると言っているのです。肺は天に属し、心は太陽に属します。栄衛が循ることによって人体の外栄となります。天や太陽の運行を地球の外郭であると考えるようなものです。






ですから心・肺を膈上に存在させているのです。


心・肺は気血によって外に栄周するので、人体の陽であり高い場所に位置します。腎・肝は精血によって内を涵養しますので、人体の陰であり低い場所に位置します。陰陽それぞれその一番適当な場所を得ているわけです。


問いて曰く。心血と肝血とは異なるのでしょうか。

答えて曰く。心血は経脉を行り、外を潤し雨のような状態です。肝血は臓腑を潤し、内に湛えられていて池や沼のような状態です。ですから血海と名づけられています。血そのものはひとつですが、その用が異なっているのです。


問いて曰く。十四難に、肺は気を益し、心は栄衛を調えるとあります。ここには、心は栄とし、肺は衛とするとあります。この差は何なのでしょうか。

答えて曰く。肺は諸気を総括し、心は諸血を統括します。血脉はすなわち栄衛です、ひとつの血脉を分けて言うと、栄は血であり衛は気であるということになります。肺は諸気を総括するものですから、脉を運行させている気も肺が主るものです、ですから衛気が肺に属するのです。十四難では、気と脉とを対応させて語り、この難では上下の位によって内外を主ることを語っています。ですから外周の経脉は上位にある心肺が主るものですし、内養の精血は下位の腎肝の主る所です。そして外周する栄衛をさらに分けて、心肺それぞれに属させているのです。心は栄衛を主ると言うときは、太陽が黄道・赤道を行くと言っているようなものです。栄は心に属し、衛は肺に属すと言うときは、黄道は太陽の道であり、赤道は天の度〔訳注:法則〕であると言っているようなものです。太陽は赤道を行きますが、赤道はもともと天の度の中にあるものです。



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