脉状の構造




《難経》ではその脉状の病脉としての動きを述べていく上で、脉状の変化を浮沈・長短・滑渋の六種類に分けています。これは病脉ですので、胃の気が少し弱り、五臓の気の厚薄が寸口の脉にも表現されている状態であると考えているわけです。このそれぞれは陰陽関係となっています。これはつまり、浮沈・長短・滑渋という三つの観点を切り口として、一元の生命力の表われを見ようとしているのである、ということが理解できるでしょう。

この切り口について広岡蘇仙は、浮沈は「上下」を意味し、それぞれ陽陰の「性」の観点を切り口としたものであり、長短は「左右」を意味し、それぞれ陽陰の「体」の観点を切り口としたものであり、滑渋は「中間」を意味し、それぞれ陽陰の「用」の観点を切り口としたものであると解釈しています。〔注:ここで陰陽と言わずに陽陰と言っているのは、浮沈長短滑渋それぞれの、陰陽の配当に従っているためです。〕

上下左右中間というのは、五行理論へ当てはめたものです。また、「性」は本性、「体」は本体、「用」は機能と考えられます。このようにして、一元としての生命力を五個所からの観点と三個所からの観点で広岡蘇仙は把握しなおしているわけです。







この観点が正しいかどうかということについて検討しておきましょう。


まず、上下左右中間ということは、一般的な五行理論における空間的配置と符合しますので、正解といえるのではないかと思えます。しかし、これは、寸口の部位における脉診が、三次元的な宇宙をそこに孕んでいるものであるということが前提になっています。つまり静的な球体というイメージです。

ところが、脉は実際には球体ではなく流体ですよね。川の流れのような感じです。

ですから、ここで述べられている左右という概念は、一般的な「左」と「右」という意味とは異なるものであるということに注意しなければなりません。これは、「前」「後」を意味するものであると、置き換えて考えたほうがよいでしょう。

滑渋を中間と把えるのは、広岡蘇仙が『中気が通じているときは滑脉を呈し、通じていないときは濇脉を呈するからです。これはまた、滑が上下左右に通ずる理由でもあります。』と述べている、そのとおりに考えることができます。

「性」と「体」と「用」という観点は、どこから来ているのかは判然としません。

現代中医学でよく使われる体用理論という概念は、体〔注:本体〕と用〔注:機能〕とを陰陽関係として把えなおして使っているものです。これに「性」が加わっていることは、天人地の三才という古典的な概念で説明しきれません。体用関係とそれを包含する本来的な性質というふうに考えると、しっくりします。広岡蘇仙はこのような観点から、寸口の脉に現われる一元の生命力の状態を見ていこうとしていたのだと考えられます。







さて、このような抽象的な観点からのこの六祖脉〔注:浮沈長短滑渋〕の解説は、他の文献ではなされておりませんが、非常に重要かつ興味深い見方であろうかと思われます。

現代の我々がこのような古典を読むときに重要なことは、これで一元の気が表現されているのかどうかということです。広岡蘇仙の概念は、各々の観点がバランスよく配置されているということは、これまで検討してきたとおりです。

このような抽象的な観点から祖脉が位置づけられているということを考えるなら、その脉状が、単に浮沈長短滑渋という言葉からイメージされる定型的な脉状だけではなく、より幅広い脉状を実際的には想定しているものである、ということが理解されるでしょう。







四難で提示されている六脉は、この六祖脉を組み合わせてより詳細な陰陽関係について触れています。《難経鉄鑑》の解説ではさらに、これに病症を対応させておりますが、それは屋上屋を重ねるものであると言えましょう。(イメージは膨らみますが)

以下に一応その四難の六脉を提げておきます。

「一陰一陽とは、脉が来ること沈で滑のもの」
「一陰二陽は脉が来ること沈滑で長のもの」
「一陰三陽は脉が来ること浮滑にして長で、時に一沈するもの」
「一陽一陰とは、脉が来ること浮で渋のもの」
「一陽二陰は、脉が来ること長渋で沈のもの」
「一陽三陰は、脉が来ること沈渋で短で、時に一浮するもの」







《難経》ではこの浮沈長短滑渋の六祖脉に遅数を加えています。これは十四難で独立の項目を設け、脈拍数と呼吸との関係として展開されています。ということは、浮沈長短滑渋遅数の八脉が基本的な脉状すなわち八祖脉として考えられていたということでしょう。







浮沈は浮脉と沈脉・長短は長い短い・滑渋は滑らかか渋るかということですね。すべて病脉ですので、この滑らかというのも、陽気が過多となって滑滑(かつかつ)と飛び跳ねるようなイメージを持ってください。これが更に過剰になり、長脉と結びつくと洪脉になり、短脉と結びつくと散脉になります。

これは病脉について語られているものであり、正常そのものの場合は一つにまとまって一本の美しい胃の気の脉になります。それがさまざまに展開されている姿を、さまざまな観点から眺めていく、その基礎概念が八祖脉ということになるわけですね。

後世、この他に、基礎的な脉型を呈示した中で有名なものに、李時珍の《瀕湖脉学》における二十七脉(浮沈・遅数・滑渋・虚実・長短・洪微・緊緩・芤弦・革牢濡弱散細・伏動・促結代)があります。

また現代中医の脉学研究家である徐明はこれに疾を加えて、二十八脉としています。《脉学縦横談》〈黒竜江科学技術出版社:一九八七年第一版・第一刷〉

ともに参考になりますが、この難で考究した形での論考に、お目にかかることはないでしょう。

人は生きていますから、食事や入浴、季節の変化や病気に罹患したときなどに多彩な変化を表わしていきます。そのため、病脉として非常に多くの種類が記載されていくこととなるわけです。甚だしいものには七死脉といったものまであります。胃の気の一条の健康な脉状から八脉に展開され、さらにさまざまな脉状がその病状に従って現れていくわけですね。

しかしこれらの詳細な脉状をかみわけられたとしても、結局はすべて、全身状態との関連の中から解き明かしていかなければ正確な病態把握にはならないということは、改めて言うまでもないことです。







2003年 3月9日 日曜   BY 六妖會




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