第三章 労症の論




門人が聞いて言いました。労症と後世呼ばれているものは、《素問》《難経》に述べられているのでしょうか

答えて言いました。病症というものには、後世にはあっても上古にはないものがあり、上古にはあっても後世にはないものがあります。痘瘡などは上古にはなく後世にあります。厥症の名前は上古にはありましたが後世には失われています。労症も《素問》《難経》には述べられていませんけれども後世にはあり、これを病んでいる者もたくさんいます。そこで考えるわけなのですが、《難経十四難》に損至の脉に関する記載があり、至脉は一息六動から始まって次第に進み〔訳注:速くなり〕、一息八動 一息十動 一息十二動に至って死にます。損脉は一息二動から始まって次第に衰え〔訳注:遅くなり〕、一息一動 一息半一動 二息一動に至って死にます。その至脉の症は下部の臓から次第に衰えが上り、損脉の症は上部の臓から次第に損傷が下ってくるとします。







経に『損脉の病状にはどのようなものがあるのでしょうか。 然なり【原注:ここから損至の症を述べています】。一損は皮毛が損なわれ【原注:これは肺気の虚でその病症は】、皮膚が集まり毛が落ちます【原注:皮膚が枯れて毛髪が抜け落ちることを述べています】。二損は血脉が損なわれ【原注:これは心血の虚でその病症は】、血脉虚少で五臓六腑を栄する【原注:栄養する】ことができません【原注:顔色も損なわれ全身の液も枯れて大便が秘結する類のことを述べています】。三損は肌肉が損なわれ【原注:これは脾胃の虚でその病症は】、肌肉消痩し飲食が肌膚となることができません【原注:肌肉が次第に消えるように痩せて、食物を食べてもその身体の養いとならず、食べることができてもひたひたと痩せていくことを述べています】。四損は筋が損なわれ【原注:これは肝の虚でその病症は】、筋緩み自ら収持することができません【原注:筋が萎えて自由がきかなくなることを述べています】。五損は骨が損なわれ【原注:これは腎の虚でその病症は】、骨が痿えて床に起つことができません【原注:腰膝が起たないことを述べています】。これと反対の順序で起こるものは、至脉の病です。』と述べられています。

右の損脉の病症は、先ず皮毛が損なわれることから始まって、次第に筋骨が損なわれることとなります。至脉の病症はこの反対で、先ず骨の虚から始まって、次第に皮毛の虚になります。

上から下るものは、骨痿して床に起つこともできなくなって死にます。これが損脉の症です。上部から損なわれて次第に衰えていき、骨痿となって五臓すべてが損なわれて死ぬわけです。下から上るものは、明らかに労症について論じているものです。損至の脉と言っていて名前は異なりますけれども、その病因と病症とは後世、労症と呼ばれているものに間違いありません。

労症には両極端の病因があります。一つは男女の淫欲の大過によって陰虚し火動して病むものです。一つは尼僧や室女や官女や寡孀(やもめ)〔訳注:寡が男:孀が女〕の類で、色欲の情念が起こっても遂げることができないため気がめぐらず、気がめぐらないために気が疲れて気鬱して、鬱の火と欲の火とが扇ぎあって動じて熱火となり、その精液を枯らして労症を病みます。この初めは気分の鬱と虚とから起こり、肺の問題です。これは《難経》で言うところの損脉が上から下るものなのではないでしょうか。また男女の淫欲の大過によってなるものは、初めは腎虚の問題です。これは《難経》で言うところの至脉が下から上るものなのではないでしょうか。

損の脉は動数が減少し、至の脉は動数が倍加しますが、これはどうしてなのでしょうか。損の症は気分の労虚から始まります。ですからその脉数も減少していきます。治療をしてみると、尼僧の労症の多くはその脉が減虚しているので、初めから人参 黄耆の剤がよいでしょう。また至の症は腎虚火旺から始まりますので、その脉数も倍加していきます。治療をしてみると、陰虚火動の労症はその脉が疾数ですので、初めから当帰 地黄 知母 黄柏の滋潤降火の剤がよいでしょう。危険な状態になっていると細数の脉状を現します。《難経》では一息八動を至脉の奪精とし、一息十動を至脉の死脉と述べているものがこれです。ですから《難経》で述べられている損至は後世の労症であることは明白です。

けれども古今の註者はここまでその考察が及ばなかったため、後人がこれを知ることはありませんでした。私は十八歳で医学を志し、朝夕《素問》《難経》を心に刻んで四十有余年、ついにその奥旨を得ることはありませんでしたけれども、《十四難》の損至が後世の労症であることに気がついたことは、愚者の一得でもありましょうか。けれども独善で決めようとは思いません。この書に述べることによって、後の君子が再び正ていただけるのを待つのみです。







門人が聞いて言いました。《十四難》の終わりで再度損至の脉病を論じています。滑伯仁は「前の損至は内傷の症、次の損至は外邪の症」と述べていますが、そうなのでしょうか。

答えて言いました。伯仁の説は経の、滑は熱に傷られたもので濇は霧露に中ったものです、という二句に拘わって外邪の症としているのでしょう。これは間違いです。前後の損至は同じで、一つの理があります。前ではその概要を述べ、後に詳述しているだけです。







また聞いて言いました。経に損を治す法がありますが、その詳解を聞かせてください。

答えて言いました。

『肺が損なわれたものはその気を益し』とは、肺は気を主るためです。人参 黄耆の剤がこれにあたります。詳解する必要はないでしょう。

『心が損なわれたものはその栄衛を緩くし』栄は血で衛は気です。心は元陽の気の本主であり血を生じます。ですからその治法においては気だけを補うのではなく、血気を兼ねて調え補います。人参 当帰の剤がこれを主ります。

『脾が損なわれたものはその飲食を調え、その寒温に適せしめ』脾胃を治療する際には、病者は飲食を調節しなければなりません。治法がたとえ適中していても、飲食を誤ると、その病は治ることができません。ですから先ず『その飲食を調え』と述べているわけです。『寒温に適せしめ』というのは、飲食も衣服も薬剤も、そのときどきに適切な寒温に適中することが大切です。そもそも脾胃の土の治法には定まりがありません。補うとよいものがあり、瀉すとよいものがあり、温熱がよいものがあり、涼寒がよいものがありますので、一つの方法に決めてはいけないのです。この理は、四季の土用を証として理解してください。どうしてかというと、春夏の土用は温熱がよく、秋冬の土用は涼寒がよいわけで、人身における脾胃の治療もまたこれと同じだからです。必ずしも温補に限らず、必ずしも寒瀉に決めず、ただその病因と症によって寒温補瀉のその時によいものを用います。

『肝が損なわれたものはその中を緩め』肝は発生の春木で、下焦の陰部に位置しています。発生が陰中にありますので、その気を得ると鬱迫しやすいものです。鬱迫の気は必ず急です。また肝は血を蔵すことを主ります。肝がよく血を蔵するときは、肝葉が潤ってその気が緩やかとなります。もし肝血が虚すと、肝葉が乾いて、その気が急になります。《素問・蔵気法時論》に『肝は急に苦しみます』と述べられているのはこのことです。ですから肝を治療するものは、肝の鬱を解いてその急迫を緩くし、また肝血の虚を滋してその乾急を緩めるようにするわけです。

『腎が損なわれたものはその精を益す』腎精を補益するには二つの方法があります。一つは下焦の虚寒に属するものです。たとえば水が寒えて器の中の一隅が固まり凍って乾くようなものです。肉桂 附子の温熱を用いてこの凍を解くと、水が器の中に満ちてきます。もう一つは下焦の陰虚火旺に属するものです。たとえば釜の下で燃えている火が強すぎて、釜の中の水が乾いてしまっているようなものです。知母 黄柏 生熟地黄の剤を用いて、その薪の火を取り除くことができると、釜の中が潤って乾きがなくなります。ですから八味地黄丸の温潤や六味地黄丸の涼潤があり、病に従って両方並び行われるのです。



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