第八章 陰陽有余不足の論




門人が聞いて言いました。朱彦修(しゅげんしゅう)〔訳注:朱丹渓:金元の四大家の一人:一二八一年~一三五八年〕先生の《格致余論》に、陽有余 陰不足の論があります。また張景岳〔訳注:張介賓:一五六三年~一六四〇年〕の《類経附翼》に〈天宝論〉があって、陰有余 陽不足としています。この二説は氷炭のように〔訳注:寒熱が真逆のように〕違います。何が正しく何が間違っているのでしょうか。このあたりのことはどうなのでしょうか。

答えて言いました。二説あるということによって、漁師が海に行き猟師が山に行くように、医者が各々の好むところに従っています。丹渓に従って当帰・地黄などの滋陰の剤を専らにする者があり、介賓(かいひん)に従って参耆桂附〔訳注:人参・黄耆・肉桂(桂枝)・附子〕などの補気助陽の剤を専らにする者もいてさまざまです。私は医を志してからずっと、この二説を真剣に疑問に思い、さまざまな医家に聞いてきましたけれども、明確な答を得ることは結局できませんでした。長い歳月をかけて始めて少し得心できたことがありますので、これを述べさせていただきます。







私は以下のように考えています。無極にして太極が、動じて陽を生じ、静にして陰を生じ、陰陽が分かれて四象を生じます。陰陽には本来、有余もなく不足もありません。けれども丹渓先生は日月〔訳注:太陽と月〕の陰陽を用いて、『太陽は実し、月は欠けて満ちにくいものです』と述べられました。これを証として人身においても陰は不足し陽は有余するとされたわけです。男子は十六歳で精が始めて漏れ、女子は十四歳で月経が始めて通じます。その十六七年の歳月を積んではじめて精は漏れ月経が通じるということから、陰道が生じにくいことが明らかであるとされています。

私は思うのですが。月は欠けているように見えますけれども、月の本体が欠けるということはもともとありません。ただ人間の目には日光が映っていないところが欠けているように見えるだけです。括氏は『もし神人がいて、月に並行してこれを見ると、月は常に円満で欠けるところがないでしょう。欠けているように見えるのは、日光が照らしているところを人間が下から見ているためです。』と述べています。丹渓先生が、陰不足の証として月が欠けていることを用いることは、とても採用しがたいことです。

張景岳は『人が死ぬのは気が先に去って形が後に残ります。気は陽、形は陰です。陽が先に亡びて陰が後に残ります。また身体の温もりが先に去って冷えが後に残ります。動が先に去って静が後に残ります。温も動も陽であり、冷も静も陰です。陽が不足し陰が有余するということを第一とします。また春夏の温熱で物が生じ、秋冬の冷寒で物が殺されます。温熱の気は弱く、冷寒の気は(つよ)いわけです。また水は大陰と言い火は少陽と言います。陰を大と呼び陽を少と呼んでいるわけです。陽不足陰有余ではありませんか。』と述べています。

私は思うのですが。この二人の先生の言葉にはそれぞれ深い理があり、その是非を評価することは困難です。けれども管見〔訳注:管を覗いて空を見るように狭い見方〕ではありますが密かに思うに。大陰は形を成し陽は気を化すというのが陰陽の常道です。形があるものは生じることが遅く、滅することもまた遅いものです。無形の気は生じることは速く滅することも速いものです。ですから丹渓先生は、陰気が生じることが遅いということを見て陰不足を弁じ、張景岳は陰気が滅することが遅いということを見て陰有余を弁じています。丹渓先生は陽気が生じることが速いことを見て陽有余を弁じ、張景岳は陽気が滅ることが速いことから陽不足を論じています。それぞれその前から見るか後ろから見るかで、その不足と有余とがあると弁じているわけです。けれども天地陰陽にはもともと有余不足があるわけではありません。あるいはその受けるところの器に有余不足があったとしても、陰陽の本源には有余不足があることなどありません。

庸医は世の中に陰虚の病者が多いことを見て丹渓の説を是とし、あるいは陽虚の病者が多いことを見て張氏の説を是としますが、これはまったく誤りです。







病というものは「変」であるため、有余すべきものが不足し、不足すべきものが有余することによって病となるものです。このことを、陰陽の「常」道における不足有余の証とすることに理があるでしょうか。

朱丹渓が陰不足陽有余の論を発明したのは、劉河間(りゅうかかん)〔訳注:一一一〇年~一二〇〇年〕の《原病式》によるものです。張景岳が陰有余陽不足の論を発明したのは、東垣(とうえん)〔訳注:李東垣:一一八〇年~一二五一年〕薛己(せっき)〔訳注:一四八六年?~一五五八年〕の医流から推測したものでしょうか。三才の陰陽の根蒂(こんてい)〔訳注:発生の大本〕において、これが不足しあれが有余するということはないわけですけれども、それが行なわれているところの枝葉〔訳注:生命のありよう〕から見ると、不足するものと有余するものとがあるようにみえるわけです。

《素問》に『これを数えて十とすべし、これを推して百とすべし、これを数えて千とすべし、これを推して万とすべし、万の大いなることあげて数えることができないほどです。けれどもその要は一だけです』と述べられているのはまさにこのことを言っているものなのです。



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