第 七 難

第七難




七難に曰く。経に言う、少陽の至る脉状は、たちまち大たちまち小、たちまち短たちまち長、陽明の至る脉状は、浮大にして短、太陽の至る脉状は、洪大にして長、太陰の至る脉状は、緊大にして長、少陰の至る脉状は、緊細にして微、厥陰の至る、沈短にして敦ですと。


一般的に《難経》の中で「経に言う」と述べられているものは、その当時残存していた古い経典の言葉を引用してその意味を明確にしようとしたものです。このような古い経典は現在まで残っておらず検証することはできません。現存する《素問》《霊枢》も、このような古い経典の残篇であろうと思われます。


「少陽」とは、陽が初めて生じたもので嫩弱〔訳注:やわらかく弱い〕で、血気がまだ定まっていない象〔訳注:かたち〕を表わしています。そのためその脉状も大小長短を表わして、陰陽が混在して現われるのです。これは初心者の芸術の巧拙〔訳注:上手下手〕を決めつけることができないのと同じです。「陽明」は、陽気が盛大で光り輝いていますので、その脉状も浮で大なのです。短を帯びることがあるのは、その陽がまだ完全ではないからです。つまり盛陽の中に少し陰を含んでいるのです。陽明が太陽に及ばない理由です。「太陽」は陽の極まったものなので、その脉状は洪大で長です。洪は水が大いに活動する象を表わしています。陽明の浮が徐々に洪となるわけです。洪には力があり浮には力がありません。また陽明の短も同じように長になります。これらは皆な陽が盛美〔訳注:盛で立派なこと〕であることを示しています。「太陰」は陰の始めです。太陽の洪が変化して緊となります。緊とは緊縮という意味で、陽の洪が動じて陰気を得て収縮したものです。「少陰」は陰が徐々に深くなってきたものです。そのため大は減じて微となり、長は痩せて細となります。これが少陰の脉状が緊細で微である理由です。しかし少陰の脉状は、細でも細長であり、緊でも緊急であって、まだ力があります。これは陽を兼ねている象なのです。少陰が極陰ではないからです。「厥陰」は極陰です。沈は浮が陥入したもので、短は長が縮んだものです。陽が皆な沈下したものを敦と言います。敦は分厚く重い状態を表わし、極陰となって陽が下って凝縮した状態を示します。


問いて曰く。微と敦とはどのように区別するのでしょうか。

答えて曰く。微は陰ですけれどもまだ上り浮かぶことがありますので極陰とはしません。敦は下り凝るため極陰とするわけです。






この六種類の脉状は平脉でしょうか、病脉でしょうか。


古経にはこのように六種類の脉状の名前が挙げられていますが、平素の状態であるか病変の徴候であるかということを示していないので、これをどのように理解すべきかということを聞いています。






然なり。これらは王脉です。


王とは主宰するという意味です。そのため人の主となるものを王と呼びます。ここで言う王とは、三陰三陽が各々その時を得て主となることを示します。


問いて曰く。平脉・王脉・病脉はどのように区別したらよいのでしょうか。

答えて曰く。平脉は和気が渾然として現われている脉状であり非常に形容しにくいものです。その渾和の脉状の中にその季節に応じて六種類の脉状が微かに現われたもの、これが王脉です。それはたとえば、人身が寒暑の季節に応じて冷えたり暖かくなったりするようなものです。人身は平で、寒暑は王であるということが言えるでしょう。この王の受け方が微しのときは平〔訳注:元気〕ですが、甚だしいときは病気になります。これと同じように、平脉の中に王脉が現われる場合も、その現われ方が微しのときは平ですが、甚だしいときは病気であるということが判ります。






その気は、どの月に何日間それぞれの王するのでしょうか。


再びその王する時日を聞いています。一つの気が遷流〔訳注:循り流れる〕していく最中に、その時期の陰陽に従って、自らを六種類に分けているのです。






然なり。冬至の後、甲子を得て少陽が王します。復た甲子を得て陽明が王します。復た甲子を得て太陽が王します。復た甲子を得て太陰が王します。復た甲子を得て少陰が王します。復た甲子を得て厥陰が王します。


「冬至」は、天地が気を生ずる始めです。そのため暦を考えていこうとする場合、先ず冬至を定め、それから後の季節の順番を分けていきます。この篇では三陰三陽を二十四気に配してそのそれぞれがその時期を分割して主ることを説明しています。甲子は、一甲子が六十日として考えます。この甲子は、紀法〔訳注:干支を配当して年をしるす方法〕における六十の首〔訳注:はじめ〕ですから、仮りに六十日の名称として用いています。甲子の日そのものをここで指しているわけではありません。これは、五十年と言わずに三百甲子〔訳注:一年は六甲子ですので、六甲子に五十年を乗じて三百甲子となります〕と言うのと同じことです。陽道は進みますので、その順番は、少陽は一陽・陽明は二陽・太陽は三陽というように、その数はだんだん増えていきます。これは漸〔訳注:徐々〕に進んでいくのです。そして陽が極まって陰が生じます。そのため太陰がこの次にきます。陰道は退きますので、その順番は、太陰は三陰・少陰は二陰・厥陰は一陰というように、その数はだんだん減少していきます。これは次〔訳注:後に続く・一段低い順位〕に退いていくのです。このようにしてまた陰が極まって陽が生じ、ふたたび少陽に還ります、環の端がないのと同じです。この難では人の脉状が二十四気の満数に応ずるということを語っています。ですから冬至から説明しているのです。これに対して十五難では、人の脉状が十二朔〔訳注:十二ヶ月。古代に天子が諸侯に配布した暦〕の虚数に従うということを語っています。ですから十五難では春から説明しています。気満朔虚〔訳注:二十四「気」の「満」数と十二「朔」の「虚」数〕の暦数に人身の血脉の状態が応じているということは、この両難で全て語り尽されています。


問いて曰く。この難の王脉と十五難の時脉とは、両脉とも混淆されて現われるのでしょうか。

答えて曰く。二十四気は天の体数であり、十二月は天の用数です。歳法〔訳注:暦法〕は用数を主とし、誤差によって閏〔訳注:うるう年〕を定めるときは、体数が用数の中にあることになります。ですから人身の脉もまた用数に従います。このことから考えると、四時の脉を主として、六王の脉はその中にあるということになります。また、四時の脉は五臓に配されます、臓は神の部屋です。六気の脉は六経に合します、経は神の行路です。このこともまた時脉を主とするということの証明となります。時脉や王脉が平脉の中に微かに現われるということは、至神〔訳注:神のごとく脉診を極めた名人〕でなければこれを探り得ることはできないものです。


問いて曰く。六経を六位に配していますが、五行の順番に合わないのはどうしてでしょうか。

答えて曰く。この経文では、陰陽の多少の数によって六位に配しているだけですから、これを手足の経脉や五行の順番に強引に結び付けないようにしてください。


問いて曰く。甲子の日によって六位を立ててはいけないのでしょうか。

答えて曰く。暦数に、甲子の日によって季節の順序を述べたものはありません。人は天に応じます。天の気がその季節を変えることがなければ、どうして人身における脉状が変化するでしょう。もし甲子によって六位を立てるとしたら、それは越人だけの私事になってしまいます。経文にも一歳〔訳注:一年〕を成しますと言っているのですから、この経文が天の気に従っているということは明らかではありませんか。






王すること各々六十日、六六三百六十日で、一歳〔訳注:一年〕を成します。


ここに六十日とありますが、これはすなわち越人が自分で甲子は六十日であると説明していることになります。また三百六十日は気満朔虚の中数を挙げてこれを結んでいるものです。






これが三陰三陽が王する時日の大要です。


王が来るには必ず去衰があります。つまり少陽が王するときは厥陰が衰え去り、太陰が王するときは太陽が衰え去るといった具合です。六王は時日の大綱紀ですので、また脉の統要ともします。



一元流
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