第 六十三 難

第六十三難




六十三難に曰く、十変に、五臓六腑の栄合は全て井を始めとしているとありますが、これはどうしてなのでしょうか。


この疑問がなぜ起こるのかと言うと、前難の言に基づくならば、原穴を始めにすべきではないかと思われるからです。けれども《十変》では、井を始めとしています。それはどうしてなのでしょうか。「栄合」とは井栄兪経合の五兪穴を省略した言葉です。






然なり。井は東方であり春です。万物が始生する所です、諸蚑は行き、喘は息し蜎は飛び、蠕は動きます。生ずべきのものは皆な、春に生じます。


井を始めとする理由は、地に東方があり、天に春気があり、これをともに万物の生ずる所としているようなものです。「蚑」とは諸々の足を使って行くものであり、「喘」とは諸々の口を用いて呼吸するもののことであり、「蜎」とは諸々の翼を使って飛ぶものであり、「蠕」とは諸々の身体を使って動くものです。また麒麟は「蚑」の長とし、亀は「喘」の長とし、鳳凰は「蜎」の長とし、龍は「蠕」の長とします。また「行」は屈伸しますので木に属し、「喘」は声音が出るので金に属し、「蜎」は撃揚しますので火に属し、「蠕」は伏動しますので水に属します。これらは春気は諸々の形があるものを化生するということを言っているものです。


問いて曰く。亀には声がありません、どうして喘の長とするのでしょうか。

答えて曰く。亀には鼈甲があり、また気を服すことが巧みなので金に象ります、ですから声はありませんが喘に属するとします。






ですから年の数は春に始まり、日の数は甲に始まるのです。


有形の生を使って無形の始まりを証明しています。年は春に始まり、春は十二月の首とします。日は甲に始まり、甲は六十日の首とします。ですから兪もまた井に始まります。井は十二経の元始であり、また六十兪の魁首とします。五兪穴には実際は六十六穴ありますけれども、そのうち六穴の原穴は兪穴と同じものと考えますので六十穴あるとします。






ですから井を始めとするのです。


前難では原穴は五兪を主り総督するものとし、この難では井穴は五兪穴の元始としています。原穴は土に属し井穴は木に属します、土は培い木は掲げ〔訳注:そびえ立ち〕、ともに五行の父母としますので、ここに特に原穴と井穴とをあげているのです。そもそも春は生気です。天には四時〔訳注:四季〕がありますけれども、ただこの生気を補っているものです、人には四相〔訳注:生老病死〕がありますけれども、ただこの生気が変化したものです、経伝には万帙〔訳注:非常に多くの種類〕がありますけれども、ただこの生を導こうとしているだけです。ですからここにまとめて言うと、四時は皆な春であり、四相は皆な生であり、元亨利貞〔訳注:《易》の言葉〕は皆な元であり、仁義礼智は皆な仁なのです。ああ、天地万物はまさにただ生気そのものなのです。



一元流
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