第 四十四 難

第四十四難




四十四難に曰く。七衝門というものはどこにあるのでしょうか。


水穀が衝通する道路に関門があります、これを衝門と名づけます、州国の街中に関門を設けているようなものです。人に七門があるということは、天の七門に象られたものです。天門は卯の時〔訳注:午前五時~七時〕を開とし、太陽は東に生じます、そして酉の時〔訳注:午後五時~七時〕を闔とし、太陽は西に没します、この太陽が運行する大路に七神がいてこれを守っています。卯辰巳午未申酉〔訳注:つまり午前五時~午後七時まで〕がこれです。水穀が人を養うのは昼だけであり、夜は寝て飲食することはありません。ですから太陽の七門によって水穀が人を養い夜は除かれるのです。戌亥子丑寅の五門〔訳注:つまり午後七時~午前五時まで〕は夜を守り、静で人はいません。《易》に、至日関を閉じ商旅に行かずとあるのもまたこの意味です。






然なり。唇を飛門とし、歯を戸門とし、会厭を吸門とし、胃を賁門とし、太倉の下口を幽門とし、大腸小腸の会を闌門とし、下極を魄門とします。


「飛」とは上で動くという意味であり、唇は七門の最上にあり、よく動いて飲食を納めます、唇口の動きもまた鳥が羽ばたくのに似ていますので、飛門と名づけます。戸は開闔して〔訳注:開いたり閉じたりして〕守衛する道具であり、歯が噬嗑(ぜいごう)〔訳注:開いたり閉じたり〕することは、戸に関鍵があるようなものですので、戸門と名づけます。「吸」は噏入(きゅうにゅう)〔訳注:吸入〕するという意味であり、飲食はこの会厭(ええん)〔訳注:喉:舌骨の後ろ〕の吸入力によって入りますので、吸門と名づけます。会厭は咽喉が会する所の扉です、この扉は覆圧をなすため、飲食は徐々に下行して咽門に入ります、これによって暴下哽咽の患〔訳注:急に嚥下することによって咽を詰まらせること〕がなくなり、声音もまたこの扉の扇揺〔訳注:振動〕によって出るわけです。「賁」は勇走するということであり、胃の気の勇悍によって飲食が下る様子が人馬が走るようなものなので賁門と名づけます。ですから胃の気が衰えると飲食が下らなくなったり、たとえ下っても遅く渋るようになります。「幽」とは幽暗の地のことであり、「太倉」とは穀を蔵するために名づけられたものです。胃と言わずに太倉と言っているのは、もともと七衝門が太倉のために設けられたものだからです。飛門・戸門・吸門・賁門の四門は太倉の前門で陽に属し、幽門・闌門・魄門の三門は太倉の後門で陰に属します。ですから太倉の下を幽門と名づけます。「闌」は闌遮(らんしょ)〔訳注:柵で遮る〕という意味であり、この門はよく守衛することによって遮り止めます、木欄の防〔訳注:木の柵で防ぐほどの力〕があります。ですから下痢などの疾患を充分に防ぐことができます、この場所はまさに要害の所〔訳注:非常に重要な砦〕で、前路の戸門に比肩するほどです。「魄」は陰鬼のことであり、極陰の地に、陰鬼が呵して守っているような状態ですので、これを魄門と名づけます。これは艮(うしとら)の方向を指して鬼門と名づけるようなものです。飛門と魄門とは前後の外郭をなしていますので厳固ではありません、戸門と闌門とは内郭ですので非常に強固です。






ですから七衝門と言うのです。


平人は、門路が防礙されて〔訳注:障害から守られて〕いればよく水穀を通じさせることができるためにこのような七衝門が設けられています。これはあたかも州国の重門によって暴客を待ちうけ、往来を通じさせているようなものです。


問いて曰く。精尿の竅が〔訳注:尿口〕が、七門としてあげられていないのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。精尿は、気化によって滲み出すものですので、大門の数には入りません。ですからここに属させてはいないのです。



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