第 五十二 難

第五十二難




五十二難に曰く。腑と臓とが病を発する際、その根本は等しいのでしょうか、そうではないのでしょうか。


前難では臓腑の嗜欲につて論じ、この難では臓腑の根本について説明しています。本を病形とし、末を病情とします。この情というのは好悪のことです。






然なり。等しくはありません。


当然陰陽の差があります。物が斉しくないということは物の情です。






どうしてでしょうか。


病情は異なっても、病根は斉しいはずです。それを等しくはないと言うのはどうしてなのでしょうか。






然なり。臓病は止まって移りません、その病がその場所を離れないのです。腑病は彷彿として賁嚮し、上下に行流して、一定の所に留まりません。


臓は陰であり、陰の性は住著(じゅうちゃく)する〔訳注:一定の場所に止まる〕ものです、ですからその病もまた凝固します。「止まって移」らないということは、夜の病が昼に移らず、痛みの疾病が痒みに移らないといった類です。「その場所を離れない」ということは、頭の病が頭から離れず、腹の疾病が背に移らないといった類です。このような病状で熱実の動勢がない場合は、陰に属して治療し難いものとなります。


腑は陽であり、陽の性は遷動する〔訳注:変化し移動する〕ものです、ですからその病もまた転換します。「彷彿」とは、あるようでないものです、病がここにあるかと思っても忽然として他の場所に移り、把握し難いもののことです。「奔嚮」とはその病勢が移動するもののことです。外邪は陽に属します、ですから卒暴の〔訳注:急激に起こる〕変病が多くなります。「上下に行流」するとは、遊腫〔訳注:移動する腫〕や注痛〔訳注:移動する痛み〕の類であり、頭痛が脚気に変化し、泄痢が眼病に変化するといった症候が全てこれにあたります。「一定の所に留ま」らないとは、その病が急に集まったり急に散じたり、急に大きくなったり急に小さくなったり、塊があるかと思うとすぐ消えて痛みとなって去ったり、斑疹が出没するといった類がこれです。このような病状で虚冷による内傷がない場合は、陽に属して治し難くはないものです。


また臓腑の病には軽重がありますので、臓の病であっても軽いときは治し易く、腑の病であっても重いときは治し難いものです。また臓の病が転じて動じ七伝間臓の病〔訳注:五十三難参照〕となったり、腑の病であっても留止して癰腫泄痢等の疾患となったりします。一轍(いってつ)のものとして〔訳注:決められた法則として〕考えないようにしてください。






ですからこのようにして臓腑が根本的に同じではないということを理解することができるでしょう。


臓腑は、陰陽を根本とします、ですから陰症と陽症という違いがあります。元気を根本とする論と混同しないようにしてください。



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