第十章 人参黄耆の論
第二節 治療目標の大事




今、庸医が治療しているのを見ると、病者や病家の言葉を聞いて、毎日方剤を替え日夜加減して止まることがありません。これはすべてその本因に達せず、今日見えているところだけを見て治療しているためです。

《素問・宝命全形論》に『衆脉を見ず、衆凶を聞いてはいけません。外と内とを相互に得、形を先にせず、往来を(もてあそ)ぶことができるようになったら、すなわち人に施します。』と述べられています。

この言葉の心は。自分が志すところの脉元をさえ見つけることができたならば、衆余の脉には拘わってはいけない。病因の本根さえ見つけることができたならば、衆余の病を語っていたとしても、耳を傾けてはいけないということです。これを『衆脉を見ず、衆凶を聞いてはいけません』と述べているわけです。

『外と内とを相互に得、形を先にせず』とは、外は診脉のことで内は病情のことです。この外内の理を心に得心できたならば、強いて今日の病形に拘泥する必要はないということです。《類註》に『その跡を察することではなく、その跡ができた理由を察するようにします』と述べられています。今日、この病形があるものは、もともとの由来があるのだということを察しなさいということです。

『往来を玩ぶ』とは。すでに往去した本当の原因という由来と、まさに来ようとする行く末とを熟得することができれば、心が明らかになり術も定まって、人に治療を施しても誤ることがないということを述べているものです。



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