第二章 腎間動気論
第一節 腎間の動気




門人がまた聞いて言いました。《素問》《難経》ではともに腎間の陽気を人の生の原としていることは明白です。では《難経》で直接腎間の陽気と言わずにどうして動気と言っているのでしょうか。

答えて言いました。ここには実に深い意味があります。腎間の陽気は常〔訳注:正常な状態〕の場合は、ただ水を温める程度のことで、これを探しても見つけることはできません。これが発動することによって含寓されている陽気があったのだということがわかるのです。三焦は腎間の原気の別使ですけれども、常の場合は、これを見ることはできません。発動することによって腎間三焦の陽気があったのだということがわかるのです。蛍の光が昼間は見えなくとも夜ははっきりと見えるようなものです。また人の目の中は血液だけですけれども、その血液の循環が正常であれば白目の部分はすっきりと白く、一筋も赤みはありません。もしその血液が少しでも渋滞すると、赤みが必ずあらわれてくるようなものです。腎間三焦の陽気も、常の場合はわかりません。動くことによってこれがわかります。このため陽気とはいわずに動気と言っているわけです。

けれども後世、その動気を候うということを立てる者がありました。王文潔〔訳注:一五九九年《難経評林》著〕と熊宗立〔訳注:一四三八年《勿聴子俗解八十一難経》著〕とは、足の少陰腎経の内踝の後ろ跟骨の上の太谿穴の動脉でこれを候うとしました。また呂氏〔訳注:呂広:三世紀?《黄帝衆難経》著〕楊氏〔訳注:楊玄操:八世紀?《難経注釈》著〕丁氏〔訳注:丁徳用:一〇六二年《補注難経》著〕晞氏〔訳注:晞范:一五三三年《句解八十一難経》著〕潔古氏〔訳注:張潔古十二~十三世紀:金元の四大家の一人で易水学派を創始:《薬註難経》著〕は、尺脉でこれを候うとしました。これらの諸説は全て間違いです。腎間の動気は臍下丹田気海の地に舎寓〔訳注:居住〕しているものであって、これを探してわかるような気ではありません。ですから越人は結句で、『生気が独り内で絶します』と述べているのです。この「内」という字に深い意味があります。その外候が有り得ない〔訳注:外から候い知ることは決してできない〕ということをこの『内で絶します』という一句を用いて、工夫して〔訳注:さまざまな角度からよく考え尽くして〕ください。



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