第 五十七 難

第五十七難




五十七難に曰く。泄には幾つかあります。その全てに名前があるのでしょうかないのでしょうか。


前難の積滞は陰に法ります、五臓の気が凝結しているからです。この難の泄痢は陽に象ります、六腑の気が乱れているからです。






然なり。泄には五種類あり、その名前も異なっています。胃泄・脾泄・大腸泄・小腸泄・大瘕泄があります。これを名づけて後重と言います。


七衝門は一本の路ですけれども、その滞る所に差があります。ですから胃に凝るときは胃泄となり、大腸に凝るときは大腸泄となり、凝滞が甚だしいときは瘕泄となります。泄痢というものは後門が沈重なものであり軽易の常態を失するものですから、後重と言います。この難では、五泄の結びとして後重と呼んでおり、三十五難では五腑の結びとして下焦が治める所と言っています、この文法は同じものです。


問いて曰く。泄痢は六腑に属します。けれども胆泄と膀胱泄とがないのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。胆と膀胱とは六腑として並べられていますが、七衝門〔訳注:口から肛門までの消化通路の七つの関門〕とは関わりませんので、この二腑の泄はありません。脾は五臓に属しますけれども、穀府を化することに関与していますので、反って脾泄が加えられています。そうは言っても、諸泄は皆な胆木の発生の功を失したために生気が下陥してなるものです。また膀胱の気化の運動が失調すると、小水が気持ちよく出なくなります。このように考えると、胆と膀胱とは実は諸泄の主であると考えられます。治法を考える場合も、このようなことをよく考慮してください。






胃泄は、飲食が化さず色が黄色です。


胃が病むと、飲食が運化されないために胃中に長期にわたって鬱積します。ですから胃の色に染まって黄色になります。


問いて曰く。大便は大小腸を通して下ってきます。にもかかわらず胃の色だけが現われて大小腸の色が現われないのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。その理由は、胃は病んでいますが大小腸は病んでいないからです。病んでいないものはその門路が開通しているため滞ることがありません。ですからどうして便に大小腸の色が現われることがあるでしょうか。また思うのですが、平素大便の色が黄色い理由は、水穀が脾胃によって剋化されるので、その色に染まっているのでしょう。






脾泄は、腹部が脹満し泄注し、食すれば嘔吐し逆します。


「脹満」とは、脾が運化せず中焦が停滞したために起した〔訳注:盛り上がった〕ものです。「泄注」とは、水を注ぐように泄することです、これは転化機能が弱ったために水穀が充分に分化さずにおこります。「嘔吐」とは、中気が和さないために上下の通路が阻害されておこるものです、「嘔」には声があり逆気が上焦を撃ったもので、「吐」には声がなく中焦が逆転したものです。また上焦は肺に属しますので声が出、中焦は脾に属しますので声が出ません。いわゆる寂寞として聞くことがないものは宮である、というのがこれです。






大腸泄は、食し終わると窘迫(きんはく)する〔訳注:ひどく困窮する〕ものです。大便の色は白く、腸鳴し切痛します。


水穀が胃に入ると中気が運動して旧穀が下行します、ですから伝導の官が病むとそれを受けとめられずに窘迫し、排便しようとします。大腸が欝留することによってその色に染まるため白くなります。その濁気は互いに迫撃してして声となり、渋滞するために痛みが出ます。これは気が病んで血は未だ病んではいないものです。






小腸泄は、溲し〔訳注:小便をし〕膿血便をし少腹が痛みます。


小腸は心の腑であり、血を主ります。ですから小腸が病むと赤腸の色に染まるために膿血便となります。これは血は病んでいますが気は病んでいないものです、ですから気化は正常ですので小便は通利します。その少腹が痛むとあるのは、小腸募のある所が痛むのです。






大瘕泄は、裏急後重します。何回も圊に行きますが排便することができず、莖中が痛みます。


腹中に結瘕して〔訳注:結塊ができて〕泄するものは気血の凝滞が甚だしいものです、ですから腹裏が急迫して、後門が沈重となります。圊(せい)〔訳注:便所〕に行っても排便することができないのは血が濡(うるお)わないからです、莖中が渋り痛むのは気が温煦できないからです。これは五泄の中でもっとも重症のものです。思うのですが、後世、痢と名づけた中で、色が白く裏急後重するものを白痢と言いますが、これはこの大腸瘕を指すものでしょう。また色が赤く裏急後重するものを赤痢と言いますが、これは小腸瘕のことでしょう。またこの五色が混在しているものは五邪の変によります。さらには脾胃の瘕もあり、五臓六腑の瘕もあると考えるべきです。


問いて曰く。この《難経》の中では五という数を五臓に配することが多いですが、ここで腎と肝とを欠いているのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。泄痢は水穀の病です、ですから脾胃だけをあげています。けれども諸病の変に対して五臓が関与しないということはありません。脾泄で嘔逆するのは実は肝木によるものです、大瘕泄で二陰が裏急後重するのは腎が主るものです、腎に属するために形を生じて瘕を形成するわけです。腎はもともと泄の主です。《内経》に言う所の、腎の竅は二陰ということと、腎は胃の関であるということが、これを示しています。






これが五泄の要法です。


下泄の要領を掲げました。諸泄の変化はこれをもとにして推測していってください。



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