附録 営衛三焦 第四節 脉中有気脉外有血




営は血で、衛は気です。営は脉中を行き、衛は脉外を行きますので、脉外には血はなく、脉中には気がないように思えます。けれども脉中に気がないということはなく、脉外に血がないということもありません。血中に気がなければ血はどうやってめぐることができるでしょう。脉外に血がなければ、全身はどうやって潤うのでしょう。たとえば、水は地中に充満していますけれども、その中には井 泉 川 海などがあって、集まり流れる水液は、脉中を流れる血のようです。ですから血は溜まって流れるところであり、脉外の全身にもまた血液が自然に充満しているわけです。このことは、人が誤って身体に傷をつけると、必ず血が出るということがその証【原注:あかし】となります。もし血が脉中にだけあって脉外にないというのであれば、身体を傷つけたり、脉外が傷られた場合に、血をみることがないということになるわけです。

けれども身体に傷を受けた場合、その傷が大きくても出血が少なかったり、小さくても出血が多かったりします。脉中を傷ったときには出血が多く、脉中を傷らなかったときには出血が少ないということが理解できます。営は脉中を行き、衛は脉外を行くということは〔訳注:、川の流れにたとえられます〕。暁天(ぎょうてん)〔訳注:明け方〕に川の流れを望めば煙のような霧のような気が流水の上を蔽っています。これは何かというと、水中の気が水の外にめぐったものです。人身における衛気が脉外を行くということもまたこのようなものなのです。



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