第一章 三焦心包有名無形論
第二節 心主と三焦は表裏をなす




『心主と三焦とは表裏をなし』

右の問答で、五臓六腑であっても経に十二あるという理由は明確になりましたので、重ねてこの言葉がある必要はないのではないかと思いますが、他経の例を考えるとこの言葉はなくてはならないものです。どうしてかというと、五臓六腑でありながら十二経あるのは心主の一経があるためです。他の経はすべて臓腑を陰陽として表裏で配合されています。この心主の経も、臓腑を陰陽として表裏で配合されていなければなりません。この表裏の配合は何と配合されるべきかというと、三焦と配合される他ありません。

どうしてかというと、五臓六腑を表裏で合わせてみると、心経と小腸経、肝経と胆経、肺経と大腸経、脾経と胃経、腎経と膀胱経が配合され、三焦の一経が余ります。ですからこの余った三焦経を、心主の経と表裏で配合させることに決めたわけです。

さて、心主の経はその源は心から流れ出た脉ですから、これは臓脉です。三焦はもともと六腑に入りますから、心主を臓脉とし三焦を腑脉として、手の厥陰心主と手の少陽三焦とを臓腑を陰陽として表裏で配合させると、十二経の道が平等になります。【原注:心主と三焦を表裏とするということは、《難経》が始めではありません。《霊枢・経脉篇》《素問・血気形志篇》にもともと、心主と三焦とを配合させています】

さてまた諸経は皆な表裏が属する五行があり配通しています。ですから心主と三焦にも表裏が属する五行がなければなりません。《二十八難》に手の心主を少陽の火と述べていますから、心主も三焦もともに火に属し、表裏として配合されていることが明らかです。



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