中焦穀府 第三節 以胃為貴




脾と胃とは臓腑の表裏をなしており、貴賤はないように思えます。けれども、胃が水穀を受け取るからこそ脾がこれを消化できて貴ばれるわけです。胃が水穀を受けなければ、脾は何を消化するのでしょうか。脾の貴さというものは胃によって貴いわけです。ですから三臓の弁解においてもまず、中焦胃の腑と名づけて弁ずることとします。

心は神に生じ、腎は精に生じ、肺は気に生じ、肝は血に生じます。中焦は何によって生じるのでしょうか。《霊枢》に、『脾は営を蔵します』と述べられています。

天陽は降り地陰は升ります。その陰陽升降の交わるところに一気があって、上下の真ん中でめぐります。これを造化の本とします。人身においても心陽は降り腎精は升ります。その升降の交わるところに一気があって、これを営とします。【原注:この営は営衛の営ではありません】天地はこの交気を用いて万物を営み養い、人身はこの交気を用いて全身を営み養います。ですから営というわけです。この営によって中焦脾胃が生じます。

聖人がこれを土とする理由は何なのでしょうか。土は中宮に位置して四方に応じ、水火木金の四行を営養します。人身の中焦に蔵されている営気は、心腎という陰陽の中央に位置しており、周く全身の四方に応じて、精神気血の四気を栄養しています。これは実に土の徳に応じているものです。これを聖人は察して、脾胃の気を土としたわけです。脾胃を黄色の臓腑としていることもまた土の象です。



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