第一章 三焦心包有名無形論
第一節 心主




門人が聞いて言いました。越人の八十一難経の二十五難に、『十二経があって、五臓六腑は十一しかありません。残る一経はどのような経なのでしょうか。然なり。この一経は、手の少陰と心主との別脉です。心主と三焦とは表裏をなし、ともに名前はありますが形はありません。ですから経脉には十二あると言います。』と述べられています。《難経》は、句句すべてが理であり字字すべてが法です。中でもこの二十五難は医学にもっとも切要なもの〔訳注:中心となる大切なもの〕であり、その義も深奥です。そのため後世、これに註釈を施すものも多く、またその論にも諸説があり同じではありません。よろしければ師の注解を聞かせていただきたいのですが。

私は答えて言いました。《難経》は至れり尽くせり〔訳注:隅々まで述べ尽くされており〕、私の管見〔訳注:管を通して覗くような狭い考え方〕の及ぶ所ではありません。けれども三焦心包の有名無形の論は、医学の根本であり治療の本源となるものですから、もしこの問題に(くら)ければ〔訳注:きちんと理解していなければ〕、医とは言えません。

この難問を設けた意図を考えてみましょう。

《内経》以来、経脉は手の三陰三陽と足の三陰三陽の六六 十二経とします。十二経は、それぞれの源があり流れている河の流れのように、一経一経その源があり流れてきます。その源とは臓腑です。流れの末の経脉が十二あるわけですから、その源である臓腑もまた十二あるはずなのですが、臓腑は五臓六腑と十一しかありません。であれば経脉も五臓六腑に合わせて十一であるべきなのに、経脉の数は十二あって五臓六腑と比べると一経余ります。その余る一経はどのような種類の経なのかということを聞いているわけです。

『然なり。この一経は、手の少陰と心主との別脉です。』この言葉の心は、その余る一経は、五臓の中に心臓というものがあり、その心臓から流れ出している脉を手の少陰心経と言います。この心経が一経だけではないということです。どうしてかというと、その源は心という一つの臓なのですが、経脉として流れている末は二つに別れて流れているからです。別れている一経を心主の脉と呼んでいます。源は心という一臓なのですけれども、その経脉は二つの流れとなっていて、その一つの流れを心経とし、もう一つの流れを心主としているわけです。この心主の経も心経とともに心臓から流れ出ているものなのですが、心経とは別の脉になっています。ですから臓腑の数は十一なのに経脉は十二あると言っているわけです。十二経を五臓六腑に合わせてあまる一経とは、この心主の一経のことなのです。







門人が聞いて言いました。五臓六腑であるにもかかわらず十二経あるのは、心主の一経のせいであることは実に明らかです。この心主の経が属するところの手足の陰陽はどうなるのでしょうか。

答えて言いました。心主は手の経であるということは《素問》《霊枢》で明らかです。《難経》では《十八難》《七十九難》で手の心主と述べていますので、手の経であることの(あかし)となります。また臓の経を陰として腑の経を陽とします。心主の経もその源は心臓から流れ出たものですから、当然 陰経にすべきです。また、足には厥陰肝経がありますが、手には少陰心経と太陰肺経のみで厥陰がありません。ですから心主は手の厥陰経であることが明らかとなります。

一元流
医学切要指南 前ページ 次ページ