三臓というのは何なのでしょうか。これは人身の枢要〔訳注:人体の中心で最も大切なところ〕であり、医家の綱領であり、施治の切務〔訳注:治療において最も大切にしなければならないもの〕です。およそ医たるものであれば、人身のよって来たるところの道である、臓腑形態の理を明確に理解していなければなりません。いやしくもその業にありながらこの理を明らかにしていないようであれば、これを医と呼ぶことはできません。
そこで私はいつも三臓の弁を設けて、人身における臓腑のよってくるところを論じてきました。《素問》《霊枢》以来、医の書は
人の蔵象はこの三臓に止まり他の臓腑に用はないかというとそうではありません。六臓六腑は五行六気に合していて缺くことのできないものであり、すべて大切です。ではどうして五臓と言わずに三臓と言うのでしょうか。
そもそも人身における疾病は、虚実の二つにその原因があります。虚実と言ってもそこにはまた四つあります。神の虚実・気の虚実・血の虚実・精の虚実と言われているものがそれです。人の疾病にはさまざまありますけれども、この四等の外に出るものはありません。この四等にはそれぞれ属するところがあります。気の虚実は神に属し・血の虚実は精に属し・精神の虚実は中焦胃の気の虚実に属します。どうしてなのでしょうか。
気は神の中から発したものであり、血は精の中から出たものだからです。精神が胃の気に属する理由は以下の通りです。
中焦を後天の元気とします。そもそも万物はさまざまに変化するとは言っても、その出所は天地の造化の一気に過ぎません。造化とは何のことを言うのでしょうか。陽気が降り陰精が昇るという陰陽昇降の一気を造化とします。ですから人の心陽は降り腎陰は昇るわけです。その心腎陰陽昇降の交わる一気は、中焦胃の腑にあり、これを名付けて胃の気とし、後天の元気とします。宇宙にはたくさんの万物がありますけれども、この気の交わりがなければ生育することはできません。人身もまたこの胃の気によらなければ精神血気を養い生を保つことはできないものです。胃は六腑に属しますけれども、水穀を容納して後天の元気を発し精神血気を養って全身を生育していることから見ると、胃の貴さは脾を凌駕します。このため《玉機真蔵論》に『五臓はすべてその気を胃から受け取ります。胃は五臓の本です。』と述べられており、《平人気象論》に『胃は平人の常気です』と述べられており、《玉版篇》に『胃は水穀気血の海です』と述べられているのです。
これらのことから、胃は腑ではあるけれどもその貴さは臓に
天地の
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