第 五十三 難

第五十三難




五十三難に曰く。経に、七伝のものは死に間臓のものは生きるとありますが、どういう意味なのでしょうか。


前の諸難では五邪と陰陽の道とを広く論じ尽してきました。けれどもまだ死生を決する法については触れていません、ですからこの難を設けています。「七伝」とは邪気が甚だしく、その剋する所に伝えて七回伝わるときは死ぬということです。「間臓」とは邪が微いため、その生ずる所に伝えて転換しますが七回とは限りません。邪に間があるときは五臓にもまた間がありますので間臓と言います。また七伝するさいの邪が甚だしい場合には五臓にもまた邪が甚だしいものです、ですから本当は甚臓というべきなのですが、これを七伝という理由は、七伝することによって死ぬからです。これはこの《難経》の文法です。






然なり。七伝はその勝つ所に伝え、間臓はその子に伝えます。


剋する所は君臣であり疎〔訳注:親しい関係にはないもの〕です、生ずる所は父子であり親〔訳注:親しい関係にあるもの〕です。邪が微のときはただその親に及ぶだけですが、邪が甚だしいときはその疎を犯すことになるため結局は大乱になります。






どういうことかと言うと、たとえば心が病むと、それが肺に伝わり、肺は肝に伝え、肝は脾に伝え、脾は腎に伝え、腎は心に伝えます。一臓が再び傷れることはありませんので、七伝するものは死ぬと言うわけです。


心が病むと身熱し煩痛します、肺に伝わると悪寒し喘咳します、肝に伝わると脇満して便が出難くなります、脾に伝わると体が重くなり節々が痛みます、腎に伝わると小腹が痛み足脛が寒えます、腎からまた心に伝わると熱煩が転じてさらに甚だしくなります。初めに心病と言っているのは、心自身が病んでいるものについて言っており、後で心病と言っているのは腎の邪が心に伝わったものです。五臓が同じように剋されるときは一傷です。心の邪がさらに再び肺に伝わるときは、再び傷られるということですから、肺はこのような再剋を受け止めることはできないため、死にます。ですから七伝するものは死ぬと言っているわけです。


問いて曰く。伝剋して死ぬものは皆な七伝したのでしょうか。

答えて曰く。これはその一隅をあげているだけです。書物として語り尽すことはできません。経伝というものは皆なこのようなものです、ともに学びともに権(はか)るべしとはこのことを言っているのです。また人身には元気があり、臓気があります。天の大気が混淆されることによって人に満たされ、臓腑百体に満ち充ちているものが元気です。その気が分割されて、木気が肝に分布し火気が心に分布するといった類のものが臓気です。ですから伝剋することによって死ぬものは臓気が絶しているものであり、伝臓することなしに死ぬものは元気が絶しているものです。いわゆる寸口の脉が平であるのに死ぬものとは、臓気がまだ絶してはいないのに元気が先に絶したものです。脉が一止して一臓に気がなくなったり、五臓に気がなくなっていてもまだ生きているものは、臓気はすでに絶していても元気がまだ尽きてはいない状態です。邪気が激しいために死ぬものは臓気もまだ尽きてはいませんので、伝わることなしに死んだり、一伝か二伝するだけで死にます。ですから全て同じように七伝することによって死ぬわけではありません。






たとえば心が病み、それが脾に伝わり、脾は肺に伝え、肺は腎に伝え、腎は肝に伝え、肝は心に伝えます。これは子母に伝わるということで、終わってもまた始まり、環の端がないようなものです、ですから生きると言います。


間臓もまた伝です。その幾数〔訳注:いくつまでが伝わるかということ〕を言わない理由は、この伝が生生循環して限りがないからです。心が病んでその煩熱が脾に伝わると寝ることを好み、肺に伝わると喘咳します。こういった病候は七伝と同じものです、ですから生剋の意味というものは模糊としていて明確ではありません。けれども生生するということは陽の道によりますので、これを診察すと当然その気は怡楽(いらく)〔訳注:和楽:調和がとれ元気そう〕・その序は福祥・その脉状は優遊・その顔色は清爽等の順候があります。剋々ということは陰の道によりますので、これを診察すると、かえってその気は憊溷(はいこん)〔訳注:疲れ汚れ〕・その序は夭凶・その脉状は鬆脆(そうき)〔訳注:粗くもろい〕・その顔色は薄濁等の逆候があります。ですから「逆」のものは当然死に、「順」のものは当然生きることになります。また、七伝間臓がそのまま五臓に伝わるとするのは間違いです。たとえば脾が病んで腎に伝わるということは逆剋です、肺に伝わるということは順生です。さらに、一伝するか二伝するか七伝するかという変に関しては、定めることはできません。思うのですが、心が病んで肝に伝わるということは逆生であり、心が病んで腎に伝わるということは横剋です。脉に縦あり・横あり・逆あり・順ありと言われているのはこのことではないでしょうか。



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