附録 営衛三焦 第九節 平人脉一息五動




平人の一呼に二回の脉動があり、一吸に二回の脉動がありますので、一呼吸の間に四回脉動することになるはずですが五回とされているのはどうしてなのでしょうか。

一呼一吸を一息とします。一息がすでに終わって次の一呼を発する間に一つの大呼を発します。この時にもまた脉は一動します。ですから、一呼に二回 一吸に二回合わせて一息の間に四回脉動し、これに大呼の一回を合わせて、平人の脉は一息に五回動ずると言われているわけです。

このことが《平人気象論》に『人の一呼に脉は二回動き、一吸にも脉は二回動き、呼吸が定まって動いて、脉は五回動きます。閏に太息するものを平人といいます』云々と述べられています。閏に太息するというのは、一呼吸終わって次の一呼吸を発する間に、一つの大呼を出すことを言っています。

一年三百六十五日二十五刻の中から、気満朔虚〔訳注:二十四「気」の「満」数と十二「朔」の「虚」数〕して自ずから余りが出て、三年に一回の閏月を生じるように、一呼一吸で一呼吸が終わりますけれども、その一呼吸にまだ尽きない気があって、二回目の一呼吸の間に一つの太息を発するわけです。これは前の一呼一吸の中から余りが出た気で、閏月のようなものです。ですから経に、閏に太息すると述べられているのです。







ところが経に、『平人の一呼に脉は三寸行き、一吸に脉は三寸行き、呼吸定息に脉は六寸行きます。一昼夜は一万三千五百息ですから、脉は八百十一丈とします。』とも述べられています。疑問を持たないわけにはいきません。どうしてかというと、一呼に三寸 一吸に三寸と一呼吸で六寸脉が行くということであれば、右の閏に太息しているときには脉が行かないことになるからです。一年の閏月を立てる際には、別に節や中といったものを立てません。閏月三十日のうち、上の半月は前の月に属し、下の半月は後の月に属しますので、閏月においては節や月を立てることはありません。人の太息は閏月のようなものなので、一呼吸と一呼吸の間に発して、一呼一吸の余気であるため、太息においては別に脉度を立てることがないわけです。

一息六寸の中に自ずから閏息の脉度があって、定息六寸の他に別に閏息の脉度を立てないこともまた、聖人の法、天人一理の妙ではあります。



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