上焦神蔵 第一節 神精




神精には先天と後天とがあります。右に弁じたように、父から稟けたところの神精は先天です。けれども先天の神精だけでは、この身を長期にわたって保つことはできません。人が母の腹に舎る間は無心の草木と同じで七情は起こらす、泄精することもありません。すでに生まれ落ちて後は、情志が起発して喜怒志憂驚恐が時として生じ、その人となるに及んで、色欲泄精して、気や精を使うことが非常に多くなります。かの先天の神精だけでは、これに対応できませんから、乳哺〔訳注:母乳〕や水穀の精気を用いて先天の神精を補足します。この水穀から生ずる神精を名づけて後天の神精と言います。先天の神精は、その気が清浄粹明なものです。後天の水穀から生ずる神精もまた、至精至明なものですけれども、先天の神精に比べれば、清中の濁のようなものです。

始めて胎を生じた精は、清中の清なるものである先天の精からくるものです。一身の君主として万事に応ずる神は、清中の精明の気、先天の神です。ものが清いときは濁を分かち、ものが明らかなときは暗を知ります。この神は至清〔訳注:きわめて清く〕至明〔訳注:きわめて明らか〕なので、万事に応じて一身の主宰となります。

鏡の明らかさというものは、物に応じてまったくその形を変えずにその姿を写すことにあります。この神の至清至明が万事に応じて、霊妙にして測ることのできないものは、鏡のようです。神の字を和〔訳注:日本〕では「カミ」と訓じているのは、「カガミ」の真ん中を略したものです。



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