下焦精蔵 附 方意




一、滋陰降火湯
二、四物湯
三、八物湯
四、十全大補湯
五、八味丸
六、六味地黄丸
七、加減八味丸
八、加減金匱腎気丸
九、警句

右に弁じたように、腎は北方の坎水中に一つの陽気があるもので、これ〔訳注:坎水中の陽気〕を名付けて命門の火と呼んでいます。真陰が盛んなときにはこの火は旺んになりません。陰が消えるとこの火が起こり元気を損ないます。滋陰降火湯はこの心で制作さたものです。



一、滋陰降火湯

滋陰降火湯で陰火を消す道を〔訳注:陰火を消すことができる理由を〕弁じさせてください。

滋陰降火湯は滋溪の王節齋(おうせっさい)〔訳注:おうせっさい:1,332年~1,391年〕の《明医雑著》から出ています。けれども、そこには処方構成が書かれているだけで方名〔訳注:処方の名前〕はありません。そのため箕城の(ちょうせい)がふたたび《復明医雑著》を梓行(しこう)したときに始めて、補陰瀉火湯という名前をつけました。雲林の龔廷賢(きょうていけん)〔訳注:16世紀〕が《万病回春》を撰して、補陰瀉火湯の中の川芎を去り麦門冬を加えて滋陰降火湯と名付けました。これは補陰の薬剤ですけれども、直接水を生じ血を生じるものではありません。

天が雨を降らせて潤わせるもとは、黒雲の陰気から生じています。人身もまたそうです。水と血とはともに陰から生じます。当帰 地黄で血を益し水を補うということも、陰を生ずることによって〔訳注:なされることです〕。陰が生じると水が現れ、水が化して寒と成ります。陽が生じると気が現れ、気が化して温と成ります。陰水が旺んになると陽火が退くのは当然のことです。

この滋陰降火という名称は、この理にぴったりです。当帰地黄は陰を滋【原注:ま】し、陰が生じて水が潤います。これを滋水と呼ばずに滋陰と呼ぶのは、薬が直接血と水とを滋すわけではないからです。

滋陰降火湯は、

当帰 酒洗 一銭二分 白芍 酒炒 一銭三分 生地黄 八分 熟地黄 姜汁で炒す 天門冬 麦門冬 白朮 各一銭 陳皮 七分 黄柏 蜜水で炒す 知母 甘草 炙る 五分

当帰

当帰は《神農本草経》〔訳注:後漢?:中国最古の本草書〕には、中品として掲載されており、味は甘とされています。雷公〔訳注:五世紀:雷公炮炙論〕は辛とし、東垣(とうえん)〔訳注:りとうえん:李東垣:1,180年~1,251年:金元の四大家の一人で補土派の開祖〕は甘辛としています。性について、陶隠居〔訳注:陶弘景:456年~536年:《神農本草経》の増補改訂を行う:道経の茅山派の開祖〕ははなはだ温とし、東垣は微温とし、雷公は微寒としています。言うことがそれぞれ異なっているのは、方剤に従って考え、佐使の薬〔訳注:君臣佐使:中心となる薬品を補佐する薬品のことで、ここでは当帰を補佐する薬品を指す〕に引かれて微温とも微寒ともなるからです。

当帰の気味は甘辛微温で、二月の末三月の始めの季節に似ています。この時期は微温ですけれども、薄着をすると寒くて冬のような感じがし、厚着をすると温かくて夏のような感じがします。当帰の本性は微温ですけれども、寒薬と合わせれば微寒のようになり、熱剤と合わせれば全くの温薬のように見えるわけです。当帰はその味がもっぱら甘く、少し辛くて、その性が微温ですから、陰中の微陽とします。また薬質が重くて潤いがあるので、心脾の血を生じさせます。心は離火の臓であり、脾は運動を主りますので、心脾の血はともに陽中の陰血ということになり、陰中の陽に属する当帰をもって心脾の血を補うことができるわけです。またこれを酒製にすると薬中の陰が開いて補血の効能が強くなります。

生地黄

生地黄は味は甘、その性は寒、薬質は甚だ重く、潤湿黒色で極陰です。ですから腎に入って真水を潤します。またその性の寒によってよく陰分の熱を冷ましますけれども、その真陰を潤補する効能は熟地黄の方が強いです。どうしてかというと、雨は陰雲から生じますけれども、陽の助けを得ることができなければ陰閉の気が開くことができず、雨水を降らせることができないためです。生地黄の性は極陰であるため下熱を冷ますことはできますけれども、陰閉の性がまだ開いていないために補陰滋潤の効能は少ないわけです。これを酒蒸しに製すると、陰閉の性が開通しますので、真陰滋潤の効能を発揮できるようになるわけです。

当帰 生地黄 熟地黄

私は(ひそ)かに、当帰 生熟地黄の三味の性と効能を、天気の降雨にたとえて弁じてみたいと思います。

当帰は甘く微温、心脾の間 陽中の陰血を潤します。地黄は甘く寒、下焦陰中の陰精を潤します。心は南方の臓、腎は北方の臓です。天に雨雲が起こって雨が降るところをみてみると、雨雲は北方に起こって南方に走り南方から北方に〔訳注:風が〕吹き込むようになって雨が降ります。人身もまたそうで、地黄の陰気は北方の腎位から南方の心位に行き、当帰の陰気は南方の心位から北方の腎位に吹き返すようになります。雨水である精血の液が北方腎の部に降ると、潤って真水が生じ、相火が下って退くこととなります。このことからも、前に弁じたように水火が一体であることがわかります。

どうしてかというと。天が長期にわたって(かわ)いて〔訳注:乾いて〕雨が降らないと、宇宙〔訳注:原文のママ:時空間〕が温熱します。そのようなときにいったん雨が降ると、温熱は化されて冷寒に変わります。冷寒が生じたとき、温熱はどこに蔵【原注:かく】れてしまったのでしょうか。これを探してもその場所はありません。これを求めてもその気はありません。であれば、温熱が蔵れて冷寒があらわれるのではなく、天地の造化の道として、陽が生じれば陰が消え、陰が生じれば陽が消え、陽が生じて陰が消えるときは熱して()えず、陰が生じて陽が消えるときは寒えて熱さず、ただ蔵れるわけではなくあらわれるわけでもなくて、熱が変じて寒え、火が変じて水になり、水が変じて火となったのだということがわかります。

ですから陰虚火動の火というものは、水の外にあるものではないわけです。陰が消えれば水が虚し、水が虚すれば水はすべて火となります。陰が旺すれば水が潤い、陰水が旺すれば火はすべて水となります。このように当帰 生熟地黄を用いて陰が旺すると真水が潤い、真水が潤うと相火が消えて本の水となるわけです。このように考えていくと、降火の二字は知母 黄柏〔訳注:という寒涼攻伐の剤〕のみのためにあるのではない、ということがわかるでしょう。

白芍薬

また方中の芍薬はどのような機能があるのでしょうか。芍薬は酸寒です。酸は収斂して泄らさず、寒は(さま)して熱を防ぎます。雨が降っても、高い平らな土地に水は溜まりません。堤防があってこれを防ぐ〔訳注:雨がそのまま流れていることを防ぎ堰き止めることができる〕土地には急な雨でもよく溜めることができるということと同じです。当帰 地黄が生じる潤いを、白芍薬の収斂でこれを防ぎ、堤防して泄れないようにするため、陰が集まり水が溜まって精血を補充することができるわけです。

芍薬の性は寒で火熱を清する〔訳注:冷やす〕ことができます。これを本性のまま用いると、その酸収の力が強すぎるため、反って滞渋させてしまう〔訳注:滞らせ流れにくくしてしまう〕恐れがあります。ですからこれを酒炒に製して、酸収渋滞の性をやわらげているわけです。

陳皮

陳皮は辛苦微温で気をめぐらし中焦を化します。そもそも陳皮の機能には三種類あります。当帰 地黄 芍薬はすべて陰薬で、渋滞させやすいものです。陳皮の辛苦微温を得ることができなければ、陰薬が気の道を渋滞させてしまう恐れがあります。四物湯に川芎を入れて、血中の気をめぐらすことと同じです。方中の白朮 甘草が中焦を養う際、陳皮の中焦順化の助けを得ることによって、補中の機能が強化されています。けれども陳皮の辛苦が多すぎると、気道が散通されすぎて、陰薬の収補する機能が低下してしまいます。そこで陳皮の量を七分にして、強くなりすぎないようにしています。

黄柏 知母

黄柏 知母はともに苦寒の剤で、下焦の火熱を冷ます効能があり、黄柏の質は軽く知母の質は重くなっています。知母は相火が上炎して心肺に乗ずるものを肺から追って下焦に降り、腎命門の火熱を冷まします。軽剤である黄柏は、知母の重沈に引っぱられて下焦水間に達し、知母とともに相火の上炎を取り去ります。たとえば沸騰して湯気が盛んに出ているものを、扇いで冷ますのは黄柏の効能であり、直接冷水を入れて冷ますのは知母の効能です。黄柏がなければ相火の炎気を去って浮熱を除くことはできず、知母がなければ直接水中の相火を取り去り下焦を冷ますことはできません。知母と黄柏の二味を一緒に用いることには非常に深い意味があるのです。

天門冬 麦門冬

天門 麦門の二冬にはまたどのような機能があるのでしょうか。二味はともに甘寒で、天門は肺熱を冷まして肺を潤し、麦門は肺心にめぐって燥を潤し熱を冷まします。火の性は上に上りますから、陰が虚して相火が盛んになると肺心に向かって上ります。肺は金とし心は火とします。火は金を尅して高く行きます。このため陰虚の相火は肺金を尅し、同類を求めて心火に合します。ですから天門 麦門の二冬を用いて肺心の燥を潤し火熱を冷ますわけです。

白朮

白朮には二つの機能があります。中焦脾は至陰としますから、陰虚火動するものは中焦脾陰もまた弱いものです。脾気が弱ければ薬力が行きにくいので、白朮でこれを養うわけです。また中焦は湿を(にく)みます。虚弱な中焦が、当帰 地黄などの潤剤や知母 黄柏などの苦寒を得ると、潤剤が中焦に湿を生じ、苦寒が胃気を搏つ〔訳注:苦寒の薬剤が胃気を損傷する〕可能性があります。これを恐れて白朮を入れ、湿を防いで胃気を養うわけです。

甘草

けれども心は血を生じ、肝は血を蔵し、脾は血を総べますから、脾もまた燥きすぎるのはよくないのです。ですから甘草五分を用いて中焦の潤液を集め、白朮によって燥きすぎないようにするわけです。そもそも甘は中焦に入りよく潤して集め保つからです。

白朮 陳皮 甘草

また方中の白朮 陳皮の二品は甘草を得て中気を養い、営血の源を補うことによって、苦寒が胃気を()つことから防ぎます。精血の陰は先天から生じていますけれども、これを養って充足させるのはもっぱら後天中焦の脾胃によります。ですから陳皮 白朮 甘草の三味で脾胃を補養して〔訳注:脾胃を補い養って〕、後天の精血の源を助けるわけです。

まとめ

このようにして、当帰は血を生じ、芍薬は血を収めて泄らさずさらに血熱を冷まし、熟地黄は精血を潤補し、生地黄は陰分の虚を潤して熱を冷まし、天門冬は肺熱を冷まし、麦門冬は肺燥を潤して心熱を冷まし、知母は命門の相火を除き、黄柏は水中の炎気を冷まし、白朮は湿を去って潤剤を中焦に留滞させず、甘草は諸薬を和して中気を保たせ燥かさないようにし、陳皮は諸薬をめぐらして陰薬の重質が留滞しないようにし、さらに大棗を用いて脾胃を助けて営を調え、生姜を用いて中焦を温め衛気をめぐらしているわけです。

最近の医家はこの方意〔訳注:ほうい:処方構成の意味〕を知らず、(みだ)りに加減して本方の深い理を失い、効果を失わしめてしまっています。

一、滋陰降火湯
二、四物湯
三、八物湯
四、十全大補湯
五、八味丸
六、六味地黄丸
七、加減八味丸
八、加減金匱腎気丸
九、警句



二、四物湯

四物湯が補血の主方であるということには、深い理が存在します。

四物湯は、当帰 熟地黄 白芍薬 川芎 の四味です。

当帰 熟地黄

当帰は甘で厚くその性は微温です。熟地黄は気味ともに厚くて薬質潤重で微寒です。ですから当帰は上中焦の陰を補い血を生じ、熟地黄は下焦の陰を補い精を生じます。精と血とは名前は異なりますけれどももともと同類ですから、精を補う際に当帰を用いたり、血を補う際に地黄を用いたりします。

川芎

陰血は陰精の枝であり、心脾の間の上中の二焦に生じます。ですから、川芎の辛温を用いて当帰 地黄の陰を上中二焦の間に引き上げて、下焦にだけ向かいすぎないようにします。

陰は静かで陽は動きます。血は陰に属して自らは流行することができず、気に従って往来しています。川芎は血中の気をめぐらし、血を流行させることができます。ですから川芎を用いて血中の気をめぐらし、血が流行するようにしているのです。たとえば飢え渇いている人に急に飲食物を与えると、その胸腹を充たすことはできますが、飢え渇きによる倦怠〔訳注:疲れだるさ〕が非常に強いため、すぐに元気に歩くことはできず、杖を頼ってやっと歩くことができるようなものです。新しく生じた血は陰気が弱くてめぐりにくいので、川芎という杖を頼ってやっと流行することができるわけです。

白芍薬

白芍薬は、滋陰降火湯で弁じたように、当帰 地黄が生じさせる陰液を収斂させて堤防し、泄らさないようにします。

まとめ

ということで、当帰 地黄は血を生じ、芍薬はこれを収めてまた血を冷まし、川芎はその血を導いて潤沢に流行させることとなります。これもまた古人の製方の妙となります。

一、滋陰降火湯
二、四物湯
三、八物湯
四、十全大補湯
五、八味丸
六、六味地黄丸
七、加減八味丸
八、加減金匱腎気丸
九、警句



三、八物湯

そもそも陰陽は互いに根ざしているものです。ですから気が虚すれば血も虚し、血が虚すれば気も虚します。このように血気がともに虚しているものには四物と四君の両湯を合してその血気の両虚を補います。これを八物湯と名づけています。

四君が気を補う理由は、後の中焦穀府の中で弁じています。



四、十全大補湯

気血両虚が甚だしいものには、〔訳注:八物湯に〕黄耆 肉桂を加えて十全大補湯とします。黄耆 肉桂を用いると十全の効能が出る理由は何でしょうか。

黄耆

古人が方を製する際には、証に従ってこれを作ります。かの十全大補湯の証は、脾肺の元気が非常に虚しているため、四君の人参 白朮 茯苓 甘草で元気を補益しようとしても、肺気が非常に虚していて皮膚から泄れ出してしまい、その気を保ち充たすことができないものです。

黄耆は毛竅を閉じ脾肺の元気を囲って、泄れないようにします。たとえば、一つの紙袋に息を吹き込むと、袋の中に息を充満させることができます。けれどももしその紙袋が薄く弱いときは、息を吹き入れようとしても、外に泄れ出てしまい充満させることができません。四君における人参 白朮の補気を用いてその気を充たそうとする際、肺脾の元気が非常に薄弱だと、これを囲って充たすことができません。そのような時に黄耆を用いて肺脾の気を保たせると、四君の人参 白朮が益すところの元気がよく満ちてくるわけです。右に述べた紙袋は脾肺であり、袋の中に吹き入れた息は四君の薬剤ということになります。紙袋が薄くて呼吸が紙の外に泄れるものに対して、さらに紙を重ねて呼吸が泄れないようにするのが黄耆の作用です。四物に芍薬の収斂があって当帰 地黄の生血を泄らさず、四君に黄耆を加えて人参 白朮の補気が泄れないようするわけです。このようにすると、血が充ち気が充ちて、気血ともに充満してくることは明らかです。気が満ちると血がよく生じます。血が満ちると気がよく生じます。そもそも血は気から生じ、気は血から生ずるためです。

肉桂

けれども肉桂がなければ大補の効能はおこりません。その理由は何なのでしょうか。

気血は温暖な陽気で補われることによって生じることができます。天から雨が降る際、その本は陰から生じていますが、温陽の気がなければ陰が凝ってしまって、開いて雨水として降ることはできません。ですから天から雨が降る前には、宇宙〔注:原文のママ〕は必ず蒸し温かくなります。春夏は天に気が生じ雨が降る時期です。この時期は必ず温熱しているものです。雨が降り気が生じるということは、ともに温陽によって化されているものです。天地でさえもこのようなものなのですから、人身においてはなおさらです。

人の精血は天地の雨水と同じであり、人身の元気は天地の春夏における生発の気と同じです。ですから気血両虚を大補しようとするときには、肉桂の温剤を必ず用いなければなりません。

肉桂は、味は甘辛、その性は大温、その色は赤黒です。赤は火の色、黒は水の色です。これが、肉桂が下焦の水中の陽火を助ける理由です。けれども肉桂は、そのもとは桂の木の皮ですから、薬質は軽浮です。ですから肉桂は下焦の陽剤ですけれども、下部に至る前に中焦を温め、徐々に降って命門を温養するわけです。

中焦は後天における営衛が生発する源です。中焦がこの肉桂の温を得ると、穀気がよく化されて営衛が生発します。次いで命門の陽火が肉桂の温を得て、ますます営衛の精気を温蒸し、血がよく潤い気がよく発生します。

黄耆 肉桂

黄耆は鍋蓋のようなもので、鍋の中の水は四物の薬品、湯の温かさは四君の薬品です。その湯の中から升発する湯気は四君が昇発する気であり、鍋蓋に潤う露液は四物が生ずるところの血です。鍋の上に蓋があっても閉じていなければ、湯温の気が充ることはできず〔訳注:四君子湯の気が充満することはできず〕、蓋の裏が露で潤うことはありません。また鍋の中に水があっても〔訳注:四物湯を投与しても〕鍋の下に火がなければ〔訳注:弱い命門の火を肉桂でたすけなければ〕湯温が蒸升する〔訳注:湯の温度が上がり蒸気が立ち上る〕ことはできませんから、鍋の裏が露で潤うことはありません。

肉桂の辛温を用いて命門の陽火を助けるということは、鍋の下に薪の火を置くようなものです。薪の火がひとたび盛んになると、鍋の中の涼水は温蒸升発(おんじょうしょうはつ)し〔訳注:温められて蒸気となって升り〕ます。これに蓋をして泄れないようにする〔訳注:黄耆を投与する〕と、温気が中に充満するため、蓋の裏が露で潤うことができる〔訳注:すなわち気血を生じさせることができる〕わけです。

つまり、鍋の水が温かい湯となるために必要なものは、蓋と火なわけです。ですからこの湯の気血を大補する大本は、黄耆と肉桂の二味にあるということになります。

炮附子

けれども命門の火が非常に衰えて気血が非常に虚冷してしまっていると、肉桂の温だけではこれを治すことはできません。そのため炮附子一味を加えて、虚冷の陽火を補います。附子は色が黒くて堅く、味は辛、その性は大熱です。黒色で重く堅いのは陰であり、辛熱は陽です。ですから附子は、体は陰で性は極陽ということになり、命門の火と同気をなすものなのです。

一、滋陰降火湯
二、四物湯
三、八物湯
四、十全大補湯
五、八味丸
六、六味地黄丸
七、加減八味丸
八、加減金匱腎気丸
九、警句



五、八味丸

張仲景の八味丸の要もまた附子にあります。八味丸料は、漢の武帝が淫らで真水が虚極し、下焦の火源とともに衰え、龍火が上升して口渇し始めたものを制したものであると、世に伝えられています。私は始めはこの説に従いましたが、後に仲景の書の《金匱要略》で考えてその書に述べられているところの崔氏八味丸〔訳注:が現代に伝わる八味丸である〕としました。ですからこの処方は仲景より前の時代の制作であることに間違いありません。崔氏と言われている人がどのような人かはわかりませんけれども、仲景が八味丸を制作したと世に相伝されているのは全くの誤りです。

八味丸は、熟地黄 八両 山茱萸 乾山薬 各四両 白茯苓 牡丹皮 沢瀉 各三両 肉桂 附子 各一両 です。

そもそも腎臓が虚して病むものには二種類あります。陰虚して相火が上炎していても、命門の火源がまだ虚冷していないものは、滋陰苦寒の薬剤で効果を得ることができます。もう一つは、陰虚が甚だしくて相火が上炎しているわけですけれども、命門の火源もすでに虚冷しているものです。上炎している相火はその源を失っている虚火で、無根の火ということになります。

虚火 実火

この虚火と実火とは、どうやって見分ければよいのでしょうか。陰が虚して津が枯れ、火旺して咽が渇くような場合、冷水を(この)み煮え湯を(にく)み、脉浮洪数で推すとますます実のものは、実火に属します。陰が虚して火旺して咽が渇くところまでは同じですが、冷水を悪み煮え湯を喜み、脉浮虚で推すとますます虚微となるものは、虚火に属します。

実火に属するものは滋陰降火湯の類がこれを主ります。虚火に属するものは八味丸料がこれを主ります。《医統》〔訳注:《古今医統大全》徐春甫著1556年刊〕にいうところの、熱因熱用の理で取るわけです。

実火と言い虚火と言いますけれども、そもそもはともに火です。一つは冷剤で退き、一つは熱薬で除くことができるのはどうしてなのでしょうか。火が水を得て滅するのは、五行相克の常理〔訳注:常としての理:一般的な用い方による五行の相剋理論〕です。今、火に火を得て失するものは、物の理においては変となります。天地の龍雷の波濤は、すべて火の気です。龍は水を得て猛く、雷火は雨水を得て鳴動します。もし水を離れて乾いた土地に龍が向かえば、ついにはその勢いが絶えてしまいます。雷火は人家における日用の火を得てたちまち絶えてしまいます。

火症にも、苦寒の陰薬を得て退き、熱剤を得て勢いを増すものと、苦寒の陰薬を得て火勢がなお盛んになり、これに熱薬を投ずることによって温補すると、熱が反って退くものとの二種類があるわけです。もしこのことについての理解が暗く、火実に熱剤を施し、虚火に寒薬を用いると、その実実虚虚の害は掌を指すようなもので〔訳注:非常に明確に現れま〕す。

熟地黄

八味丸の方中に熟地黄を用いるのは、右に弁じたように下焦真陰の虚を補おうとしているためです。

沢瀉

沢瀉は腎膀胱に引いて水道を通じます。水が滲みると腎陰が重くなって不足を益すことができます。けれどもこの丸料に三両の重さの沢瀉があるのはどうしてなのでしょうか。沢瀉は甘鹹ですから水道を通じさせる効能はあっても、甘味であるために燥に至ることはありません。

猪苓

また猪苓は腎膀胱の浮水〔訳注:余分な水分〕を通導します。沢瀉が水を通じさせる効能は猪苓に劣りますけれども、腎膀胱の深い裏に到達します。地黄桂附〔訳注:地黄 肉桂 附子〕の薬剤がこれを得て、腎家の深くまで達することができるわけです。

また地中の水が盛んなときにはよく流行しますので、水底に濁液が凝るようなことはありません。不足して流行が薄くなると、水底に自然に濁液が凝るようになります。人の腎水も不足するときは、腎家に自然に濁液が凝り、かの熟地黄で補生した陰液もついには濁液によって穢されて、真水を精清する体〔訳注:基礎〕となるものが少なくなってしまいます。このようなものに沢瀉を用い、腎家の濁液を去ることができると、熟地黄で補生された陰液がよく流れて、腎に蔵されている真水の精清の本体となることができるわけです。

茯苓

茯苓があるのもまたおおむね同じ意味です。

右に弁じたように水土は一体なので、水が不足して流行しないときは、土に必ず湿を生じます。これを土地の流水で考えてみると、水が流れている水辺には反って湿気はありません。清水や池の水などが濁留している水辺には、必ず湿気があります。湿があるときには土気は堅くありません。土気が堅くないと、水が()むことはできません。茯苓を邪水〔訳注:に侵襲されている〕脾に注いでその湿を泄らすことができると、脾土が堅まって健全になり、清らかな真水が満ちて、水土がともに健全になるわけです。

山薬 山茱萸

山薬と山茱萸は何の機能を果たしているのでしょうか。山薬は下焦に入り、陰陽ともに補います。どういう理由なのでしょうか。生の山薬は、味は非常に甘く、質は非常に粘滑です。その甘味と粘滑とで陰液を集めて精水を補養します。また山薬の大きさは三四尺から六七尺にもなって、その根が非常に深いものです。このことから、下焦に達して陽気を助けるということが出ています。

山茱萸は、味は酸で性は温、腎臓の薬です。酸味は収斂して腎液を集めて泄らしません。ですから精を渋らせ、腎虚を補う効能があるわけです。

この八味丸の主治するところを総括すると。熟地黄の補うところの陰液は、沢瀉に引かれて腎に達することができます。これに山薬の甘潤粘滑の気を得てますます精の厚い真陰となって腎を充実させます。沢瀉は濁液を滲ますとは言っても、真陰を泄らすことになるかもしれないことを恐れなければなりません。そのため山茱萸の酸収を用いて真陰が泄れないようにします。また山薬の温で下焦の陽を助けるということと、山茱萸が下焦にいって温性であるということとの、二種類の温性が合して腎家の陽気を補助します。

牡丹皮

牡丹皮は苦くて少し辛く、その性は寒です。瘀血を破り、経脉を通じ、血熱を冷まします。海水が不足すると、諸々の川の水の流れが自然に留滞して流れなくなります。もし諸々の川の水がよく流れて海に注ぐと、海はそれに助けられて満溢するようになります。人身の営血は、真精の中から生まれ出たものですが、その血によってまた精が養われます。腎精が不足してくると血分もまた滞渋して流通しにくくなります。血液が流通しなければ腎陰はその助けを失い、真陰がますます不足することとなります。そのため、牡丹皮を用いてこの血分の渋滞をめぐらし、経絡を通じさせ、血熱を冷ますことができると、腎陰がその助けを得ることができるようになるというわけです。

補腎

諸経の血脉は川の水のようなものです。腎臓は精血が会集する〔訳注:集まる〕ところであり、湖や海のようです。川の水が流れて海に注ぐと、湖や海がそれによって充満します。経絡が通じて血分が流行すると、腎陰はそれに助けられてその不足を養うことができるわけです。

ということで、地黄は直接陰を生じて精血を潤し、その潤液は、沢瀉 山薬 山茱萸に引かれてよく腎に注ぎます。茯苓は湿を滲ませて脾土を固くし、沢瀉は腎水不足の中の濁液を泄らし、山茱萸はよく精を集めて泄れないようにし、山薬は精を潤して腎気を助け、牡丹皮は諸経の留滞を破り血を流して腎精を助けることとなります。このようにして、精が生じて泄れることなく、腎気が生じて邪水が退き、土が堅くなって水を保ち、経血が流れて精を助けますので、虚している腎臓を補益することができるということは、まことに明らかです。

肉桂 附子 地黄

であれば、桂附の二味にはどのような機能があるのでしょうか。

八味丸が効果的なものは、腎精が虚極で命門の陽火も不足しているものです。火は離中の陰に養われ、水は坎中の陽に養われます。ですから右に弁じた地黄 山薬 山茱萸 茯苓 牡丹皮 沢瀉の六味によって、腎陰の精血が養われる道〔訳注:要素〕はすべて具わっているわけですけれども、坎中の陽である命門の火源を生養するすることは、この六薬の及ぶところではありません。このため桂附の陽剤を加えて下焦 命門の火源を温補しているのです。

附子と肉桂とはともに下焦に達して水中の命門の火を補います。その理由は、右に順々に弁じてきたことですが、附子については深い理がまたあります。附子は色が黒く性は大熱です。黒は陰 熱は陽です。薬質は陰で薬性は極陽です。ですから下焦に達して陰中の火を補うことができるわけですけれども、その性がもともと陽極ですから、長期にわたって下焦陰分に留まることはできずにすぐに上がってしまいます。虚を補うには、その位置に長期にわたって留まっていなければなりません。ですから《内経》にも『実するものには刺法を速やかにします。虚するものには留めるようにします』と述べられているのです。このため重くて沈む地黄を八両用い、附子一両を施しています。一両の附子は八両の地黄に包まれて下焦陰分に留まり居て、長期にわたって命門水中の火源を養うことができるわけです。八両の地黄があるがゆえに、上下に走りまわる附子を下焦に留め居させて陰分の火源を温養することができるわけです。これは古人の制方の妙道であって、後人が未だなすことのできないところのものです。

このように、一両の重さの附子が八両の重さの地黄に止められて下焦を温養し続け上っていかない状態は、熱気があっても火炎が昇発することがない炭火のようなものです。腎陽を温補する効能はありますけれども、脾土を温養し津液や血脉を温行させる効能はありません。

五行の道においては土は火から生じます。ですから人身における脾胃の土もまた命門の陽火によって養われます。このため、命門の火源が衰えると、脾胃の土がその温養を失って、水穀の精微を気化して精血を生ずる力が弱くなります。そうして腎家はますます不足に向かうわけです。このことを古人は「腎を補おうとするには脾を補うようにしたほうがよい」あるいは「脾を補おうとするには腎を補うようにしたほうがよい」と述べているわけです。脾が虚するときは腎も虚し、腎が虚するときは脾も虚します。腎を補う場合は脾を兼ねて養い、脾を補う場合は腎を兼ねて養うわけです。ですからこの丸料に附子があって命門の火源を養うとはいっても、八両の地黄に止められて下焦を温養するだけで、上に脾を温養するには足りません。このため肉桂一両を加えて腎と中焦とをともに温養するわけです。

前に弁じたように肉桂は赤黒い色で辛熱ですから、陰中の陽です。下焦の火源に達しますけれども、肉桂はもともとは木皮であり軽表ですから、命門に至る前に先ず中焦脾胃の土を温養します。そして徐々に下焦に達して、かの八両の重さの地黄に包み止められている附子の陽性を開きます。さらに桂附〔訳注:肉桂と附子〕相合してともに中焦を温養し、津液を温潤し、経絡を流行させて、下焦の水を生じさせて火を生じさせます。邪水を退き、虚火を除き、坎中の陽気と水源とを養い、胃脘(いかん)の陰気の守りを固くして、脾土 腎水 命門の火源を同時に補益させるわけです。

一、滋陰降火湯
二、四物湯
三、八物湯
四、十全大補湯
五、八味丸
六、六味地黄丸
七、加減八味丸
八、加減金匱腎気丸
九、警句



六、六味地黄丸

このように、八味丸料の要は桂附〔訳注:肉桂と附子〕にあります。桂附は命門の火源が虚して疲れ切っているものに用います。ですから、腎陰が虚弱で相火が徐々に旺んになってきていても、相火が心肺に炎上するほどひどい状態ではないものは、滋陰降火湯などの苦寒降火の薬品を用いるほどではありませんし、命門の火源を温補するのもよくありません。銭氏〔訳注:銭乙:銭天来:《小児薬証直訣》著1,119年頃〕はこの症があることを考えて、八味丸の中の肉桂と附子の二味を去って六味丸と名付け、腎陰を潤し火を涼ます剤としました。

六味丸はまた地黄丸とか腎気丸と名付けられています。六味 八味の二丸はともに陰を補い熱を除く良剤です。その腎精が虚衰し陽邪がこれに乗じて熱してはいても、水中の火源がまだ虚してはいないものは六味丸の主治するところです。これを陰虚火実の腎虚とします。その腎精が虚極して〔訳注:さらに極めて虚して〕、命門の火源もまた虚衰し、虚火が陰分に乗じて熱するものは八味丸の主治するところです。これを下焦の火水ともに衰えている、仮熱虚寒の症とします。この火を名付けて虚火とし陰火とします。



七、加減八味丸

もしさらに腎水が虚極し、命門の火源が徐々に衰えて、虚火上炎して口渇発熱し、口舌に瘡を生じ、あるいは牙齦(がぎん)潰爛(かいらん)し〔訳注:歯ぐきがただれて:歯槽膿漏となり〕咽喉が痛み、あるいは形体憔悴して〔訳注:身体が見る影もなく衰えて〕発熱し盗汗するようなものは、八味丸料が主治するものに似てはいますけれども、命門の火源がまだ虚寒というほどまでには至ってはいず、ただ陰虚し火源が疲れて陰火上炎し金肺を燥かしている症です。このような症のものには滋陰降火湯などの類がよいようですけれども、知母黄柏などの苦寒が陽気を搏ち、命門の虚疲をますます虚せしめて、陰火がますます盛んになる恐れがあります。ということはやはり八味丸料が主治するようなのですけれども、命門の陽気が疲れているというだけのことで、まだひどい虚寒には至っていないものに附子の大熱は用いにくいものです。

そこで八味丸の中から附子を去り一両の肉桂を残して火源の疲れを温養し、五味子四両を加えて金水の燥を潤します。

五味子は、味は酸でその性は微温です。味の酸は津を集め、燥を潤して、枯渇している金水を養います。けれどもその性は温で陽気を搏つ恐れはありません。これを名付けて加減八味丸といいます。



八、加減金匱腎気丸〔訳注:牛車腎気丸〕

また下焦の水火がともに虚極し、脾土がこのために虚衰し、邪水がその疲れに乗じて中焦に注ぎ、上焦に浮いて筋骨腰膝の間に溢れて腰が重く小便が利せず、手足が浮腫し腹も脹痛して喘急し、痰が盛んなものは、八味丸の全方〔訳注:加減をしていない八味丸そのもの〕を用いて主治すべきです。けれども、この上中焦に浮いている邪水の湿は、沢瀉が治することのできるものではありません。

このようなものには八味丸の全方に車前子牛膝の酒洗を加えます。これを加減金匱腎気丸と名付け、良い効果が出ています。

どうしてかというと、沢瀉は直接腎膀胱に達して下焦の水道を滲ませるわけですけれども、上中焦に浮いている筋骨腰膝に溢れる邪水の湿を導くことはできません。

車前子は肺経の気分に入って上焦の水湿を引導して下焦に滲ませます。牛膝は味は苦くその性は微温です。筋骨腰膝の湿をよく去るとされています。ですから八味の全方で下焦の水火を補益して、これに車前子 牛膝を加えて邪水が浮溢して上中焦の筋骨腰膝の間に滞るものをことごとく除くことができれば、真水が潤い陽火が生じて邪水は滲泄し湿気が退去して、腎水が平らかになり脾土が健やかに運化すること、間違いありません。

一、滋陰降火湯
二、四物湯
三、八物湯
四、十全大補湯
五、八味丸
六、六味地黄丸
七、加減八味丸
八、加減金匱腎気丸
九、警句



九、警句

古人の制方をみると、除くことができる一味はなく、加えることのできる一薬もありません。またそれぞれの両目(りょうもく)〔訳注:薬剤の分量配分〕にも深い理があってその軽重が定められているわけです。

近世の医は暗く、方意の深さに達せず、薬性の奥に通じていません。ただ四君は補気 四物は補血とだけ思って、その気は何によって補われその血は何によって補われるかということを理解していないのです。また、古方の両目がどうしてあちらは重くこちらは軽いかという深い理をも理解してはいません。妄りに加減し軽重を変えて、本方の意義を失い、ただ方寸七【原注:サジ】加減で配剤の軽重をしています。

そもそも薬質が重いものは、少しすくっても両目は見た目より多くなるものです。薬質の軽いものは、多くすくっても両目は見た目よりも軽くなるものです。今の医は、方寸七【原注:サジ】ですくった薬剤を、ただその見た目の多少で両目に合わせようとしていますが、ほんとうに合わせることができるものなのでしょうか。これはただ見分けの多少であって、真の両目を失うものではないでしょうか。

また「私は方薬の調剤を長年やっているので、すくっていると自然に両目と毫釐(ごうりん)〔訳注:ほんのわずか〕の差もなくできます。」と言っています。その何銭何両あるいは半銭半両の類であれば、その仕事が長いものであればすくうことができるかもしれません。けれども()を争うようなものとなると、すくうことができるものでしょうか。秤を用いているものですら分を争う際にはややもすればその軽重を誤ることが多ものです。いわんや方寸七【原注:サジ】だけでこれをすくっているものが、両目の分を争うことができるのでしょうか。

土佐に寓居する道寿は、湯剤を配合する際には必ず小秤で一々その両目を量って用いています。今の医はこれを聞いて執着〔訳注:こだわりすぎ〕として笑うものがありますけれども、実に道寿の秤量は、医薬の奥に通じるものです。方意の妙は両目にあります。その軽重に毫釐の差があっても、治効を発することはできません。この軽重をおろそかにするものは、方意の(ふかみ)に達していないことによるものです。またひどいものでは煎湯の配剤は方寸七【原注:サジ】ですくって見かけの軽重に従い、丸剤を製する際には秤を用いてそれぞれ量って合剤しています。煎湯と丸散とどこが異なるというのでしょうか。ともに病を除くものではりませんか。どうしてあちらは方寸七【原注:サジ】を用いて見かけの軽重に従い、こちらは秤を用いて軽重を厳しくするのでしょうか。このような誤りは非常に多いものです。

丁子や沈香は直接湯中で煎じ、丸粒はすべて米糊で堅め、ほとんどの香薬は別に研末にして他の薬の煎湯を服する際に碗中に振り入れてこれを用います。また諸々の丸粒を製する際に米糊を用いるものは古方には稀です。ただ蒸し餅をもちいて米糊に替えるべきでしょう。蒸し餅は私が以前撰した《衆方規矩指南》に掲載して幼学に示したものです。今時の医は、方意の深い理にまだ達していないか、よく考えてはいても方考〔訳注:処方の解説書〕などの文字に拘わってその奥義をしっかり理解していません。

医は意です。医の本は学にあります。学に精しくなければ、心に明らかになりません。心に明らかにならなければ、意は通じません。意が通じなければ、かの臓腑経絡 神精 営衛の虚実に治療を施す妙道に達することなど、できようはずもありません。

一、滋陰降火湯
二、四物湯
三、八物湯
四、十全大補湯
五、八味丸
六、六味地黄丸
七、加減八味丸
八、加減金匱腎気丸
九、警句



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