一難では、寸口ですべてがわかるといっているにもかかわらず、八難では寸口が平でも死ぬといっているのはなぜ? 矛盾するのではないか。



《難経鉄鑑》によると、『一難では脉状によって死生を判断している(常)が、ここでは脉状を離れ生気によって死生を判断しようとしている(変)。』ということです。この説は、現代日本の《難経の研究》でも採用されています。

元代の滑伯仁はその《難経本義》で、『寸口は脉の大会であるというのは、穀気が変化して表われているもののことを言っているもので、この篇では原気のことを言っているものです。人の原気が盛んであれば生き、原気が絶すれば寸口の脉が平でも死にます。原気というのはその体を言っており、穀気というのはその用を言ったものなのです。』と解説しています。清末の《難経正義》と現代中国の《難経解説》はこの説を採用しています。

《難経鉄鑑》と《難経本義》とでは表現は多少異なりますけれども、内容にはそう違いがないと考えていいでしょう。






呂広(三世紀)と楊玄操(八世紀)は、この難で見ている寸口の部位と、一難で言う寸口の部位とは実は異なる部位を指しているとして、次のように述べています。『寸口の脉という表現をしてはいますが、これは、寸関尺と分けた後の寸部の脉のことを言っているものです。生命力を候う場所は、本来、寸部ではなく尺位です。この難のこの症例においては、実は尺中の脉は絶しているのです。』


現代の中医学者である凌耀星さんは、この説に対して、『我々からみると奇異にみえるこの説も、一難と符合しまた十四難に「たとえれば、人の尺部に脉があるということは樹に根があるようなものです。樹に根があれば、その枝葉が枯れてしまっても根本からまた再生しようとします。同じように脉にも根本があれば、その人には元気があるということなので、死ぬことはないと理解するのです。」とあることとも符合します。』と解説しています。

けれども、江戸時代の丹波元胤はこれを評して、『この説を唱えている人々が古い時代の人であるということからすると、その当時まだ師伝としてこのような説が残っていたのではないかということが予想されるが、これは拘わりすぎであろう』と述べています。そうですよねぇ。






また清代の徐霊胎は、この難そのものに対して異議を唱えています。『脉が流れ動くということはそのまま、気が充実しているということを意味する。生命力がすでに絶えているにもかかわらず寸口の脉状が平であるものはこれまで見たことがない。生命力が絶えようとしているかどうかということは、脉状を見て後に判断するものである。もし、生命力が絶えているにもかかわらず脉状が平であるというのであれば、生命力はただ生命力、脉状はただ脉状として〔訳注:分かれて〕あるだけで、互いに関連していないということになる。こんな話があるだろうか?《内経》にはこのような病は記載されていない。』


凌耀星は、『この徐霊胎の言葉は重く受け止める必要がある』と語っていますが、私は以下のように考えています。

臨床的にはそうだけれども、ここは、《難経鉄鑑》のいわゆる「常」と「変」の説を取りたいですね。脉状と生死がリンクしている一難の状態が「常」であり、そのリンクを失っている八難の状態が「変」である。「変」であるということはこのような状態は長続きするものではなく、いずれ滅びる方向へと急速に変化していくということでしょう。

《難経》の著者も、この難を事実関係に基づいて書いたのではなく、腎間の動気の大切さ、人体における根と枝葉との関係を明白にしようとして設けたのではないでしょうか。そして、その試みは成功していると、私は思います。






《難経》が果たした大きな功績のひとつに、平面的な五行学説をこえたこのような立体的な観点を明確にしたということがあるのではないか、そんな風に、私(伴 尚志)は考えています。







2000年11月19日 日曜   BY 六妖會




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