《諸篇錯綜の図》



師は、ただ寸口の脉だけを取るということは扁鵲から始まったことであると言われました。



思うに、寸口の部位を用いて診脉するということは、いかに微小な物であってもその中になんらかの定められた位がなければならないということを意味しています。もし、その微細な部位を極め尽くすことができるなら、肺の部位の中にもまた、臓腑と相応する位、相生相剋や子母の関係をみることができるでしょう。このような理由から王叔和三世紀ころの名医。当時まで伝承されていた脉診に関する学問をまとめ《脉経》を書いたは、寸口人迎を、関前の一分の間で診たのです。智者は父を診ることによって、その子の吉凶を語ることができるのです。

《難経鉄鑑》の作者はこのように語り、寸口の部位の意味についてこのように図にして示しています。






脉の象数形状や遅数を説く人々はみな、その脉状に名前をつけて語ります。古人はその要所を察して脉状に名前をつけました。円形の図のほうに載せているものが《難経》で名づけられている正名です。四角い図に載せているものは、正名と、そこから敷衍されたものです。あわせてここに掲載します。七脉を綱とし、四十八の名前をここでは一応あげておきます。





また損至の脉には、離経・奪精・死・命絶・無魂といった名前があります。四季を形容しているものには、楡葉をなでた感じ・長い竿に新たに弓の弦を張ったものをなでた感じ・玉石をなでた感じ・鶏がきっと足を上げた感じ・帯の鈎をとった感じ・車蓋のような感じ・ニワトリの羽をなでた感じ・風に吹かれた羽毛のような感じ・スズメがついばむような感じ・縄がほどけた感じ・石がはじける感じ・水がぽたぽたと落ちて来る感じとたとえられています。



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