第十三章 五行論
第二節 相尅




さらにまた聞いて言いました。五行相尅のことはどうでしょうか。

答えて言いました。世の愚属が誤って述べている相尅の道は、殺傷凶悪で、なくてもよいものであり、ただ相生だけを貴いものとしています。これは昧い者が五行の相生相尅の深い理に到達していないため〔訳注:に起こる誤解〕です。

そもそも相尅がなければ、五行のそれぞれが今日の効用をなすことはできません。相生だけで相尅がないときには、五行はその位置にいすくばって〔訳注:安住して動かなくなり〕、働くことができなくなります。相尅は夫婦の道です。婦は必ず夫の扶けに従って働くものです。五行のそれぞれにおいて、尅するものは夫であり、尅されるものが婦です。尅されるものは尅するものに扶けられてそれぞれの効用をなしているわけです。実に相生相尅は車の両輪であり、二つとも並び行われなければならないものなのです。

このため《書経・大禹謨》に『金水木火土、穀これを修めよ』と述べられているのです。久峯の蔡沈は注して「『水火木金土、穀これを修めよ』とは、水尅火、火尅金、金尅木、木尅土で五穀を生じ、あるいは相制してその過ちを洩らし、あるいは相助してその不足を補うことによって、六者を修めなければならない」云々と述べています。であれば、相尅は殺傷 消尽の道ではありません。五行がそれぞれその効用をなす道であって、その貴さは相生に劣ることはないのです。

一、金尅木

先ず金が木を尅することで言いましょう。

相尅が殺傷消尽の道であるとするならば、火が木を尅すると言うべきです。どうしてかというと、金を用いて木を削り刻むと、細末にはなりますけれども木の体は消失せずに残りますが、火を用いて焼くと、灰になって消失してしまいます。相尅が殺傷消尽の道ではないため、金尅木と言っているわけです。

そもそも木が材木となり器物となって諸々の木の効用をなすことができるのは、金に刻まれ削られて、金尅木の尅制によってなるものなのではないでしょうか。

二、土尅水

また土が水を尅すること〔訳注:はどうでしょうか〕。

水溜りに土を入れると水がなくなってしまうようですけれども、水が完全に消失してしまうわけではありません。水は土の中に滲み入り、水と土とが一体となります。

水が湧いたり流れたり止まったりして水の効用働きをなすことは、土によることなしにはできないのです。

三、火尅金

また火が金を尅すること〔訳注:はどうでしょうか〕。

金は火の尅制を受けて諸々の器となり、その効用働きをなします。

四、木尅土

また木が土を尅すること〔訳注:はどうでしょうか〕。

稼穡(かしょく)〔訳注:穀物の植え付けと取り入れ〕は土の効用です。古くは木をたわめて(すき)()にしました。これを用いて木尅土木尅土と土を砕き穿って種をまき苗を植えて土の効用をなしたわけです。

五、水尅火

また水が火を尅すること〔訳注:はどうでしょうか〕。

他の例とは少なからず異なります。どうしてかというと、水を用いて火を尅制するとすぐに火の体〔訳注:本体〕が消失してしまうためです。五行の中で火の制は凶悪です。ですから火はそのほどよいところで消さなければ、必ず害悪をなします。

たとえば物を煮 物を焼くとき、そのほどよいところで水尅火と水を用いてその火を消すと、物が焦げ損なわれずに火の用〔訳注:機能〕をあらわすことができます。火は必ずほどよいところで水尅火と消されるためその効用をなすわけです。

六、五臓

人身における五臓〔訳注:はどうでしょうか〕。

肺金は心火に温制され、心腎は交通し、脾土は肝木に制され、肝木は金肺に制されて、五臓それぞれがその用〔訳注:機能〕を平らかにして〔訳注:バランスを取って〕います。

五行の道において相尅がないと昂ぶってしまい、和を得ることができなくなり、その効用をなすこともできなくなります。世の昧者〔訳注:物の理を見通すことができない愚かな人々〕はこのことが理解できず、一概に相生を貴いこととし、相尅を賎しいこととしてこれを悪みこれを嫌いますが、大きな間違いです。



一元流
医学切要指南 前ページ 次ページ