第 五十八 難

第五十八難




五十八難に曰く。傷寒に幾つかあります。その脉状にも変化があるのでしょうか、ないのでしょうか。


そもそも陽は生の道であり、陰は死の路です、陽は育て陰は殺します、ですから陰毒が生を傷る危険性がもっとも大きいのです。そのため五邪の中で、傷寒だけを特に取り上げ詳細に論じているわけです。傷寒による病状は多岐にわたりますから、その脉状も多岐にわたっており、病症に従って変化します。後世、張先生〔訳注:張仲景〕は《傷寒論》を著わし、『傷寒は十の病のうち八九までに潜んでいます』と述べています。このことからも傷寒による病がいかに多いかということが判ります。






然なり。傷寒には五種類あります。中風・傷寒・湿温・熱病・温病です。そしてその苦しむ所はそれぞれ異なっています。


この難の四節は、初めは傷寒の綱目をあげ、二つめは脉法をあげ、三つめは治法をあげ、四つめには診法をあげています。傷寒は非常に多岐にわたっていますので、このように五つの綱目をあげて分類しているのです。この五綱目もまた五行の意味をもっています。「中風」は木に属し、悪寒し発熱し・顔面に五色を発するといった症状を呈します。「傷寒」は金に発し、洒淅寒熱し・面容〔訳注:顔の表情〕が惨痛となるといった症状を呈します。「湿温」は水に属し、手足厥冷・身体が緊まり汗が出るといった症状を呈します。「温病」は土に属し、その病は緩やかで熱も甚だしくはありません、四肢が怠惰となり・飲食しても味を感じないといった症状が混在して現われます。傷寒の証のものは、それぞれの経に散在し、その変化は百出しますけれども、この五綱目から外れることはありません。






中風の脉は、陽は浮で滑、陰は濡で弱です。湿温の脉は、陽は浮で弱、陰は小で急です。傷寒の脉は、陰陽ともに盛で緊濇です。熱病の脉は、陰陽ともに浮で、これを浮かべると滑、これを沈めると散濇です。温病の脉は、諸経に行在します、どの経が動ずるかはわかりません。


中風の脉状が浮であるということは、風の性の上昇する部分を表わしています、またその脉状が滑であるということは、風気が通利していることを表わしています、これを風の陽とします。中部の脉状が濡であるということは、風の体の和濡な部分を表わしています、またその脉状が弱であるということは、風力が軟弱であることを表わしています、これを風の陰とします。


湿温の脉状は、その湿が温熱を得ることによって上蒸するために浮脉となります、浮であっても湿の性質は柔濡なものなので脉は弱くなります、ですから中風の脉状の浮で力があるようなものとは異なります、これを湿の陽とします。湿温の脉状が小であるということは湿の性質が卑細であるということを表わしています、その脉状が急であるのは湿の気が滞濇であることを表わしています、ですからこれは中風の脉状の通行するということと比べることはできません、これを湿の陰とします。


傷寒の脉状が緊であるのは、寒の性質が厳固であることを表わしており、脉状の濇は寒の気が縮急するものであることを表わしています、また陰陽ともに盛実なものは邪が烈しいという象です。


熱病の脉状が浮位で滑なのは、焔気が閃動していることを表わしており、沈位で散濇なのは、火にもともと質がないために物に付着し散在してまとまらないということを表わしています。また火勢が迫っているときは血脉が沸騰して滑脉を表わしますが、その栄中の血は散じているために渋濇となりますので、このような脉状を呈します。


また思うのですが、寒は緊濇で力があり、熱は散濇で力がなく、傷寒と熱病とは偏陰偏陽しています、ですから陰陽の脉状が同じように現われるのでしょう。中風と湿温とは陰陽が半々なので、陰陽でその脉状が分かれているのでしょう。


温病は土気であり専主する〔訳注:一定の場所を主る〕ことがありませんので、六経の病状の中で緩やかなものを温と名づけます。つまり温病の脉状は三部四経〔訳注:すべての脉の部位〕の中いたる所に見られ、その動がどの場所にあるのかということを一定のものとして定め、把えることができないものです。


問いて曰く。温病とはどのような状態を指すのでしょうか。

答えて曰く。温とは熱が甚だしくないものの名前であり、その病状が緩やかであること、つまりは邪が緩やかなものに対して温病と名づけています。傷寒と熱病の二病は陰陽それぞれに偏っているため、そこに温邪はありません。中風と湿温との二証で、その病状が緩やかなときそこに温邪があります。けれども《難経》本文で、諸経に行在すると言っていますので、傷寒と熱病の変証の中にも温邪があると考えるべきでしょう。湿温の病と言うとき、湿とはもともと陰が凝結したものですから、温邪がそこに関わっていなければ変化することができません。湿温という言葉を使わずただ湿という言葉を使うときは、前難における五邪の中湿のことで、傷寒のことではありません。また温邪は四時〔訳注:四季〕全てに存在していますので最も多い邪であると言えます。ですから時行〔訳注:流行病〕のことを瘟疫と言い、邪が劇しいものを温毒と言い、潮熱があるものを温瘧と言い、上にあるものを頭温と呼んでいるのです。またこれ以外にも百合狐惑の病の類も、全てこの温邪が変化したものです。ですからこの経意をよく考えると、傷寒の雑証は全て温病の中に具わっているということになります。ということは、温病を治療する方法と雑病を治療する方法とを一貫したものとして考えていくべきだということです。越人は、後人が傷寒の病が煩瑣であることに困惑するのではないかと心配して、このように集約して示しています。人をよく導く人であると言うべきでしょう。傷寒を研究する人々は、この越人の心を解することなく、広く原野を絡い〔訳注:あまりに広く傷寒を把え過ぎて〕苦しんでいるのです。






それぞれその経のある所に従ってそれを取ります。


温病を結語とすることによって反って五傷寒の治法を結んでいます。これがこの《難経》の文法です。






傷寒の病で、発汗させることによって癒え、下すことによって死ぬものがあります、また逆に、発汗させることによって死に、下すことによって癒えるものがあります。これはどうしてなのでしょうか。


病症は非常に複雑多岐にわたっていますが、陰陽の法則を越えることはありません、ですからそれを治療する大法もまた陰陽を外れることがありません。汗法は陽法であり発散させ通行させる作用があり、下法は陰法であり閉収させ降下させる作用があります。






然なり。陽虚陰盛のものは汗を出させることによって癒えます、これを下せば死にます。陽盛陰虚のものは汗を出させると死にます、これを下せば癒えます。


人身における陰陽は権衡している〔訳注:竿秤の重りと竿のようなバランスをとっている〕ものです。病んでいる場所が虚していると、病んでいない場所が盛になりますので、盛虚という言葉を用いています。陽は表とし上としますので、頭痛・寒熱・喘咳等の症状を呈します。陽法を用いてこれを発汗させると、陽気が通行して癒えますが、誤って陰法を用いてこれを下すと陽気が閉塞するために絶します。陰は裏とし下としますので、脹満・二便秘渋等の症状を呈します。陰法を用いてこれを下すと陰血が順利して癒えますが、誤って陽法を用いてこれを発汗させると陰血が涸竭して絶します。十三難で、陽絶には陰を補い陰絶には陽を補うと言っているのもこの意味です。発汗法と下法とは傷寒の治法の大機〔訳注:中心となる治療法〕ですから、この二種類だけをあげています。もし表裏ともに病んでいるならば陰陽兼治し、表裏の半ばにあるときは陰陽和解し、胸膈にあるときは吐かせて陽を泄らし、水道にあるときは滲して〔訳注:小便をさせて〕陰を泄らします。また、陽病に陰法を用い、陰病に陽法を行なうというのは、変証に対して行なっているものです。諸難を融通無碍に把握することによって臨機応変な治療法を理解していきましょう。






寒熱の病状を候うにはどうすればよいのでしょうか。


寒と熱とは病の大段です、その中には諸温も兼ねています。重いものを寒熱とし、軽いものを諸温として語っています。






然なり。皮が寒熱すると、皮を席に近づけることもできなくなり、毛髪が焦げ鼻は槁れて汗が出ません。肌が寒熱すると、皮膚が痛み唇舌が槁れて無汗になります。骨が寒熱すると、病者は安らぐこともできなくなり汗が休みなく注ぐように出、歯本が槁れて痛みます。


皮は表であり、陽とします、骨は裏であり、陰とします、肌は表裏の中であり、陰陽の間とします。また皮は脉を兼ねており、骨は筋を兼ねており、肌は五部に通じています。皮は表の墻(かき)〔訳注:垣根〕であり、この部位を邪が侵すと皮表が固くなり虚して坐っても臥ても安らかではいられなくなります。毛は表にあり、髪は上にあり、鼻は肺に属します、全て陽分に属しており、皮表が熱しているため焦げて槁れ〔訳注:枯れ〕ます、汗が出ないということは表気が通じていないということです。肌は五部の中間に位置し表裏に通じています。皮膚が痛むということは表であり、唇舌が槁れるということは裏です。また皮の病は浅く毛髪にありますので痛みませんが、肌の病は皮より深いため痛みがあります、さらに表裏ともに病んでいますので気と液とが通じなくなり、無汗となります。この無汗は栄血が乾いたために生じるものであり、皮の病で汗が出ないというのは衛気が閉じたためになるものです、ここに浅深の区別があるということを押さえておいてください。骨は裏の柱であり、裏が病むとこの真元の礎(いしずえ)が動じますので、その病状も安静ではあり得ません。躁煩し、頭を揺らし、四肢を抛り、甚だしい場合は手で空を撮したり床を摸すという状態〔訳注:逆証の徴候〕を呈します。裏は病んでいますが表は和していますので、津液が溢れ出て注ぐような汗が出ます。骨髄が消耗しているので歯本が槁れて痛みます。


問いて曰く。傷風の場合は表が病んで発汗します、どうしてここでは表病には汗が出ないというのでしょうか。

答えて曰く。《難経》における傷寒の治療法は、汗法と下法という二種類だけです。表に病があるものは発汗させますので、傷風で汗が出ている場合であっても同じように発汗法を用います、ですから一緒にして汗が出ないと言っているのです。けれども皮毛の病の場合には汗が出ないと言い、肌膚の病の場合は無汗と言っていますので、ことさら誤りであると言う必要はないでしょう。汗が出ないということは、汗が通行しないということです、傷風で汗が出るということはまさにこの通行が失調しているのです、ですから汗法を用いると癒えます。骨が病んでいる場合の注ぐような汗とは、懸隔し〔訳注:大きな隔たりがあり〕ます。


問いて曰く。傷寒病の綱領となっているものは六経です。《難経》の本文ではこのことが横に置かれて論じられていないのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。傷寒病には六経の別がありますけれども、その実は表裏の二種類だけです。ですから太陽・陽明・少陽は表の微甚のことであり、甚だしいものはこれを発汗させ、微しのときはこれを解します。太陰・少陰・厥陰は裏の緩急のことでり、急なときはこれを下し、緩やかなときはこれを清します。この《難経》では、表裏を論ずる際に皮・脉・肌・筋・骨の五部をあげています、これはその本に従っているものです。また六経はもともとは経脉の名前であり表裏の名前ではありません。表を陽としますので、表病では三陽経の症状を呈します、裏を陰としますので、裏病では三陰経の症状を呈します。このように六経によって表裏を論ずるということは、その標に従っているものです。標と本との違いはありますけれども、その病情については同じように正確に説明されています。


問いて曰く。この《難経》でも六経の症状について述べられているのでしょうか。

答えて曰く。この経ではすでに、病状というものは非常に多いので語り尽すことはできません、と語られています、ですから春夏秋冬に関連づけて述べているのです。これは四時〔訳注:四季〕の状態の中から五臓に関連させて複雑多岐にわたる病変を理解していこうとするものです。


ためしに六経の症状について五邪と関連させて語ってみましょう。肺の傷寒は、身熱し・洒洒と悪寒し・鼻が和さず、一呼に脉は三至で、頭痛・目眩・脇満・短気といった症状を呈します、もし督脉が侵されると脊が強ばります、陽維が犯されると悪寒発熱して瘧のような状態となります、これがいわゆる太陽の証です。脾の傷寒は、身熱し・体が重く・肢節や肌肉が痛むといった症状を呈します、脉状が洪大なものは煩満に苦しみます、これがいわゆる陽明の証です。肝の傷寒は、身熱して脇下が満ちて痛むといった症状を呈します、その脉状は浮大で弦です、これがいわゆる少陽の証です。また手の三陽が風寒を受けて厥頭痛するものは、全て三陽の表証です。


また脾の裏証があります。腹部が脹満し・食べても消化できず・注ぐように泄瀉し・嘔吐し・四肢が収まらないといった症状を呈します、その脉状が沈細のものは腹中が痛み、滑のものは熱に傷られ、濇のものは霧露に中(あた)っています。もし陰維が侵されると悵然として〔訳注:失望しうらみ嘆き〕志を失い心痛に苦しみます、これがいわゆる太陰の証です。腎の裏証は、逆気して・小腹急痛し・下重するように泄瀉し・莖中が痛み・足脛が寒えて逆し・喘逆し骨痿し・少気となるといった症状を呈します、その脉状が沈濡で大のものはその人が困窮していることを表わし、沈細のものは夜に悪化し、浮大のものは昼に悪化します、これがいわゆる少陰の証です。肝の裏証は、四肢満閉し・淋溲し便が出難く・転筋し・目を閉じて人を見ようとしないといった症状を呈します、もし任脉が侵されると内に結を生じて苦しみます、これがいわゆる厥陰の証です。その他、蛔厥の病のものが復び食して霍乱吐痢するのは脾が病んでいるものです、陰陽易〔訳注:傷寒の病が完全に回復しないうちに房事を行ない、再び罹患したもの〕は腎が病んでいるものです、風による〔訳注:筋の痙攣・角弓反張〕や暈〔訳注:めまい〕や厥〔訳注:四肢厥冷〕は肝が病んでいるものです。心肺は上にあり陽症とし、腎肝は下にあり陰症とし、脾は中にあり陰陽を兼ねると考えます。これを大綱としてさまざまな病気を診察し、この診方が上手になれば、あらゆる病気に対して対応していくことができます。


問いて曰く。この《難経》の中ですでに傷寒について詳細に説かれているのであれば、長沙の論〔訳注:長沙に生まれた張仲景の《傷寒論》の論〕は無益なのでしょうか。

答えて曰く。叡智がある者はこの経を読むだけで充分です。庸才は長沙の論によらなければよく理解することはできないでしょう。師は、難経八十一篇、毎篇の中に八十一篇が込められているということがわかれば、経そのものが経の註釈となり、その意味を自然に会得することができるでしょう、と言われました。私は、この師の指示にしたがってさらに経義を拡充しているだけです。そもそも長沙〔訳注:張仲景〕は、その聖智によって越人〔訳注:秦越人《難経》の著者〕を探究し、経意に通暁し、薬性に洞達して、湯液の祖となったものです。このような者は扁君〔訳注:秦越人:扁鵲とも呼ばれる〕の後ただ一人だけです。後学は博くは長沙の論を考究し、集約させてはこの難を考究していくなら、より速く理解することができるでしょう。



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