第七章 膀胱胞の論
浮音は膀胱 包音は子宮




門人が聞いて言いました。膀胱の腑は、上口がなく下口だけがあって、上には水が注ぐ腠理があり陽気が化されて水液がその腠理から滲入するという説と、膀胱には上口と下口とがあるという説がありますが、どちらが正しいのでしょうか。

答えて言いました。膀胱に下口があって上口はなく水が注ぐ腠理だけがあるという説は、古今の諸説と同じです。上口と下口とがあるという説は、泗州〔訳注:現在の安徽省〕の楊介〔訳注:北宋一一〇〇年代に刑死者の解剖図を画き、これを存真図として刊行〕の存真図の説で、王安道〔訳注:1332年~1391年:医経溯洄(そかい)集〕もまたこれに従っています。

小便が通じることについては、《素問・経脉別論》の『飲が胃に入ると、精気が游溢して上に脾にめぐります。脾気が精を散じて、上に肺に帰すると、水道が通調して、下に膀胱にめぐり、水精四布して五経並び行くこととなります。』という理によってはじめてその要を理解することができます。

天から霖雨(りんう)が降るのは、地の水精が気に化して天に升騰して雲となり、雲がまた化することによって霖雨となり下降するものです。人身において小便が通じることもこれと同じです。肺は天であり脾胃は地です。飲水が胃の中に入ると、胃中の温陽の気によってその水精が湯気となって脾にめぐり、脾から上って肺に薫蒸します。たとえば胃の腑は釜であり肺は蓋です。釜の中の湯気が升って蓋に薫じると、その蓋に必ず液露が満ちるように、水精が脾胃から薫蒸(くんじょう)されると、肺という蓋にも必ず液露が満ちます。その液露がまた肺から滴り降り、下に闌門(らんもん)に流れ注ぎます。闌門とは何かというと、小腸の下口と膀胱の上際との間にある二寸ほどの空所のことです。水穀はここで分かれ、(かす)は大腸に入り水液はこの闌門に溜まって膀胱に滲入します。

さて胃中の水液の中の精専なるものは右のように湯気となって脾肺に薫蒸します。その湯気に蒸し取られた後の濁水は、胃からすぐに小腸に流れ、小腸の下口でさらに絞られて糟となって大腸に送られます。水は闌門に流れて、肺から(したた)り落ちてきた水精と一つになります。

そもそも肺から降る水は精専なもので、上焦の陽気の化を含みますので、これが闌門に流れていくと、下焦の腎間の火によって化されて膀胱の腠理に速やかに滲入します。ですからこの水に導かれて胃小腸から降ってきた濁水もまたともに膀胱に滲入(しんにゅう)して、(でき)〔訳注:小便〕となって通泄される〔訳注:排泄される〕のです。

いやしくも肺から滴る水がなければ、水はいたずらに闌門に溜まるだけで、膀胱に滲入することはできません。そのため王安道は『上昇するものを必ず待ってこれの先導とします』云々と述べているのです。また膀胱に滲入した水はその下口から溺となって出る際にも、肺気の化と腎間の陽気の化という上下両焦の陽気の化を受けることによって、膀胱胞の上際の腠理が疎通され、その下口から溺がよく通泄することとなります。もし上下両焦の陽気の化を得られない場合には、膀胱の上際の腠理が閉密となって、その水が下口から出ることはできません。たとえば〔訳注:ストローなどに入った〕滴る水の上口を塞ぐと、水が下口から出ることができなくなることと同じことです。ですから《素問・霊蘭秘典論》に『膀胱は津液が蔵されます。気化するとよく出ます』と述べられており、王安道も『水は気の子であり、気は水の母です。気がめぐると水もめぐり、気が滞ると水も滞ります。』と述べているのです。小便の通利は気化によるものであるということは世の人々は皆なよく理解しているところなのです。

水精が上昇しなければ、水の体が膀胱に滲入することができないということを、庸医の多くは理解していません。そのため、小便閉というと決まって淡滲の剤だけを集めて合用し、さらに通じなくさせて、前陰の渋痛を増悪させてしまいます。そして遂に死んでも、昧い医者はそれすらわからず、ただ「病が極まり薬剤の及ぶところではありませんでした」と言うだけなのです。悲しいことではありませんか。

私は一人の病家に行きました。八十余歳の男性で、大小二便が閉結し、また前陰の渋痛が甚だしくて、その叫び声が戸外に聞こえるほどでした。私が診ていると病者は「私ももう歳だから、長生きしたいとは思いません。ただこの痛みを止めてください。そして命の終わりを安らかにさせていただきたいのです」と言いました。私は病家に「これは老化による病ですから、長生きはやはり求めにくいです。ただこの渋痛を止めることはできるでしょう。」と告げました。そして補中益気の大剤に肉桂と附子とを加え、人参一銭を用いてこれを服用させました。二度服用すると小便が大碗一杯ほど通じ、その渋痛もきれいに消えてしまいました。病者は拝んで「この恵みは死泉に行っても忘れません」と言い、病家もいよいよ治療を要請されましたが、「生かすことは私にはできません」と言って固辞して私は去り、やはり亡くなってしまいました。これは昇る力がないために通じることができなかったわけです。それを医者は通泄の剤を用いて引いたため、ますます昇らなくなりますます通じなくなって、とうとうひどく渋痛することとなったものです。このような類は、世の中には非常に多いことでしょう。

ですから膀胱には下口だけがあって上口はなく上にはただ腠理があって気化によって水液が滲入することとなるのだということは明らかです。







それを王安道は《医経溯洄集》で、元の周守忠が《養生類纂》で「膀胱は胞の室」と述べていることを基にして、「膀胱というのは外の室であり、その中に胞という一嚢を抱き包んで入籠(いれこ)になっています。この胞には上口があって下口はなく、下際には腠理があるだけです。水液はその上口から胞中に入り、陽気に化されて下際の腠理から滲出して胞と膀胱との空所に溜まります。満ちると速やかに膀胱の下口から溺〔訳注:尿〕となって前陰に出るわけです。もし胞の下際と膀胱との間に空所がないのであれば、人の溺が急なときに〔訳注:尿意が迫ったときに〕厠に行って、すぐに出ることはありません。胞から漏れた水がその空所に積み満ちたとしてもその水が胞中に帰り入ることはできないので、尿意は急で出方も急なのです」と述べています。

これは《素問・気穴論》で『胞は熱を膀胱に移します』と述べられていることと《霊枢・五味論》で『膀胱の胞は薄くて懦【原注:よわ】いものです』と述べられている、この二つの胞の字を孚【原注:ふ】の音に誤り、膀胱は外室で胞はその中の入籠であるとしたものです。

けれども《素問・気穴論》で述べられている「胞」の字は二つとも包【原注:ほう】の音で子宮精室を指すものであって膀胱の胞ではありません。また《素問・至真要大論》の王冰註では『水液は回腸から汁を泌別されて膀胱の中に滲入し、胞の気がこれを化して濁として泄れ出させます。』と述べられています。膀胱と述べて胞気と述べていますので、膀胱と胞との二つがあるように思えますけれども、実は二つではありません。この胞気と述べられているものはそのまま膀胱胞気〔訳注:膀胱腑気〕のことなのです。学ぶものはこのような似て非なるものに惑わされないようにしてください。

○類纂ならびに医経溯洄集の膀胱の図

この説は正しいようにみえて間違っています。王安道は出類抜萃の士ですけれども、その《医経溯洄集》で噦を乾嘔の甚だしいものとしたり、膀胱と胞が二つあるとする説などは、千慮の一失と言わなければなりません。







門人がまた聞いて言いました。膀胱はただ一つで入籠ではなく、上口はなくて下口があるということは明らかです。けれども膀胱に下口があるのであれば、その水が滲入するたびに排出されるのではありませんか。どうして二時間から四時間は水を保ち、満ちてから溺として出るのでしょうか。

答えて言いました。王安道はこれに惑わされて右のような間違いを説いてしまいました。

膀胱の中の水を保ったり出したりするのは、気によってなるものです。気が水を保ち、気が水を泄らすわけです。急に溺〔訳注:排尿〕しようとした人が気を張ると反って通じにくくなり、気を緩めるとよく溺〔訳注:尿〕が通じるということから理解するようにしてください。







また聞いて言いました。老人が溺することが頻繁なのはどうしてなのでしょうか。

答えて言いました。虞天民の《正伝或問》でこれを論じて、「老人は降ることが多いためです」と述べています。私が思うに、老人の溺が頻繁なのは、下元の陽気が弱って保てなくなるため頻繁に小便に走るのでしょう。気虚の人が小便自利するということと同じです。老壮で小便の〔訳注:量の〕多少は違いませんけれども、少壮の人は保つことができるので小便の数が少なく、老人は保てないので頻繁で多くなるわけです。







また聞いて言いました。幼童の小便が頻繁なのはどうしてでしょうか。

答えて言いました。前に弁じたように、水精の昇るものを先達とし引導されて小便は下降します。幼少の人は陽気の化が壮んでよく昇発します。気化が壮んであればよく通じ、昇ることが多ければ降ることもまた多くなります。ですから小児は溺が頻繁となるわけです。

この理〔訳注:老人の頻尿と幼童の頻尿の理由〕には雲泥の違いがあります。学ぶものは一律に考えないようにしてください。



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