第 四十五 難

第四十五難




四十五難に曰く。経に八会とあるものは何なのでしょうか。


物にはそれぞれが会する所に宗とする場所があります。京師〔訳注:都〕は衆遮〔訳注:一般的な人々〕が会する所であり、大海は川谷の会する所であるといった類がこれです。人にも同じような八会があり、身体の要機〔訳注:重要な場所〕となっています。これは天に八節があって歳月の都会〔訳注:集まる場所〕とし、地に八方があって州国の綱紀〔訳注:重要な基準〕となっているよなものです。前難では身内の門路について述べていますが、この難では身外の会合について述べています、これによって内外の要としているわけです。






然なり。腑会は太倉です。


腹は六腑の宅であり、太倉は胃の中脘で水穀の収まる場所で、《内経》に言う所の倉廩の官です。太倉は七衝門の正中にあり六腑の要所となっていますので、腑会とします。






臓会は季脇です。


脇肋部は腹部と背部とが接合する際にあり、前後の真ん中にあたります。五臓は尊貴なものですので、前後を警蹕(けいひつ)にして〔訳注:警護し通行止めにして〕身体の正中にあります。そのため五臓の気は腹部も背部も避けてその中間の際にあたる脇肋部に出るわけです。季脇の部位は神闕の傍らで同じ高さにあります、また神闕は腎兪と前後で貫通しています。けれども腹部には六腑があるため、腎気は神闕に現われずに季脇部に現われるわけです。腎の募穴が季脇部にある理由がこれです。腎は五臓の精神が舎る所ですので、この部位を臓会とするのです。






筋会は陽陵泉です。


陽陵泉は膝の輸穴です。膝は大筋の腑なので、屈伸して全身の重さを支える力が全てここに現われます。また諸筋は木に属しますので、少陽胆経の輸穴を筋会としているのです。


問いて曰く。手臂もまたよく屈伸します。どうしてここを筋会とはしないのでしょうか。

答えて曰く。手臂は垂拱しては休むもので、時々努力するだけです。膝脚は座立して、全身の重さを負っているため、ここを屈伸の大機とします。また四肢のうち両手は上にあり両足は下にあります。これは昇ることを基としているのではないでしょうか。さらに手臂にはもとより木気の経脉はありません。どうして筋の都会〔訳注:集まる場所〕とすることができるでしょうか。






髄会は絶骨です。


絶骨は踝骨の上に串のように出ていて(こうこつ)〔訳注:これは脛骨のことですが、絶骨の位置は腓骨上にありますので、これは腓骨の誤りと思われます〕

と接しています。その骨の上際に断絶している場所があり、それを絶骨と名づけています。ここは本当に健歩超絶〔訳注:非常に健康に歩くことができるため〕の奇骨〔訳注:特別な骨〕です。今これを俗に楊枝骨と呼ぶ理由は、その形が剔牙杖〔訳注:楊枝〕に似ているためです。髄は骨中の精液であり、脚跟〔訳注:あしのかかと〕は人身のもっとも下にあります、ですから諸髓は下に流れてこの絶骨に帰するわけです。たとえば江海〔訳注:大河や大湖〕はよく流れ下るので百谷の王とされているようなものです。百骸〔訳注:全身〕を載せて健歩する〔訳注:元気に歩く〕人は髓液が充実しており骨力が壮んです、これに対して髄液が充実していない人は骨が乾渋して痛みますので遠くまで歩いて行くことができません。老人の脇痛の多くは髓液が枯涸したものです。また四肢は身体の末梢にあたり、諸水が注ぐ所です、ですから髄液の白は陰に象り脚に出て髄会とし、血脉の赤は陽に象り手に出て脉会とするのです。いわゆる腎が病むと足脛が寒くなり、心が病むと手掌が熱するというのは、このためです。


問いて曰く。骨髄は腎に属します、どうして胆経に会するのでしょうか。

答えて曰く。全身あらゆる所に骨髄があります。けれども骨の要所と言える場所は踝上にあるのです。胆経は、胃と膀胱二経の中を行くため、絶骨はたまたま骨の中に〔訳注:腓骨の中にの誤りか〕あるわけです。必ずしもその属する経脉に拘わる必要はありません。






血会は膈兪です。


膈兪は背にあり、背は陰地とします、陰血の旺する場所です。また水穀の精は、心に化して血を生じますので血は膈中に充ちます、つまり心は膈の上にあって血脉を主って布散させ、肝は膈の下にあって血海として血を帰納するのです。膈兪は心と肝との中間にありますので血は膈によって布散され、膈によって帰納するということになります。ですから血の都会〔訳注:集まる場所〕とするのです。


問いて曰く。肝は卑〔訳注:低い場所〕に位置して膈から離れています。今膈の下に位置するとしているのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。肝は上に心膈に連なりますので、その募は心募の傍らにあり、その位は斉しいものです。どうして膈から離れることがありましょうか。






骨会は大杼です。


肩は人身の山嶮〔訳注:険しい山〕に象り石骨〔訳注:石のような骨〕が峙立しています。大杼は肩の横骨〔訳注:肩甲棘〕と膊骨〔訳注:腕の骨〕とが接する際にあり〔訳注:大杼の場所は実際は、肩甲間部の第一第二胸椎棘突起間の外方一寸五部にあります〕、全身の堅骨〔訳注:がっしりした骨〕の宗〔訳注:おおもと〕とします、ですからよく負荷に耐えることができるのです。骨は高い場所にあって山岩の象であり、髄は低い場所にあって水脉の状となります、これは人体の形における地理に相当するものです。






脉会は太淵です。


手は人身の前に垂れています、ですから脉の流れは皆な手に帰します、川の水が南に流れるようなものです。手を脉の宗とする理由は、このような位置にあるためです。また太淵は手部の中にあり〔訳注:《素問・三部九候論篇》によると手部〔中部〕の中〔人〕は手の少陰になっています〕三部九候の要です、ですからここを脉会とします。


問いて曰く。ここでは寸口の部位の寸部に位置する太淵穴だけをあげ、尺部にまで言及していないのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。この難では、その大綱を挙げて八会を説いているだけです。第二難では脉候を説明しており、そこでは尺部についても詳しく述べられています。






気会は三焦です。外の一筋が、両乳の内に直っています。


胸は陽高の場所であり気の旺する所です、また肺の外郭とし諸気を総括していますので、気は胸部に会することになります。両乳の中間には膻中穴があります。三焦の原は臍下にあり、その化令〔訳注:働き〕を行う場所は膻中にあります、ですからここを気会するのです。三焦は内にあって形がなく、その外の一筋が両乳の中間にあるのでここを候うのです。経筋は浮いていて見ることができ、経脉は沈んでいて見ることができません、ですから経筋を掲げて三焦の特徴としているものと考えられます。






熱病が、内に在る場合は、その会の気穴を取ります。


穴は気の集まる所ですから気穴と言います。また坎窞〔訳注:深い穴〕のある場所ですから必ず血液が多く、血が多ければ気もまた多いものです、ですからその穴を取ってこれを治療します。熱病にその会を取るということは、熱が腑にあるときは太倉を取り、熱が血にあるときは膈兪を取るといった類のことを言っています。


問いて曰く。八会穴では、熱病を治療することはできるとありますが、寒病を治療することはできないのでしょうか。

答えて曰く。いわゆる病は、気穴の運行が妨げられるために皆な熱となっています、ですから傷寒の伝変もまた熱病と名づけられているのです。ですからこの熱病とは諸病を兼ねて言っているものです。


問いて曰く。どのようにして八会穴の病を弁別すればよいのでしょうか。

答えて曰く。気会は胸部にあり、気が病んでいる時は先ず胸満し気促します。腑会は腹部にあり、腑が病んでいる時は先ず腹痛し吐瀉します。蔵会は脇部にあり、臓が病んでいる時は先ず脇満し支痛します。骨会は肩部にあり、骨が病んでいる時は先ず肩痛し痩削します。脉会は手部にあり、脉が病んでいる時は先ず手が重くなり麻痺します。筋会は膝部にあり、筋が病んでいる時は先ず膝痛し拘攣します。髄会は脚部にあり、髄が病んでいる時は先ず脚気が酸冷します。〔訳注:八会穴の病はおおむね〕このように起こります。また八会穴は諸陰の要所であり地に法ります。胸脇・腹背・肩臂・脚膝は四境四関の要害〔訳注:地の要所〕であり、頭は諸陽の会で天に象り眼耳鼻舌・声色臭味等の四根四識が繋がる場所〔訳注:天の要所〕ですから、別のものとして説明しています。八会穴の中にもまた陽がありますけれども、頭に対するときは全て陰と考えます。



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